第10話 拒絶
地下室に充満する硝煙が、重く肺にへばりつく。
シエルの足元に転がる死体。それらはかつて彼女が「同僚」と呼んでいたはずの、名前なき兵士たちだ。
返り血を浴びたパーカーが、不気味な黒ずみを帯びて滴っている。
(――警告。特定個体『No.6』の生体波形を感知。距離2000。急速接近)
シエルの網膜が赤く点滅する。
その波形には、見覚えがあった。
彼女と同格の個体。かつての拠点で、静かに後ろをついて回っていた、十歳前後の無垢な顔をした「死神」。
脱出の際に、壊し損ねたうちの一体だ。
「……もうすぐ、来る」
シエルが、静かに呟いた。
地下室に広がる硝煙が、ゆっくりと薄れていく。
ウルトは銃口を向けたまま、動けないでいた。引き金に掛けた指先が震える。
二人のあいだには、言葉にできない厚みのある沈黙が横たわっていた。
シエルは「戻れない」という感覚を、演算ではなく、肌で理解した。
ただ、これ以上留まると、ウルトを守ることは難しくなる。
踵を返し、爆風でひしゃげた出口に向かう
「おい、動くな……! それ以上動けば、撃つ!」
ウルトの声はひび割れていた。
仮初めの時間を共に過ごした幼い少女であろうと、今の彼には、自分と、
そしてかつての故郷を焼き尽くした『戦場の幽霊』にしか見えない。
恐怖、憎しみ、困惑。
絡み合った感情が彼を縛り、引き金にかかった指を震わせる。
シエルは、その鉛色の瞳を見つめ返した。
No.6に遭遇すれば、ウルトが生き残る光景は、どうしても想像できなかった。
(……巻き込みたくない)
それはプログラムには存在しない、彼女自身の意志だった。
ウルトは、シエルの背中に、かつての少女の面影を探そうとする。
だが、返り血で汚れたその姿は、 彼が救いたかった「犠牲者」とは、あまりにもかけ離れていた。
「……なぁ、シエル。答えてくれ。どういうことだ」
「……妹が来る。……お別れ、ウルト。私が必要なのは、あなたじゃないから。
……あなたは、逃げて」
シエルは背を向け、低く、だが断固とした声で告げる。
精一杯の嘘だった。
拒絶することで、彼の命を守る。それ以外に選択肢はなかった。
「おい、撃つって言ってるだろ!
動くなと言ったはずだ……この……化け物!!」
銃口が、シエルの背中へ冷たく向けられる。
ウルトにとって、その「力」は平和な日常の証ではなく、すべてを破壊する絶望の再来だった。
彼は自身の過去を清算するためにも、引き金を引かなければならない。
そうしなければ、自分が壊れる。
シエルは一度も振り返らない。
振り返れば、銃口の意味に耐えられなくなるから。
振り返れば、この数日間の温かな日常を思い出して、戦えなくなってしまうから。
「……いいよ、撃って。それが、ウルトの望みなら」
彼女は、一瞬だけ立ち止まった。
自分を「No.4」として、彼の手で終わらせてもいいと、思ってしまった。
「……クソがっ!!」
ウルトは咆哮し、銃口を床へ叩きつけた。
発砲音の代わりに、金属が硬い床を打つ鈍い音が響く。
シエルは、その葛藤を背に、一歩、また一歩と歩みを進める。
右手が再度髪に触れる。
青いガラスの冷たさだけが、自分がまだ「シエル」であることを、辛うじて繋ぎ止めていた。
「……ウルト、ありがとう」
少女は、音もなく、夜の帳へと身を躍らせた。
追ってくる死神を誘い出すように。
ウルトは崩れ落ちた地下室の中で、立ち尽くしていた。
ライフルの銃口を向けたまま、引き金を引けなかった自分の無力さと、彼女の最後に見せた、
あまりにも人間らしい「拒絶」の間で、彼は静かに、うなだれることしかできなかった。




