勇者と精霊
その日、二人は午後早いうちにたどり着いた小さな町で宿を取った。昨日まで連泊してた温泉宿に比べるとかなり質素な宿である。
「まだ余裕で歩けるけど」
「余裕のあるうちに休んだ方がいいのさ。長旅のコツ」
そんなことを言い交わしながら部屋に入り、夕食には宿の食堂で提供されるパンとスープのみのごく簡素な食事を摂った。
「あまり豪遊するのも不自然だし、今はどこも食糧難だからね。もし足りなかったら荷物から携帯食とか出せるよ」
部屋に戻った後でレイがそう言った。正直物足りなく思っていたルーチェがお言葉に甘えると、レイは自分の影の中から食糧をごそっと取り出した。大きなパンの塊やバター、干し肉、それにモモのシロップ漬けの瓶などがテーブルの上に並ぶ。
「前から気になってたんだけど、その影から物を出し入れするのは何なの? 呪文を唱えてないから魔法ではないよね」
ルーチェは自前のナイフでパンを切り取りながら尋ねた。
「私が契約している影の精霊の能力。色々と便利なんだ」
レイはニコニコしながら答える。
「精霊? そんなものがあるんだ」
「ルーチェもしようと思えば契約できるよ。というか精霊契約はいずれしたいところだね。戦力強化のためにも」
「僕も精霊と?」
「うん。どの精霊に気に入られるかは運次第というか本人の素養次第なんだけど。本当なら魔王討伐の旅に出る前に契約するはずなんだ。でも勇者の力があまりに強いと用済みになった後に殺すのも大変だからって、ルーチェの代からはなくなったんだよ」
「へぇ」
それからレイはルーチェに精霊の解説を始めた。
精霊とはこの世の万物を司る不思議の存在だ。
火、水、土、風のいわゆる四大元素を筆頭に、雷や氷のような自然現象に由来するもの。植物や動物のような生物の種に由来するもの。剣だとか金槌だとか帽子だとか人間の作った道具に由来するもの。様々なカテゴリーの様々な精霊がいる。新しいものが生まれれば新しい精霊が生まれる。
原始的で素朴な概念を司る精霊ほど強力な力を持っており、四大元素が最強格となる。
魔法の中でもその精霊の力を一時的に借りて為すのが精霊魔法。だが契約によってその力と一体化すればさらに大きな力を行使することができる。精霊契約は特殊な器を持つ勇者、言うなれば異世界人だけの特権である。
「ルーチェの名前の通り光の精霊と契約できたりしてね。四大元素の精霊よりもさらに強い原初の精霊。闇の精霊と並んで最強の精霊さ」
「影の精霊と闇の精霊は違うの?」
「違うね。闇の方が概念的に上位だ。でもまあ影の精霊もなかなか捨てたものではないよ。私の性分には合っているかな。特に影の中に物をしまえるのは便利」
「『ストレージ』とか『無限収納』言われるやつと同じか。それはきっと大当たりの精霊だ」
「ふふ。いざとなれば自分の身も隠せるんだ。影の中は息ができないから長時間は無理だけど。あと収納も無限ではない」
いかにもファンタジーな話にルーチェの瞳が興味の光を帯びる。「影の精霊以外にもいろんな変わった能力を持つ精霊がいる」と、レイは自分の知る限りの精霊について話してやった。
追加の食事を口に頬張りながらひとしきりそれらの話を聞いた後、ルーチェが前のめりに問うた。
「どうすれば精霊と契約できるの?」
レイはわずかに難しい顔で口を結ぶ。そして言った。
「精霊窟ってとこに行けばいいんだけど……そっか、もしかすると追手が待ち伏せてるかもしれないなあ」
「追手……フレイアたち、まだ僕を探しているのかな」
「もちろん。召喚した勇者を逃すのは莫大な損失だもの。そう簡単には諦めないさ。聖女、エスクローク家の面子もあるだろうしね」
それを聞いて今度はルーチェが難しい顔になった。
レイが軽い口調で励ます。
「だいじょぶじょぶ。気楽に行こうよ。いざとなればまたやり直せばいいだけだからさ。仮に聖女に捕まって恩寵を剥奪されたってヘーキヘーキ」
