1話 波乱の前兆
ガクン!
「…うん?」
突如として体を襲った揺れによって俺はまどろみの中から引きずり出された。
体を動かそうとしものの、座ったままという慣れない姿勢で寝ていたせいかそこかしこの関節が思った通りに動いてくれない。しばしの間ごそごそと動いてようやくいつもの感覚を取り戻せた。
しかし先ほどの揺れは何だったのだろうか。
周りを見渡してみると、何人かは俺と同じようにキョロキョロとあたりを観察していた。
どうやら俺の気のせいというわけではないようだ。
だが、大半の人間はそのまま寝ており、起きていた者の大半も特に気にしていない様子だった。
どうやらそこまで心配するようなことではなかったのだろうか。そんなことを考えていると、前の座席から声が聞こえてきた。
「なぁ竜也、いまのって揺れってエアポケットってやつかな?」
顔をあげてみると、頭の生えた背もたれ…ではなく、クラスメイトの波田裕典が俺に話しかけてきた。彼の眼からはわかりやすいほどの好奇心と、わずかな興奮が見て取れた
「うーん、違うんじゃないか?そういう時はCAさんがアナウンスしたりするんって聞くし」
まぁ俺もよく知らないんだけど、と付け加えながら答える。実際、今思い返してみるとそこまで強い揺れでもなかったし、たまたま眠りが浅くなったタイミングだったから起きてしまっただけだろう。
「なんだぁ…初めての飛行機だからすっげぇ緊張したのによ、なんか拍子抜けたぜ」
波田はあきらかにがっかりした様子で肩を落としていた。どうやら俺が思っていたよりもこいつは緊張していたらしい。そういえば今回の修学旅行が人生で初めてのフライトだったらしいし、それも仕方がないか。そんなことを考えていると
「な~に少し笑ってるんだよ!はいはい、どうせ俺はこの年まで飛行機に乗ることができなかった田舎ものですよ!」
しまった、どうやら表情に少し出ていたらしい。安心してくれ、別にそんなことは思ってないさ。まさか、いつもはクールなキャラ…を演じようとしている波田の珍しい姿が見られたからとか思っているわけではない。…ん、待てよ?だいたい田舎者って…お前の地元、俺の家の周辺よりも栄えているじゃないか。
「それだと俺は超田舎者ってことになるんだが…」
友人のボケにささやかな突っ込みを返す。かくいう俺も家族旅行で一度だけ乗ったことがある程度なので、あまり人のことは言えないのだが。
一度話を始めてしまうと眠気もどこかへ行ってしまう。そのままこいつと話しでもするか。
チラリと腕時計に目をやる。あと二時間ちょっと。もうすこし寝ていたかったが仕方がない。
「そういえば連、おまえってさ…」
波田が何か言おうとしたその時、通路を挟んで横の席から鋭い声が飛んできた。
「そこの二人、ちょっと静かにしてくれないかしら。」
そこまで大きくないが、確実に聞こえる声量の鋭い声が飛んでくる。
通路を挟んで隣の席に目をやると、そこにはこちらを非難する目で見つめる女子生徒がいた。彼女はクラス委員長の一人である久瀬真希子。彼女を一言で表すとしたら「ザ・委員長」。これよりほかに的確な表現はないだろう。成績優秀で品行方正、生徒会にも書記として所属している超模範的な生徒だ。猫を思わせるような鋭い双眸は、わずかな校則違反も見逃さない。
「まったく、この機はほかのクラスが乗っている機体と違って一般のお客さん方もいるのよ。ほら、晃輝も何とかいってやってくれない?」
「はは、相変わらず久瀬は厳しいな」
そう言って彼女が話しかけた相手はもう一人の委員長である剣城晃輝だ。久瀬に並ぶほどではないものの優秀な成績を収めており、生徒会で副会長を務めている。スポーツも万能で所属している部活はないがスポーツも運動神経に恵まれてスポーツも万能。すらりと背の高く、それでいて鍛えられた肉体を持つ彼の肩の上にはこれまた整った顔が乗っかっている。これだけのものを持ち合わせながらも自分のことを鼻にかけることもないために、男女問わず彼を慕っている。
「確かに久瀬の言うことはもっともだ。まぁ二人とも、周りのお客さんに迷惑が掛からないくらいのトーンでな。」
そう告げると剣城は席を立ってクラスメイトの見回りに行った。このようなリーダーシップと責任感を人一倍持ち合わせている点も彼の人気の一因だろう。
「やっぱすげぇよな、晃輝のやつ。うちのクラスがまとまっていられるのもあいつのおかげだよ。」
先ほどよりも小さな声で波田が呟く。うん、俺もそう思う。本当にありがたい限りだ。
さっきは寝起きで喉が乾いていた故につい声が大きくなってしまった俺は、ペットボトルに手を伸ばす。
「…あっ、そうだそうだ。お前さ、羽月さんに告るのか?」
ゴホゲホッ!
