勇者と野盗
ラスボスたる女神に挑む前にいくつかのクエストをクリアしなくてはならない、とレイは言った。
「さすがに今のルーチェじゃ女神を倒すのは難しい。経験を積んだり、アイテムを手に入れたりして強くなっていかなきゃ。どうかね。本格RPGっぽくなってきたのではないかね」
それを聞いたルーチェは熱く拳を握って次のクエストを心待ちにしたが、レイはさらに一週間ほどのんびり温泉宿に滞在した。
レイがようやく重い腰を上げるとルーチェは旅立ちを歓迎したものの、その表情はすぐに難しいものとなった。
レイは再び凛々しい男装姿となり、ルーチェは再び可憐な女装姿である。旅支度を整えている。
「さあ、新婚旅行の続きと行こう。ここからしばらくはのどかな旅だ。世界を見て回ろうじゃないか」
「新婚旅行?」
「結婚の感謝を女神様に伝えるために新婚の夫婦が巡礼の旅をする風習があるんだよ。もちろんある程度裕福な家でないとそんなことはできないけど。とにかくそういう設定だから。ルーチェは内気なかわいいお嫁さん。ややこしいことは私が答えるから、ルーチェはだんまりで通してね」
「内気なかわいいお嫁さん……」
ルーチェはやや面白くない顔でつぶやいた。
レイがごきげんで歩きだし、ルーチェもしぶしぶ横に並ぶ。爽やかな朝の湖を北に眺めながら、太陽を背に街道を西に進む。
ルーチェは今やレイの仕事を手伝う気で満々だったが、夫婦という設定にはいくらか物申したいことがあった。不満を隠さぬ表情をしている。
レイは街道の左右に広がる緑の景色に目を細め、楽しそうにしている。何かを言いたげなルーチェの視線に気がつくと、満面の笑顔を向けてきた。
その笑顔にルーチェは少しムッと来た。
「ねぇ、レイ」
「ん?」
「僕はあんまりひらひらしたのは好きじゃないんだ。せめて役割を逆にできない? 髪が長いのも邪魔なんだけど」
「んー、似合ってるけどなぁ。ルーチェはポテンシャルがあるんだから、おしゃれを楽しまなきゃもったいない。それにそのウィッグ、人によっては金に糸目をつけない奇跡の品物なんだよ?」
「そんなの知らないよ」
ルーチェの不満顔をレイは愉快そうに眺めた。
「ふふ。まあまあ、髪が邪魔なら私が結んであげるし。いずれにしろ追手の目をごまかすためにはこの組み合わせが最良なんだ。ごめんだけど我慢してもらうしかない。国家に追われる身なんだからね、我々は」
追手の目をごまかすため。そう言われるとルーチェもそれ以上は強く言うことができなかった。
「それより、ほら。辺りを見てごらんよ。ここはアーレイン平原と言ってね。新緑の時期は特に最高なんだ。少し盛りは過ぎてるけど、こんな景色、大魔域ではとても見られなかったでしょ?」
レイが両手を左右に広げて指し示す。
見渡す限り広がる草原のところどころに灌木が生えている。頬を撫でる風に爽やかな草の香り。その眩しく若い緑の中、石畳の街道が緩やかな上りと下りを繰り返しながら遠く伸びていた。はるか遠くには村と思しき家々の影もかすんで見える。
勇者であったルーチェは、王都でのお披露目が終わってすぐに東に海を渡り、大魔域と呼ばれる辺境へと赴いた。
温泉宿の湖畔の景色もそうだったが、この異世界にこんなに穏やかな土地が広がっていることに少し驚いている。荒れ果てた魔域の風景がこの世界の当たり前だと思っていたのだ。
「この道はどこまで続いてるの?」
「中央街道。この国を真一文字に横断して国境より先まで、そのまま隣の隣の隣の国まで伸びている。国境の町では国をぐるっと円を描いて一周する周回街道と交差してるよ」
ついでにレイは説明した。大陸には七つの国があり、この国はそのうちのひとつ。南東の端にあって、西と北でほかの二つの国と陸続きに接している。
「世界は広いのさ。ルーチェが行きたかったらほかの国に行くのもありだよ。どこにだって案内しちゃう」
