表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/20

第15話 止まった時計塔

 夜明け前の空は、色を失った灰色だった。


 ウルトは、ひたすらに北に向かう。折れた道路標識のそばで足を止めた。

 理由はない。立ち止まっている場合でもない。それでも、身体が言うことをきかなかった。


 息が荒い。呼吸をする度に、肺の奥に、冷たい空気が引っかかる。

 風だけが吹き抜けていく。銃声も、怒号も、追跡者の気配もない。


 彼は諦めて、一度地面に腰を下ろし、濡れたアスファルトを素手で拭った。

 そこに何かがあるわけでもない。ただ、歩き続ける前に、一度だけ止まる必要があった。


 内ポケットで、金属が触れ合う感触がある。

 青いアンプル。


 彼女が、自身の傍にいたという痕跡は、これしかない。

 

「……クソ」


 吐き捨てた言葉は、雨上がりの空気に溶けて消えた。


 名前を呼ばれず、誰も何も答えない。ただ静寂があたりを包む。



 ウルトは、ようやく、ゆっくりと立ち上がった。

 北へ向かったはずの足跡は、もう見えない。それでも、信じて行くしかない。


 あの街へ。彼女が「選びそうな場所」へ。




 北へ進むほど、街の姿は変わっていく。今や、建物は「崩壊」から「風化」へと移り、

 破壊の痕は歴史のように沈殿していた。


 シエルの痕跡は、完全に消失している。

 ウルトは、北にいるはずだという気持ちだけで、ただ重たい足を動かし続けた。



 やがて、荒廃した建物の向こうに、半分崩れ落ちた時計塔が見えてくる。


 北の廃墟。かつて国家間の国境紛争が起きた際、紛争の代理人として、軍事組織が真っ先に

 「実験場」として使い潰した街だ。


 正規軍の代わりに送り込まれたのは、私設の兵士・装甲車・戦車等の他、

 「戦場の幽霊ゴースト」と呼ばれる調整体――すなわちシエルのような個体を戦線に放り込み、

 一夜にして敵対勢力を文字通り「抹殺」することで一帯を掌握した。

 

 最新兵器による効率的な殲滅。

 その影で、この街にあった生活も、人も、名前も、歴史も、すべてが焼き消された。


 ウルトの脳裏に、あの日の光景が蘇る。


 買い出しのため、街を離れていた。

 戻ってきた彼を迎えたのは、平穏な日常ではなかった。


 空を裂く爆音。街全体を包み込む炎。


 銀色の影が、音もなく瓦礫を飛び越え、家々を破壊していく。

 機械的で、無慈悲で、容赦の無い殺戮。


「サラ――!」


 喉が裂けるほど恋人の名を呼び続けて、ウルトは崩れ落ちる街の中へ突っ込んだ。

 だが、熱風に喉を焼かれ、銃弾が頬を掠める中で、彼が見たのは、人間の死体と、兵器と、

 命を刈り取っていく「幽霊」の姿だった。


 何とか自宅があったはずの場所に辿り着いたものの、

 真っ赤に熱せられた鉄骨と灰が積もっているだけだった。

 サラの姿は、どこにもなかった。


 助けを求める声も、冷たくなった亡骸もない。

 彼女は、世界から消え去っていた。


 命からがら街を脱出したあの日から、ウルトの時間は止まっている。

 遺体が見つからないという事実は、彼にとって「死」を受け入れることさえ許さない、

 永遠に続く拷問のようなものだった。



 時計塔の針は、あの日、殺戮が始まった時刻で止まり、今も錆びついたままだ。


 ウルトは、泥に覆われた地面を見つめ、アンプルを強く握りしめる。

 シエルがここにいるかは分からない。

 いたとしても、なぜここを選んだのか、今はどうでもよかった。


 もし彼女が、サラを奪った個体そのもの、あるいはその後継機だったとしたら……

 その可能性が、胃の奥を焼くような嫌悪を呼び起こす。



 それでも。


 今のウルトを突き動かしているのは、復讐ではなかった。

 地下室で、化け物と罵られながらも、それでも自分を守ろうとした、シエルの「拒絶」への焦燥だった。


 過去を清算するために走っているのではない。

 自分が名付け、そして見捨てた、身勝手な化け物を、このまま終わらせるわけにはいかない。



「……どこにいる、シエル」


 ウルトは時計塔を通り過ぎ、かつて自分たちが暮らしていた区画――

 灰の街の、さらに奥へと歩みを速めた。


 サラを失った場所で。

 今度は、失わないために。


 復讐者は、自分の「愛」も「憎しみ」も区別できなくなったまま、

 灰に沈む街の深淵へと消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