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第14話 灰の街へ

 スラムの境界線を越えた先には、打ち捨てられた廃工場が沈黙する死の街が広がっている。

 夜にひとしきり降った雨は、明け方には上がっていた。

 

 コンクリートの床にできた水溜りは、赤茶けた鉄骨の錆を含み、どす黒く濁っている。


 ウルトが、廃工場で戦いの痕跡を見つけたのは、明け方のことだった。

 鼻腔を突くのは、雨の匂いを上書きする、強烈なオゾンの香りと――焦げ付いた回路の匂い。


「……嘘だろ」


 工場の中央、朝日が差し込む吹き抜けの下に、それは横たわっていた。

 生命の気配を失った小柄な少女。

 胸部には、強烈な打撃によってひしゃげた大きな穴が開き、そこから複雑な構造の人工組織が、

 内臓のように零れ出している。


 シエルと似た顔、同じ髪、同じ無機質な肌。

 シエルと最初に出会った時と同じ戦闘服。


「……良かった……『妹』……か」


 シエルがそう呼んでいた個体。

 ウルトは、かつて自分のすべてを奪った「幽霊」の姿を、その残骸の中に見た。


 シエルは勝っていた。

 だが、シエル自身の姿は、どこにもない。


 今、胸に込み上げてくるのは、勝利の昂揚でも、宿敵への憎悪でもなかった。


(……俺は、何をしていたんだ)


 これほど精巧で、残酷なまでに強力な「兵器」を、あの細い腕で叩き潰した執念。

 彼女が、何のために、自分の元を離れ、ここで戦ったのかは、容易に想像できた。


『いいよ、撃って。それが、あなたの望みなら』


 あまつさえ、彼女は、自分に引き金を引かせることで、

 ウルトの復讐を完成させてやろうとさえした。


 銃口を向けられ、化け物と罵られ、拒絶された男を――

 それでも、守り抜くために。


 ウルトは周囲を警戒しながら、シエルの痕跡を探した。

 床や壁には、激しい戦闘を物語る無数の抉り跡が残されている。

 コンクリートを粉砕し、鉄柱を薙ぎ倒す、人間離れした速度と力。


 その戦闘の中心から、少し離れた場所に、何かが落ちていた。


 雨に濡れ、鈍く光る銀色の金属筒。

 拾い上げたそれは、紛れもなく、数日前に彼が彼女のポケットへ押し込んだ、

 フラッシュグレネードの残骸だった。


 彼女が何者なのか。

 どんな組織が、どんな思想で作り上げたのか。

 そんなことは、もうどうでもよかった。


 あの時、同じ卓でコーヒーを飲み、

 不器用に微笑み、名前を喜んだ「シエル」という一人の少女が、そこにいた。

 それだけで、十分だったはずなのに。



 なのに俺は、自分の過去を彼女に押し付け、

 一番守るべき存在を、一番残酷な言葉で傷つけた。


「……すまない、シエル。俺が……俺が全部、間違ってた」


 ウルトは、雨に濡れた空ケースを、額に押し当てた。

 謝らなければならない。あんな言葉で、突き放すべきではなかった。


 彼女は、俺に拒絶されたまま、この雨の中へ消えた。

 彼女を傷つけたのは、組織の追っ手でも、No.6でもない。


 彼女が信じようとした、俺自身だった。


 その事実が、鋭い刃のように、ウルトの心を抉る。



 廃工場内を注意深く見ていくと、出口へと続く、泥にまみれた足跡を見つけた。

 相打ちではない。

 勝って、この場を去った跡だ。


 ただ、足取りは弱々しく、引きずるような跡が混じっている。

 傷か、あるいは、あの薬の効果が切れかかっているのか。


 足跡は、「北」へと向かっていた。

 行きつく先には、かつて、生活が灰になった「旧市街」の廃墟がある。


「……あそこへ、行くのか」


 なぜそこを目指すのか。その理由は、もうどうでもよかった。



 どこへ行こうと、生きて、もう一度会わなければならない。

 そして、あの地下室で口にできなかった言葉を――

 彼女を兵器ではなく、俺が名付けた「シエル」として、

 一人の人間として、謝らなければならない。


 ウルトは、内ポケットにあるアンプルに触れた。

 これが何なのか、本当のところは分からない。だが、これを持たずに消えた彼女の背中が、

 自ら壊れることを選んでいるように見えて、どうしようもなく、恐ろしかった。


「……死なせるか。そんなこと、させるか」



 ライフルを肩に担ぎ直し、少女の足跡を辿って走り出す。


 かつての憎しみを燃料にしていた頃とは違う。

 今のウルトを突き動かしているのは、一人の少女への、あまりにも遅すぎた

 「謝罪」という名の、切実な情動だった。

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