「クエストはいいの?」
「クエストの発生はタイミング、時期もあるからね。そんなにカツカツのスケジュールにはならない」
レイはにっこりと笑った。
「どこに行ってもいいけど、でもまずは北西の山地に行かなくちゃだ。そこで人に会う用事がある。そしたら改めて今後の方針について話し合おうー」
「了解」
その返事の後、一拍を置いてルーチェが尋ねた。
「誰に会うの?」
「古い知り合いの魔法使い。送還の魔法を研究してもらってるんだ。そのための届け物をする。これは私たちが元の世界に帰るために必要なクエストと言えるかな」
「送還の魔法」
「そう。ラスボスを倒した後、私とルーチェが日本に帰るためのね。今はまだできてないけど、二年後には確実にできるとわかってるから安心して」
そこまで話したところでレイがピタリと足を止めた。ルーチェの腕を取ってぐいっと引き寄せる。
「な、なに?」
ルーチェが戸惑いの声をあげた。近くなったレイの顔を見上げている。
「あそこに誰かいる」
レイは少し先にある灌木の茂みをまっすぐ見ながら言った。そのずっと上空を一羽のカラスが円を描いて飛んでいる。レイの使い魔の九郎だ。
「追手?」
「いや、たぶん野盗か何かかな。こんなところで襲われるのは初めてだなぁ」
それきりレイは口を結んでやや要領を得ない顔をしている。どうしようかと考えている風だ。
「人数は?」
「十人とちょっとってとこ」
尋ねるルーチェの声と表情は勇者のそれに変わっていた。一方、レイの方にそれほどの緊張感はない。
「剣を出してくれる? 僕が突っ込んで様子を見る。アンカーはもう設定したから」
勇者ならではの決断と提案。死ぬことは織り込み済みだ。
「待ちたまえバーサーカー。もっと穏当な『様子を見る』でいい」
真顔で押しとどめたレイは噛んで含めるように言った。
「だいたい殺すだけなら余裕だからね。殺さないで切り抜けるにはどうしたらいいか。それを考えてるんだ」
「野盗なんでしょ?」
「野盗だけどね。よく見たらずっと先に見える村の村人なんだよ。以前のループで見知った顔がいる」
「村人!?」
「そうだよー。今は飢饉でどこも苦しいからね。生きるため。彼らもやりたくてやってるわけじゃないさ。前々のループで色々あって心情的には借りもある。一方的な断罪は避けたいかな」
ルーチェは思いもよらぬ解説に黙った。
「でもそうか。ルーチェのアンカー。ならあまり考えず色々と試してみよっか」
そう言って再び歩き出したレイの横をルーチェも進む。
ややもして街道の左右に灌木が生い茂る場所に差し掛かると、前に棍棒を構えた男たちがぞろぞろと姿を現した。同じく後ろからも。いずれも手拭いで顔の下半分を隠している。レイとルーチェは立ち止った。前後を男たち、左右を灌木に塞がれたかっこうだ。
「やあ、お二人さん。少々いいですかな」
ずんぐりとした男が前に出た。半覆面の上からでもわかる恵比須顔。人畜無害な笑顔で語りかけてくるが、手にする棍棒は物騒この上ない。そのコントラストが男をいっそう危険に見せている。
「なんでしょう」
レイが落ち着き払って言った。
「金目の物を置いて行ってもらいましょう。そうしたら命までは取りません」
「でしたらこれを。これで勘弁していただけませんか」
恵比須顔のストレートな要求に対して、レイは懐から取り出した財布を差し出した。恵比須顔は顎で合図をして手下にそれを取らせる。手下から受け取った財布の重みにおやっという顔をし、それから開けた中身に目を見張った。財布の中には小さな村の村人全員が数年は余裕で暮らせるほどの金貨銀貨がぎっしりと詰まっていた。
「こ、こんなに」
その声は恵比須顔の横から財布の中身をのぞいた手下のものだ。
男たちはそれから財布をのぞきこんで銘々に喜色に満ちた声をあげた。「どうした!」と聞く後ろの者たちに「すんげえお宝だ!」と叫ぶ。