「お、お前なぁ…!」
あまりの衝撃に思わず口に含んだ水を吐き出しそうになる。突然のことに驚きつつも、さっきの今だ、声のトーンはちゃんと下げる。というより…
「お前は、俺の隣に、誰が座っているのか、分かってるのか!?」
俺は声を抑えて叫ぶ。我ながら器用なことをしたとおもうが、それどころじゃない。そう、俺が告白しようとしている羽月は何を隠そう俺の隣に座っているのだ! この話を聞かれてやしないだろうかと、ちらと彼女の方に目をやる。幸いにして彼女の瞳は瞼に隠れていた。…波田ぁ、後で覚えておけよ。
「寝てるみたいだし大丈夫だろ。というか小学校から一緒なんだろ?なんでまだ自分の気持ちを伝えれてないんだよ…」
お前は臆病者かと暗に言われているようだが、これに関しては否定の余地がない。
彼女は小さいころからの幼馴染であり小中高とずっと一緒だ。気が付いた時には好きになってしまっていたが、もし告白して振られてしまったらと考えてしまい、今までたたらを踏んでしまっていた。
しかし、今の俺は違う。この修学旅行中に必ず告白して、返事を聞くのだ。来年は三年生になり本格的に受験に向き合わねばならない。そう考えるとこれが最後のチャンスなのだ。
改めて決心を固めながら再び彼女の方をちらと見やった。
ちょうどその時雲間から顔をのぞかせた月の光が、彼女の横顔を淡く映し出す。
セピア色の柔らかそうな髪が、光を浴びて仄かに煌めいている。淡いアーモンド色をした瞳は閉じられ、桜を思い起こさせる小さな唇はキュッと閉じられている。
いつも登校時に電車内で見ているはずの横顔なのに、今は、今だけはどうしても目を離せなかった。
普段の咲き誇る大輪の花のような眩しい笑顔をしているが、今の彼女はいつもの見慣れたそれとは違う。俯きながら僅かに揺れ動くその姿は、可憐なつぼみが風にそよいでいるかのようだ。月光に照らされていることも相まって、神秘的なまでの美しさを醸し出していた。
「…い竜也、竜也!」
波田が俺を呼ぶ声にはっと我に返る。
しまった!
彼女に見とれていたところを見られていたんだ、絶対冷やかしてくるだろうな。俺は表情にこそ出さないものの、内心では頭を抱える。
しかし、波田の口から飛び出してきた言葉は想定していたそれとはずいぶん異なっていた。
「なあ竜也、今の見えたか?」
今の?何のことだ?とりあえず先ほどの俺の姿のことではないようだとほっとしながら友人の顔を見て、ようやく彼が俺の顔ではなく窓の外のほうを見ていることに気が付いた。
「どうしたんだよ。UFOでも飛んでたのか?」
とりあえず、そうおどけた返答を返したその時。
ガタガタガタ!
先ほどとは比べ物にならないほどの激しい揺れが機体を襲った。




