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第19話 エデン

 旧市街から更に北に向かった、半島の先。断崖を背にそびえ立つ白亜の巨塔。

 組織の中枢施設――通称「エデン」。


 そこは、数多の人間を「素材」へと変え、命を弄んできた実験場だ。

 降りしきる雨と雷鳴の中、その堅牢な外壁を、一つの影が凄まじい速度で駆け上がっていく。


「――侵入者確認! 迎撃しろ!」


 警報が鳴り響き、自動防衛ターレットが火を吹く。

 だが、その影――No.4を捉えるには、機械の反応はあまりにも遅すぎた。


 シエルは、もはやシエルではなかった。


 視界を覆うのは、感情を排した無機質な戦闘ログのみ。

 アンプルによってリミッターを強引に解除された肉体。

 一歩踏み出すたびに筋肉が裂け、骨が軋むほどの負荷を撒き散らしている。


 だが、彼女はその痛みを「ノイズ」として処理し、最短距離で敵を屠り続けた。


 迎撃に現れた精鋭部隊が、瞬時に肉塊へと変わる。

 かつて「姉妹」であったホムンクルスたちも、言葉を発する暇すらなく斬り伏せられた。


 彼女が振るうブレードは、もはや武器ではない。呪いそのものだった。


 自分を産み出し、サラという女性の尊厳を奪い、

 ウルトとの未来を夢見させたこの場所全てを――

 消し去ることだけが、彼女の目的だった。


「……汚い。なにもかも」


 血飛沫を浴びながら、無機質に呟く。

 その瞳には、涙の跡さえ残っていない。



 中枢最深部。

 巨大な培養槽が並ぶ「胎内の間」。


 そこに、かつて彼女を調整し、No.4という記号を与えた老科学者が立っていた。


「ま、待て、No.4!壊れる気か!……過剰投与だ、自壊が始まっておるぞ!」


 老人の叫びを、シエルは一歩、また一歩と歩み寄ることで遮る。

 彼女の足跡は、自らの身体から漏れ出したオイルと血で黒く汚れていた。



「……サラという女性のデータは、どこ」


「サラ……?ああ?十年前の素材か。あれはお前のベースとして素晴らしい適合を――」


 言葉が終わる前に、ブレードが指先を切り落とす。


「……消して。全部。……私が『私』でなくなる前に、

 この場所の記憶を、記録を、すべて焼き尽くして」


「ぐぅぅぅ!!……む、無駄だッ!

 データはすべてバックアップされている!お前は傑作だ、我々が手放すはずが――!」


 老人が狂ったように笑いながら、背後の大型モニターを操作する。

 

 そこに映し出されたのは、無数のシエルの「予備」。

 同じ顔、同じ身体、同じ空虚な瞳を持った少女たちが、液体の中で眠っている光景だった。

 

 それを見た瞬間、シエルの中で、最後の糸が切れた。


(……ああ、そう)


 怒りはなかった。 絶望ですらなかった。

 理解したのは、ただ一つ――

 自分は特別でも、代替不能でもなかったという事実。

 ここでは、生も死も、記憶も尊厳も、

 すべてが同じ棚に並べられる「部品」だった。


(……私は、本当に、どこにもいなかった)



 シエルは、狂笑する老人を、慈悲もなく一突きで葬り去った。

 そして彼女は、中枢のメインサーバーへと歩み寄る。

 神経系を直接接続した。


(――全エネルギー強制出力。

   中枢炉、過負荷。

   爆破シーケンス、開始)


 脳が焼ける。視界が白濁する。

 自分という存在ごと、この施設を消す。それが、唯一の答えだった。


 爆発が始まるまでの数十秒間。

 崩れゆく意識の中で、彼女は静かに、届くはずのない言葉を紡いだ。


「……ウルト。……コーヒー、不味かったけど……大好きだったよ」



 それがサラの記憶なのか、シエルの想いなのか。

 もはや、区別はできない。

 それでも、これだけが――彼女が最期に「自分」でいられた証だった。



 その時。

 中枢防壁が、外から強引に引き裂かれる音が響いた。


 煙の向こうに立つ、泥まみれの男。

 焼けついた銃身を握り締めたまま。


「……シエルッ!!」


 ウルトだった。

 気絶させられ、捨て置かれたはずの男が、絶望の果てに地獄の門をこじ開けて、そこに立っていた。


「……どうして」


 崩れ落ちる身体を支えきれず、膝をつく。


「来ちゃ……ダメ!……ここは、全部……消えるの……

 私も、サラも……みんな、連れて行くから」


「ふざけるな!」


 ウルトは、銃を放り出し、彼女のボロボロの身体を強く抱きしめた。

 周囲で火花が散り、壁が剥がれ落ちる中、彼は彼女の冷たい頬を両手で包み込む。



「サラを二度も失うなんて、俺がさせると思うか!

 ……シエル、目を開けろ! お前は兵器じゃない! お前は、俺の隣で、コーヒーを飲む一人の女だ!」


 火花が散る中、頬を包み込む。


「……もう、遅いの……ウルト、私は……」


 その瞳に、最後の光が灯る。


 崩壊する神の庭で。

 二人の時間が、最期の瞬間へと収束していった。

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