「気楽にって……てか、だいじょぶじゃなくない? 僕だけでなくレイの方も恩寵を剥奪されたらどうするのさ。聖女にはそれができるんでしょ?」
「彼女は私の顔も知らないんだよ。勇者だってことも知らない。それにさすがに二人いっぺんにそんな羽目にはならないでしょー。どっちかが恩寵剥奪されたら残った方がすぐ死ねばオッケーさ」
「軽いなぁ……」
しかしレイが変わらぬ軽さで言った次の一言はルーチェをドキッとさせた。
「フレイアを殺せば完璧に安全かもだけどね」
ルーチェはきっぱりと言った。
「それはやりたくない」
「そうそう、早まるのはいけない」
レイはその回答に満足の笑みを浮かべた。
「なるべく人を殺さない方がいい理由を教えておくね。それは人の命は何よりも重いとか、そういうきれいごとじゃない。物事が変わるほど未来も変わっていくからなんだ。つまり私の未来の知識や経験がちょっとずつ当てにならなくなる。すでに勇者のルーチェをさらったことでだいぶ変わってる手応えがあるけど、だからこそこれ以上は、といったところさ」
「そうなんだ」
「そうなんだよ。ほんの少しのことで未来がガラッと変わってしまうことだってある。特に人が死ぬってのは大きいからね。特に特に王様とか殺すとすごく変わる」
「最後のはほんの少しのことではないね」
「たしかに」
ルーチェの的確な指摘にレイは屈託なく笑った。
その後で不意に真顔になって言う。
「あともうひとつ人を殺さない方がいい理由。人を殺して解決することに慣れないほうがいい。元の世界に帰ることを考えたらね」
追加のその一言にルーチェは黙った。
勇者としての二年間で旅をしていた大魔域は魔物ばかりの地域で、それゆえに人を殺した経験はほとんどない。だが皆無ではない。魔域にわずかに住む人間たちはほとんどがワケアリの悪辣な者たちばかりで、ルーチェも自身や仲間たちの命を守るためになら、当たり前のように手を汚した。
勇者のなりたてに戻った今のルーチェの手はまだ汚れていないとも言えるが、今日は人死にが出る手段を第一の解決方法に選んでいた。明確な殺意があったわけではないが、野盗たちの命をなんとも思っていなかったのもたしかだ。その精神はもはや無垢ではない。そんな自分に気づき、少し愕然とした。
人の常識を外れる力を得たことで、心まで人の常識から変わってしまったのだろうか。
「ま、やらなきゃやられる時もたしかにあるよ。そんな時は私だって躊躇しない。でも私もたくさんのループで散々人を殺してきた身だから言えるんだ。殺しに慣れちゃうとリハビリはとても大変なんだよ?」
口を結んでしまったルーチェに対し、レイは茶化すように言った。
「平和な世の中ってのはつくづくありがたいよね。そんな嫌な選択をせずに済むんだから」
「そうだね」
ルーチェは短く答えて曖昧に笑った。
それから気がついたように聞く。
「そう言えば……レイの仲間たちはどうしたの? 聖女は」
「そっか、今回はまだ話してなかったね」
レイは少し困ったような顔となった。
「死んだよ。聖女と剣聖はね。もっと言えば私がこの手で殺した」
だがその口調は相変わらず軽い。
「賢者は生きている。まあ表向きには私も死んでいて、四人の勇者パーティの中で生き残ったのは賢者だけってことになってるのさ。実はこれから会いに行く魔法使いがその賢者だよ」
聖女と剣聖は死に、勇者と賢者だけが生きた。
ルーチェはその時の詳しい内幕を聞いてみたかったが、レイがそれ以上話そうとしない話をこちらから聞くことは憚られた。
それに自分の例からして何があったかはおおよそ想像できる。ルーチェだって人に聞かれても話したくはない。何しろ最低のことがあったのだから。レイには賢者だけでも味方してくれたのだろうか。だとしたら僕の最低よりも少しはマシな最低かもしれない。
それはそれとしてルーチェは自分の代から精霊契約が行われなくなった理由を悟った。
ルーチェの前の代の勇者がレイだ。勇者が使い捨てられるようになってから、初めてその運命から逃れた勇者がレイなのだ。




