06 まさかの提案で、困惑。
『蒼い誓いと紅い秘密、その扉の向こうで』
ヒロイン ミレイア・ノクス 光魔法
皇太子 アルト・アズリオン 水魔法
悪役令嬢 ヴェロニカ・ルージュリス 炎魔法
アルト殿下を部屋に案内すると、お店に『close』の看板を掛ける。
「狭くて申し訳ありません。…紅茶がなくて、あの…たんぽぽ茶なのですが」
あらためて、こんなところに殿下を招いてよかったのか悩んだ。
木造の小さな部屋は、外の風がわずかに隙間風となって入り込んでいる。
壁際には簡素な棚と、最低限の生活用品が整然と置かれているだけで華やかさもない。
緊張で少し手が震えながらも、なんとか両手でカップを差し出す。
たんぽぽで作ったたんぽぽ茶。
乾燥させた花を煮出しただけの簡素な香りが、ふわりと部屋に広がった。
「ちょっとえぐみがありますから、無理だったら飲まないでくださいね」
言いながら、視線がカップの表面を泳ぐ。
貴族に出すにはあまりにも質素すぎることは、自分でもわかっている。
沈黙の間、湯気だけがゆっくりと揺れていた。
アルト殿下は一口飲んで、静かにカップを置いた。
その所作はいつも通り丁寧で、音もほとんど立てない。
表情の変化が薄いけど、たぶん、まずかったんだろう。
通常であれば「美味しい」と言葉をいただくところだが、社交辞令すら出てこないようだ。
皇太子殿下が飲むものじゃないことは、重々承知している。
少しだけ身が縮こまるのを感じながら、目を逸らせないまま話を始めた。
「えっと…お話があって、私を探してくださっていたんですか?捕まえるためではなく?」
声が少し上ずる。
自分でもわかるほど慎重に言葉を選びながら、相手の表情をうかがった。
私の言葉を聞いて、アルト殿下が慌てる。
「捕まえるなんて、とんでもない」とすぐに否定してもらえた。
その言葉だけで、ホッとした。
「婚約者であるヴェロのことを、大事にできなくて申し訳ない。ただ、学園にいた頃はなぜか…君のことが嫌いで…いや、違うな。好きなのに、好きでいてはいけない気がして…」
アルト殿下は視線を落とし、言葉を探すように首を動かした。
窓から差し込む光が、その横顔を静かに照らしている。
最推しは、悩んでいる姿もカッコいい。
アルト殿下は、どう説明したらいいかわからないという感じで言葉を探していた。
でも、私にはわかる。
それはあれだ、物語の強制力。
アルト殿下は、ヒロインを愛し、悪役令嬢を嫌わなければいけないから。
でも、ちょっとだけホッとした。
アルト殿下に、心から嫌われていたわけではなかったんだ。
だって、最推しなんだもん。
そんな皇太子に嫌われるのは、悪役令嬢役でも辛かったんだもの。
「わかりました、アルト・アズリオン殿下。その謝罪は謹んでお受けいたします。ですからどうか、ミレイア・ノクス嬢と仲良くお過ごしください」
嬉しいという感情が思わず顔に出そうになって唇を引き締める。
そうして、できるだけ感情を押し込めて頭を下げた。
ミレイアの名前を出すと、アルト殿下の顔色が変わった。
空気がわずかにピリっとなるのがわかる。
「え?…いや、あれと仲良くは無理だろ。あんな腹黒…」
そう言われて、きょとんとした。
予想外の反応に、瞬きが一拍遅れる。
あれ?ヒロインと結ばれてないの?
もしかして、私が断罪から逃げたからストーリーが変わったのかしら。
背中に冷たいものが走るような感覚がある。
「ミレイア・ノクス嬢は、セレネイド王国の皇太子の婚約者になったと聞いたよ」
そう言われて、驚いた。
そうだった。
記憶の奥でようやく別ルートの存在が浮かび上がる。
隣国の皇太子も、攻略対象じゃん…
私、皇太子ルートしかやってなかったもん。
すっかり忘れてた。
「そうなんですね…この国の、皇太子の…婚約者」
言葉を噛みしめるようにゆっくりと呟く。
ミレイアがこの国に嫁いだと聞いて、すぐに、この国から逃げたほうがよさそうな気がしてきた。
「だから…いや、だからってわけでもないけど。俺と一緒にルミナリス王国に戻ってほしい。結婚式をあげよう!」
唐突に響いた言葉に、思考が追いつかない。
「えっ…私たち、婚約…破棄……もしかして、してないんですか?」
声が途切れ途切れになる。
卒業式の断罪で、悪役令嬢はアルト殿下から婚約破棄を言い渡される。
つまり、私は卒業式に婚約破棄されているはずだった。
断罪はされなかったけど、それはされていると思っていたんだけど。
逆に、その断罪がなかったから、婚約破棄してないのか?
「もちろん。君は、俺の婚約者だよ」
その一言で、思考が完全に止まった。
視界が白く揺れる。
そんなストーリーは知らない。
皇太子ルートも、騎士ルートも、隣国の皇太子ルートでも、悪役令嬢は処刑されていたはずだ。
断罪は回避できたとしても、当然、婚約解消されて、家門からは縁を切られているはずだったのに。
隣国の皇太子ルートだから、悪役令嬢が皇太子の婚約者のままでいられた、のかな?
どういうことなんだろう。




