09 殿下が好きだから、別れ。
『蒼い誓いと紅い秘密、その扉の向こうで』
ヒロイン ミレイア・ノクス 光魔法
皇太子 アルト・アズリオン 水魔法
悪役令嬢 ヴェロニカ・ルージュリス 炎魔法
皇太子弟 シエル・アズリオン 風魔法
結局、1週間で折れたのは、私のほうだった。
1週間を終えて、アルト殿下を近くの広場に案内した。
午後の光が傾き始め、草の伸びた広場に風が通る。
「このあたりは市街から離れて、郊外も郊外で。若い人がほとんどいないんです。だから広場も荒れてしまって」
そう言って、今にも崩れそうなベンチの埃を軽く払い、慎重に座る。
「そうだね。常連さんも、年配の方が多い」
アルト殿下が少し警戒するようにベンチに座ると、わずかに軋む音が響く。
「それは、セレネイド王国に限ったことではないと思うのです」
風で煽られる髪を押さえながら私がそう言うと、アルト殿下が「そうだね」と言った。
「アルト・アズリオン殿下は、ルミナリス王国に必要な方です。アルト・アズリオン殿下なら、こういった地域にも目を向けた政治をしてくださるでしょ?」
そう伝えた。
言葉を選びながら、逃げないようにまっすぐ前を見据える。
足元の石畳は少し欠けていて、そこに夕陽の影が長く伸びていた。
遠くでは鳥が鳴き、広場の静けさがやけに強調される中で、私の声だけが響く。
頭がいいアルト殿下なら、これだけ伝えれば真意をくみ取ってくれるだろう。
少しだけ胸が痛むのは、それでもなお伝えることを選んだからだ。
「私は、ここが好きです。ですから、お互い、お互いがいるべき場所で頑張りませんか?」
言いながら、自分の声が少し震えているのが分かった。
広場の空気は穏やかなのに、自分の言葉がやけに重たい。
アルト殿下が複雑な顔をする。
夕陽が横から差し込み、その表情に影を落としていた。
金色の髪の輪郭が光と影で揺れて、いつもより遠く感じられる。
何か言いかけて、言葉を飲み込むような間があった。
「ヴェロ…俺はね、本当に町人になってもいいと思ってるんだよ?」
その声は冗談ではなく、本気を含んでいて、だからこそ余計に胸が詰まる。
広場の風がふっと強く吹き、服の裾がわずかに揺れた。
「ええ、よくわかっています」
分かっているからこそ、余計に苦しい。
アルト殿下がこの場所に馴染みすぎてしまったことも、ここでの時間を大切に思っていることも、全部知っている。
アルト殿下は、毎朝私が起きる時間に起きて、一緒にパンを焼いてくれた。
まだ空が薄暗い時間に窯の火を見て、眠そうな目をしながらも生地をこねていた姿が思い浮かぶ。
力仕事も嫌がらずにしてくれた。
粉まみれになりながらも真剣に作業して、時には真顔で謝罪することだってあった。
客に丁寧に頭を下げる姿は、王族というより職人だった。
皇太子なのに。
「本当にあなたが素敵な人で…好きになれて幸せでした」
言い切った瞬間、自分の中の何かが静かに蓋を閉じた気がした。
胸の奥がじんと熱くなるのに、涙は出ない。
私はアルト殿下が好きで、アルト殿下も私と一緒にいたいと言ってくれた。
それでも私は、アルト殿下の隣には立てない。
王妃教育うんぬん…そうじゃない。
私はやっぱり、どうしても、アルト殿下とは結婚できない。
問題は、ルージュリス家にもあるから。
視線を落とすと、足元の草が風に揺れている。
ゲームではわからなかった裏設定ともいうべきものがルージュリス家にはあったのだ。
私は学園生活を送りながら、必死にこの世界で生きていく中で、それを知ってしまった。
次の王位を誰に継がせるか。
その問題で、ルミナリス王国は兄のアルト派と、弟のシエル派に分かれていた。
その対立は表向き以上に根深く、貴族家の立場すら左右するものがあった。
ルージュリス家は、弟のシエル派なのだ。
シエル派のルージュリス家がどうしてアルト殿下の婚約者となったのか。
自分の家がシエル派だとわかったとき、当然、疑問に感じた。
だから、その理由について両親にバレないように調べたのだ。
理由は、複雑なようで簡単だった。
アルト派としては、金持ちのルージュリス家を抱え込みたかったから。
ルージュリス家は、アルト殿下を亡き者にしたかったから。
ルージュリス家がヴェロニカと言う婚約者を出したのは、アルト殿下暗殺のためだったのだ。
それを知ったときには、冷たいものにゆっくりと沈んでいくような感覚があった。
両親に愛されていなかった私は、アルト殿下を暗殺するための道具にされるところだったわけだ。
さすがは、毒親。
思い返せば、優しい言葉をかけられた記憶はない。
それでもここまで育ててくれたのは、私が皇太子妃になることで、ルージュリス家に利益が出る役割を与えられるとおもったからだろう。
だから、逃げた。
たとえ断罪を回避できたとしても、ルミナリス王国では私の未来はないと思ったから。
この場所に来たときも、どこかで「長くは続かない」と思っていた。
けれど、その予想とは裏腹に、ここでの時間は思っていたよりも穏やかで。
好きな人の傍にいることよりも、その人の幸せを願いつつ、自分も穏やかに生活したいと望むようになってしまった。
アルト殿下には、ルージュリス家のことを正直に話した。
毒親への未練はない。
アルト殿下は途中で遮ることなく、ただ静かに耳を傾けてくれていた。
洗いざらい伝えて、気をつけてくださいと言葉を添えた。
殿下は私の話を最後まで静かに聞いてくれた。
そうして、やっぱり静かに「わかった」と小さく言葉を発した。
「それが、君が俺と結婚できない理由なんだね」
アルト殿下がそう言って寂しそうに下を向く。
その横顔はいつもより少しだけ影を落としていたけど、凛としたままだった。
綺麗な横顔だなと思う。
「はい。家のことで、アルト・アズリオン殿下にもご迷惑をおかけいたします」
そう言って頭を下げた。
「私との婚約が破棄になったからと言って、ルージュリス家がアルト・アズリオン殿下の暗殺を諦めるとは思えません。どうか、お気をつけください」
私には、祈ることと、願うことしかできない。
その言葉を絞り出すように伝えると、殿下は一瞬だけ目を見開いた。
それから静かに「ありがとう」と言われてしまった。
何もできないまま、再びアルト・アズリオン殿下と別れることとなった。
扉が閉まる音が、やけに遠くに響いていた。
ここから先は、アルト殿下に頑張ってもらうしかない。
私は私で、この世界でなんとか生きていかないといけないもの。
アルト殿下がいなくなっただけで、狭い部屋がなぜか広く感じる。
「もう、これも必要ないか」と、簡易的に置いておいた仕切りを部屋の隅に置いた。
これでいい、これしかなかった。
そう思っているのに寂しくて、ぽろぽろと涙がこぼれる。
お別れのとき「あなたが最推しだったんです」と言おうか言わないでおこうか悩んだ。
唇まで出かかった言葉を何度も飲み込み、結局は胸の奥に押し戻した。
もう2度と会うことはないのだし、伝えてもよかったかもしれない。
でも、それは自己満足にしかならないからやめておいた。
「どうか、お幸せに…」
やっぱり私は、祈ることと、願うことしかできない。




