第三十話 銀翼[榎本真嗣]
理由はいるさ。
俺は、俺には、今なら理由がある。
巻き込んだのだから、責任を取る、それが男として最低限の意地だろ。
特に、自分の好きな女なら、尚更に。
自業自得だと、傲慢だと蔑まれても構わない。
俺は、きっとあいつが好きだったから。
大丈夫、ほんの少しなら短刀を握れそうだ。
嗚呼、一つぐらいなら、何とかいけそうだ。
最後の、本当に最後の力。
彼女の微笑みがくれた力。
俺が、生きる最後に自分で尻拭いをして、そして、救われて逝ける力の欠片。
「強かったよ、お前は。俺よりな」
目を瞑ったまま呟く。
それに驚き、不意を突かれたのは幸利だった。
「な、生きて…」
幸利が勝ち名乗りを上げて何秒か後。
彼は確かに見たのだ、真嗣が息絶えたと言う確たる証拠である、彼が生み出した短刀が消えるのを。
幸利の方へと体を預けるように前のめりに倒れる。
そして、その手には一度は消えた、けれど、今確かに握られる彼の最後の短き刃。
「けど、俺の勝ちだ」
幸利は体が動かなかった。確かに一瞬の出来事だったが、それでも、動けないような速さでは勿論無かったし、現状体が受けているダメージ故に動けなかったと言う訳でもない。
では、何故体が動けなかったのか。
強いて言えば、殺気が無かった、そこに存在を感じられなかった。
生きる者ではなく、死に逝く者からの一撃。
だから、心臓に突き立った短刀を見ても信じられなかった。
真嗣がそうであったように、即死ではなくても、致命傷に間違いない一撃。
「な、てめぇ…」
喋ると口から鮮血が溢れ出る。
「男は好きな女の為なら、頑張れるんだよ」
理由は復讐でもなく、真実を知る為でもなく、そんな簡単で単純な理由。
ばーか、最後の、最後に結構まともだったろ、俺。
見えない誰かに笑いかける。
なぁ、飛鳥。
銀色に輝く翼はもがれた、だが、彼は最後に笑った。
もうすぐ夏休みが終わる、そんな八月末。
飛鳥は夕飯の買い物帰り、夕焼け空の下を歩いていた。
えっと、買い忘れは…。
買い物袋の中を確認する。
母親と自分とで夕食は交代制というのが宮野家のルールだ。
だから、今日は飛鳥の番。買い漏らしが無いか確かめるのに夢中で飛鳥は道すがら行き交う人を全く認識していなかった。
だから、唐突にかけられた声に驚く。
「やあ、飛鳥ちゃん」
「え…、あんた、誰よ?」
顔を上げてみると人が目の前にいた。自分に爽やかに声をかけるその人物に飛鳥は見覚えがなかった。
「はは、僕の名前は両莽士月。とまぁ、僕の事なんかどうでもいいんだけどね」
「はぁ?」
飛鳥は首を傾げるしかなかった。
意味不明と言えば意味不明。知らない人物から声をかけられ、挙句その人物は自分の事ははどうでもいいと言う。
普段、街などでもよく声をかけられる飛鳥からしてみれば、唯のナンパかと一瞬疑ったがどうやら違うようだ。
「何?私に何の用よ?」
とても危険な人物には見えなかったが、飛鳥は警戒だけはしつつも相手の目的を問いただす。
「伝える事があった…かな?」
「かな…って、舐めてんの、あんた」
青筋を立てながら思わず握り拳を作りそうになる飛鳥。
「おっと、そう怒らないで。う~ん…、どうしよう」
困った顔で笑い続ける士月は本当に困惑しているようだ。
「ったく、誰からの伝言よ、とっと言いなさい!私だって暇じゃないんだから」
今にも殴り倒されそうな剣幕に士月は背を向ける。
「またな」
「…」
飛鳥の動きが一瞬止まった。
だが、一瞬だけ。
「何それ、誰からの伝言よ、訳分かんないわよ」
「そうだね。君には分からないかもね」
歩き出す士月。
「誰からの伝言かは知んないけど、こう伝えなさい」
何気なく、告げられる彼が言うであろう言葉に対する返事。
「とっとと戻って来いって」
驚き、士月は思わず振り返っていた。そこにあるのは自分自身が今口にした言葉を訝しがる飛鳥の姿。彼女はきっと、今しがた己が口にした言葉の意味を理解していないのだろう。
自分でも何を口走ったのか分かっていないと言った体だ。
だから、士月は再び前を向いて歩きだす。
戦友との義理は果たした。
ただ、それだけの感慨が今は胸にあるだけ。
「ふふ、良い答えじゃないかい?真嗣」
誰に呟くでも無く、呟いた。