02 森へ逃げたら、迷走。
『蒼い誓いと紅い秘密、その扉の向こうで』
ヒロイン ミレイア・ノクス 光魔法
皇太子 アルト・アズリオン 水魔法
悪役令嬢 ヴェロニカ・ルージュリス 炎魔法
逃げていいのか、お前はよくても、親はどうなるんだ。
頭の片隅で、そんな声が聞こえた気がした。
そう思う方もいるかもしれない。
だけど、安心してください。
ヴェロニカ・ルージュリスは、親からも嫌われていた。
ルージュリス家は、ルミナリス王国の中でもお金持ちの貴族の家柄だ。
石造りの大きな屋敷に、代々の肖像画が並び、庭には手入れの行き届いた噴水まであるような家。
外から見れば誰もが羨む一族だった。
だから、お金で困ることはなかったけれど、親からの愛情は一切受けられなかった。
同じ屋敷に住んでいても、会話は必要最低限。
食事の席もどこか儀礼的で、温かさとは無縁だった。
光魔法を重んじるルミナリス王国では、光魔法が使えるものが重宝された。
祭礼でも政治でも光魔法の適性は重要視され、家の格すら左右する価値基準になっていた。
ヴェロニカは、光魔法が使えなかったから。
幼い頃、何度試しても光は生まれず、落胆された。
ただ、それだけの理由で両親からは愛されなかったのだ。
期待されることもなく、視線を向けられることも減っていき、いつしか、いないもののように扱われるようになった。
悪役令嬢だから、こんなに冷遇された設定なのか。
理由はわからなかったけど、ともかく、ゲームの中ではヴェロニカが断罪されると、両親はあっさりヴェロニカをルージュリス家から切り捨てた。
その場面を思い出すたび、両親から切り捨てられるときの言葉が。
今は、自分のこととして思い出される。
きっと、私が逃げたらすぐに私は両親に切り捨てられる。
もうルージュリス家に頼ることはできないだろう。
だから、自分を守るために、持ち出せるお金を持ち出せるだけ持ち出した。
金庫を開ける手は少し震えていたが、それでも迷いはなかった。
ヒラヒラとした重い服は邪魔だから、使用人の服を拝借する。
鏡の前でそれを着たとき、自分の姿が別人のように見えた。
異世界転生している私は、キャンプの知識もある。
テレビや動画で見た程度の知識でも、ないよりはマシだと必死に思い出していた。
使えそうなものをリュックに詰めて、いざ、と出発した。
目指すは、セレネイド王国だ。
地図の端に描かれた、まだ見ぬ国境線。
隣国まで、逃亡する。
夜中のうちに家を抜け出し、日が昇る頃にはずいぶんと遠くまで来ていた…と、思う。
空の色が変わっていくのを見ながら、振り返ることなく歩き続けた。
だいたいの地図は頭に入っているから、できるだけ人に会わないで済むように、林や森があるほうに進んだ。
舗装された道を避け、草を踏み分ける音だけを頼りに進む。
1日を乗り切ればなんとかなる、なんとかなる。
そう、自分に言い聞かせながら進んでいると、森に入ったようだ。
木々の密度が増え、光が細く分断されていく。
太陽の位置を確認して、方角を確認しながら進んだ。
枝の隙間から差す光を頼りに、必死に方向を測る。
日が落ちると、洞穴を探して身を隠す。
岩陰に身を縮めると、外の世界が急に遠くなる。
どこまで来ているのかわからない。
現世だったら、スマホで位置を確認できるのに。
足の疲れも時間の感覚も、すでに曖昧だった。
もう、セレネイド王国に入れているかもしれないけど、油断できない。
明日の朝が来るまでは…
カサっと音がするたびに、誰かが私を捕まえに来たんじゃないかと怯えた。
小さな物音ひとつに心臓が跳ねる。
今は野獣より、私を捕まえにくる誰かの存在のほうが怖い。
目を閉じると、悪夢に襲われた。
ゲームの中の一場面としてしか知らないはずなのに、その夢は奇妙なほど生々しかった。
肌にまとわりつく空気の冷たさまで思い出せるようだ。
石畳を埋め尽くす人々の視線は、憎悪と侮蔑に満ちて。
誰もが石を投げるように言葉を浴びせてくる。
その罵声は波のように押し寄せる。
視線の先には、処刑台。
鈍く光る刃を掲げたギロチンが、静かにその時を待っている。
違う、と叫ぶ。
私は何もしていない、と。
必死に声を張り上げても、誰一人として耳を貸さない。
弁明は群衆の歓声に飲み込まれ掻き消えていく。
そして刃が落ちる直前、悲鳴とともに目が覚める。
ほとんど眠ることができないまま、朝を迎えた。
まぶたの重さと戦いながら、薄明かりの中で目を開く。
…朝。
静かな森に、鳥の声が戻ってくる。
卒業式が、終わった。
全身の力が抜ける。
地面に座り込んだまま、しばらく動けなかった。
なんとか、断罪イベントを回避できた…と、思いたい。
まだ安心はできないから、ともかく、少しでも遠くに逃げないといけない。
フラフラと立ち上がって進んでいくと、森から抜けることができた。
木々の壁が途切れた瞬間、視界が一気に開ける。
道を歩いていた人に、ここがどこか尋ねてみる。
久しぶりに聞く人の声に、少しだけ緊張する。
「ここはもう、セレネイド王国だよ。…あんた、大丈夫かい?」
そう言われて、安堵から涙がこぼれた。
ようやく、国から逃げることができた。
「どうしたんだい」と心配される。
あまり目立ちたくなかったから、慌てて涙を拭きながら「大丈夫です」と答えた。
声が震えていたけれど、なんとか大騒ぎにはならずに済んだ。
これからも、目立たないようにしなくてはと思う。
ルミナリス王国からは逃げ切ることができたような気がして、本当に嬉しい。
そこからは少し休憩しながら歩いて、市街地を抜け、郊外まできた。
ルミナリス王国から見ると、セレネイド王国の端の端。
地図の果てに近い、忘れられたような場所だった。




