第12話 それぞれの選択
地下の変電所跡を包み込むのは、静寂だった。
ウルトの鼻腔を突くのは、喉を焼くような硝煙の残滓と、床にぶちまけられた死体から流れる
どす黒い血の匂いだ。
ウルトは、床に座り込んだまま動けずにいた。
手の中には、愛銃のライフルの重みがある。指先はいまだ、引き金を引き絞ろうとした緊張で
強張ったまま。だが、その銃口が狙うべき「敵」は、もうここにはいない。
かつて、最愛の恋人を奪い、故郷を焼き尽くした、あの忌まわしき「戦場の幽霊」。
その正体が、目の前で不器用に笑い、名前を呼んでいた、あの少女だった。
「……あいつが」
掠れた声が、虚しくコンクリートの壁に反響する。
ウルトは、視界の端に転がる死体を見つめた。
組織の精鋭兵たちだろう。人間として訓練され、武装していたはずの連中が、
シエルが解き放った力の前では、ただの大きな的でしかなかった。
あいつは、俺を守った。
それなのに、自分は銃口を向け、化け物と罵った。
その事実が、ウルトの自尊心をズタズタに引き裂く。
復讐のために生きてきた。組織を、自分からすべてを奪ったやつらを一人残らず見つけ出し、
その心臓を撃ち抜く。それだけを目的にしてきたはずだったのに。
ウルトは重い腰を上げ、散乱した備品の処理に取り掛かった。
この場所は、もう安全ではない。組織の増援が来るのは時間の問題だろう。
証拠になるものはすべて処分して、ここを去らなければならない。
作業台の脇に置かれた、古びた椅子。
その背もたれにかけられたままの、薄汚れたショルダーポーチ。
彼女が付けていたものだ。
乱暴に鞄へ突っ込もうとして――その重みに、ウルトは手を止めた。
中から転がり落ちたのは、金属製の堅牢なケースに収められた一本のアンプルだった。
「……ッ、あいつ……!」
彼女は、これを持たずに夜の闇へ消えていった。
初めて出会った日のことを思い出す。
自分を殺さんばかりの勢いで奪い取りに来たこと。彼女が人ならざる存在であることを踏まえれば、
これは薬物のようなものではなく、生存維持に必須のものなのだろう。
ウルトはアンプルを握り締めた。
冷たい金属の感触が、手のひらに突き刺さる。
彼女は、「妹が来る」と言っていた。
同じ化け物が……もう一体。
ウルトを巻き込まないように、一人、敵を誘い出し、孤独な戦場へ向かったのだ。
『撃ってもいい』
あの時の声が、耳の奥で何度も反響する。
凍りつくようでいて、どこか清々しさすら含んだ、覚悟の色を帯びた声。
「ふざけんな……勝手に終わらせてんじゃねえぞ」
憎しみは消えるはずもない。だがそれ以上に、自分が与えた「シエル」という名前の少女が
何も言わずに去っていったことが、どうしても受け入れられなかった。
ウルトはアンプルを内ポケットへねじ込み、必要最低限の弾薬と水を背負った。
残りの備品と死体に灯油を撒き、躊躇なく火をつける。
燃え始める隠れ家と死体の束を一度だけ振り返り、彼は走り出した。
外は、冷たい雨が降り始めていた。
吹き飛んだ扉の外には、複数の死体が転がっている。
今日、合流するはずだったレジスタンスのメンバーだ。
一瞥することなく、シエルが去ったであろう方角を探る。
スラムの夜道を駆け抜ける。変わらず、猥雑で、不潔で、希望のない街。
だが、隣を歩いていたはずの小さな影がないだけで、空気はひどく薄く、胸が詰まりそうになった。
「……シエル、どこだ!」
ウルトは、ライフルのスリングを強く締め直した。
これからやることは、高潔な救出劇ではない。
自分が名付け、
自分が突き放し、
そして自分の中に「愛」に近い絶望を植え付けて去った、あの身勝手な化け物の尻拭いだ。
「……死ぬなら、俺の前で死ね。
それ以外の場所で勝手に壊れることなんて、俺は耐えられねえ」
同じ化け物が、もう一体いるのなら。出会った瞬間に殺されるかもしれない。
それでも復讐者は、初めて自分自身の憎悪ではない、
制御不能な「執着」を原動力に、ぬかるんだ夜の街を走り続けた。
その足跡を追うように、降りしきる雨が、地下室の入り口を静かに塗り潰していった。




