表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/20

第11話 妹

 郊外に広がる廃工場地帯。

 かつて人間たちの戦争を支えたその巨躯は、今や錆びた鉄骨をむき出しにし、

 月光の下で骸のように横たわっている。

 割れた窓ガラスが、夜風に揺れるたびにチリチリと冷たく鳴った。


 シエルは、その静寂の中で仇敵を待っている。


 地下拠点を去る際、彼女は一度も振り返らなかった。


「……撃っていいよ」


 そう告げた自分の声の震えが、まだ耳の奥にこびり付いている。

 彼は撃たなかった。代わりに、絶望を叩きつけるようなライフルの衝撃音だけが、背中を打った。


 今、シエルの網膜を覆っているのは、感傷を塗り潰すような赤い警告アラートだ。



(――特定個体『No.6』、対象をロック。誤差0.02パーセント。執行を開始)


 音もなく、影が落ちた。


 現れたのは、十歳ほどの、あまりにも無垢な顔立ちをした少女だった。

 シエルと同じ琥珀色の瞳。だが、その瞳には光がない。

 感情を演算リソースから切り捨て、殺戮の効率のみに特化した「完成された死神」。


 シエルが拠点を脱出する際に壊し損ねた、かつての同胞――No.6。


 No.6は口を開かない。

 再会の挨拶も、裏切りへの糾弾もない。

 彼女にとってシエルは、もはや姉妹ではなく、処分されるべき「不良品」に過ぎなかった。


 沈黙が爆発した。

 No.6の踏み込みは、物理的な質量を感じさせないほどに鋭く、速い。



 ――衝撃。


 シエルが反応するよりも速く、No.6の小さな拳が鳩尾を捉えた。

 人工筋肉が悲鳴を上げ、内部の冷却液が逆流する。身体はコンクリートの床を数メートル滑り、

 廃機材の山に叩きつけられた。



(――警告。駆動系、出力低下。損傷率32%)


 視界が明滅する。

 立ち上がろうとするシエルに、No.6は一切の猶予を与えない。


 追撃。

 右腕から展開された高周波ブレードが、肩口を深々と抉った。

 返り血ならぬ錆色のオイルが、紺色のパーカーを汚していく。



 圧倒的な性能差だった。

 シエルはウルトとの日々の中で、多くの「感情」を学んだ。

 不味いコーヒーの匂い、雑踏や古いラジオの音、そして、誰かを守りたいという願い。

 それらは戦闘において、ただの「遅延」としてしか機能しない。



 対するNo.6は、純粋な演算の塊だ。

 一切の無駄を削ぎ落とし、最短、最速、最小限のエネルギーで対象を無力化する。



 シエルの左腕がへし折られ、膝が逆方向に蹴り砕かれる。冷徹な蹂躙。

 シエルが上げる絶叫を、No.6は「不要なノイズ」として即座に消去した。


「……は、あ……っ」


 床に這いつくばるシエルの髪を、No.6が掴み上げる。

 抵抗する力は、もう残っていない。

 エネルギーは底を尽き、心臓メインコアは過負荷によるオーバーヒートで、

 今にも溶解しようとしていた。


 No.6はシエルを仰向けに転がし、その上に馬乗りになる。

 徹底して無機質な動作。

 息の根を止めるべく、右手のブレードが構えられた。


 狙いはシンプル。胸の中央部にあるメインコア。

 最も確実で、最も合理的な一点。



 その時、シエルはぼやける視界の中で、ウルトの言葉を思い出していた。


 ――化け物の自分に、生き残る術を教え込もうとしてくれた、あの声を。


『……いいか、シエル。理詰めで動く奴ってのはな、正解を選びすぎる。

 正解ってのは、一番読みやすいんだ。

 ……そこを、一点集中でカウンターしろ』


 No.6の腕が振り下ろされる。

 最短、最速。ブレードの先端が、吸い込まれるように胸へ迫る。


 シエルは、その「正解」を、命を賭けた餌にした。


 折れて垂れ下がった左腕を、右手で掴み、その軌道に差し込む。

 ズブリ、という、ブレードが腕を貫く嫌な感触。

 左肩の力で強引に横に凪ぐと、床のコンクリートに左腕ごとブレードが深々と突き刺さる。


 No.6に「驚き」はない。

 ただ、一撃で仕留め損ねたという事象に対し、次の最適解

 ――ブレードの引き抜きと再刺突――を選択しようとする。


 だが、わずか0.5秒。

 合理性ゆえに生じた、避けられない動作の隙。


 シエルは、その空白を逃さなかった。


「――光れ」


 シエルの右手が、懐に隠し持っていた円筒形のデバイスを、No.6の顔面至近距離で起動させた。

 ウルトが渡してくれた、安物の、けれど温かな光。


 暴力的なまでの白が、世界を飲み込んだ。

 至近距離でのフラッシュグレネードは、暗闇での活動に特化し、微かな光さえ増幅するように

 調整されていたNo.6の光学センサーを焼き、処理回路を瞬時に沈黙させた。


 初めて、No.6の動きが完全に停止した。


 咄嗟に目を瞑ったシエルも、幾分か視界が失われる。

 だが、彼女にはNo.6にはないものが残っていた。


 髪に残るかすかな重み。

 耳の奥に残る、コーヒーを淹れる音。

 そして、「化け物」と呼ばれてもなお、彼のために生きたいと願ってしまった、醜いほどの自我。


「ああああああッ!!」


 人工筋肉が悲鳴を上げ、排熱音を絶叫のように響かせる。

 残された全出力を出し、右拳に乗せ、叩きこんだ。

 

 ドォン、という重い手応え。


 閃光が消え、白く濁る視界の中。

 シエルの拳はNo.6の胸部コアを正確に砕いていた。


 パリン、という結晶の砕ける音。

 合理性の極致が、一人の少女の自我に屈した瞬間だった。


 崩れ落ちた骸の懐から、震える手で予備のアンプルを奪う。

 首筋のポートに打ち込むと、冷たい薬液が全身を駆け巡り、

 死にかけた回路を強引に再起動させた。


「……はぁ……、はぁ……」


 雨が降り始めていた。

 錆びた屋根を叩く音が、まるですべてを洗い流そうとしているかのようだ。


 シエルは、泥と血に汚れた右耳の髪留めに触れる。

 青いガラスは、まだそこにあった。


 ウルト。

 彼はもういない。

 銃口を向けられ、拒絶された事実は消えない。


 シエルは、地下拠点とは逆の方角へ歩き出した。

 目も、耳も、身体もボロボロだ。アンプルを打っても、いつまで持つかは分からない。


 それでも、シエルは歩き続ける。


 彼が自分を「一人の人間」として救おうとしてくれたこと。

 その想いを汚さないために。

 彼に与えられた命を、彼から最も遠い場所で、一刻でも長く繋ぎ続けること。


 それが、シエルにできる唯一の、そして最も残酷な恩返しだった。


 少女は雨の中、夜の帳へと消えていった。

 背後には、自分と似た顔をした「妹」の亡骸と、

 二度と戻れない日常の残骸だけを置き去りにして。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