しばらくひそひそとやった後、恵比須顔が言った。
「いいでしょう。お通りください」
「待て」
だが後方から待ったがかかった。ひときわ大柄のあばた面。見るからに粗野な男である。
「俺は金よりも女がいい。おい、男の方は行っていいぞ。女は置いていけ」
「これは私の大切な妻です。新婚巡礼の途中なのですよ。どうか後生ですから」
「うるせぇ! せっかく見逃してやるってのに、命を粗末にしてえか! 安心しな。お前の大事な嫁さん、これからは俺が大切に可愛がってやるからよ。お前の代わりに末永くな」
恫喝の後の舌なめずり。あばた面の舐めるような視線にルーチェは怖気をふるった。思わずレイの背にしがみつく。
見れば同じような薄ら笑いを浮かべている男たちが半数。恵比須顔はやや表情を硬くしているが、あえて止めることはない。
レイは深くため息をついた。
「なるほど。思ったよりも下衆でショックだなぁ。なんか手慣れたかんじだし、こいつはショックだ。まあ誰も虐げられる側にばかりはいないか」
言うと同時にレイの影から何かが射出される。うめき声も上げずに倒れたあばた面の顔面には拳大の石がめり込んでいた。ほぼ同時に男たちの半数が声をあげて倒れた。肩や腹に目にも止まらぬ石礫を受け、苦痛に呻いている。
まだ立っているのは恵比須顔をはじめとして、ルーチェに不埒な目を向けなかった者たちだ。
「ま、魔法使いだ!」
無事だった男の一人が腰を抜かす。
実は魔法とは違うのだが、レイは訂正することはない。
平坦な声で言った。
「動かないでくださいね」
表情こそ穏やかだが、体から発する空気はその真逆の威圧感に満ちている。色めき立っていた男たちは沈黙し、金縛りのように動けなくなった。
レイはどっと脂汗を流す恵比須顔に近づき、その手から財布を取り上げる。
「欲張りすぎるとかえって損をする。教訓ですよ」
そう言いながら大きな金貨を一枚取り出し、見せびらかすようにしてから恵比須顔の手の平の上に置いた。
「これは通行料」
そしてもう一枚。
「これは治療費」
さらにもう一枚。
「これは口止め料」
最後ににっこりと笑って言った。
「私たちのことは他言無用。もし風の噂にでも聞いたら、あなたたちの村を皆殺しにしますからね。いいですか、エヴァンスさん」
「! ど、どうして私の名前を……」
「あなたにかわいい二人の娘さんがいることも知っていますよ。アイリとマアナ。笑顔の素敵なとってもいい子たちですよね」
エヴァンスと呼ばれた恵比須顔は青い顔をこくこくと上下させた。レイは屈託のない笑みのまま辺りを見回し、立っているほかの者たちの名前も順番に呼んだ。そうして全員を震え上がらせた後、「皆さんもお願いしますよ」と念を押す。
そうして呆然と立ち尽くす男たちを置き去りにして、レイとルーチェはその場を後にした。
しばらくしてからルーチェが尋ねる。
「放っておいていいの?」
「あれは私たちがこなさないといけないクエストとは違う。いちいち成敗してたらキリがないんだ。それに人死にはできれば避けたいからね。一度でいいかんじに切り抜けられてよかった」
「でも放っておいたらほかの人たちが死ぬ」
「それはあの人らを殺した場合も同じ。だったら余計なことはしない方がいい。まあすぐにわかるよ」
それから数時間もしないうちに朝から遠く見えていた村を通り過ぎる。
見るからに貧しく寂しい村だった。畑に出て働いているのは老人や女ばかりでみなやせ細っている。子供たちの笑い声も聞こえない。
神妙になったルーチェの顔を見て、レイは言った。
「飢饉さ。魔王のせいなんかじゃないよ? 一昨年と去年は雨が少なかったからさ」
「そうなんだ」
ルーチェはそれだけしか言えなかった。野盗を殺せば誰かが死ぬ。誰が死ぬのか、その意味が理解できたのだ。
その横顔を見ながらレイが言った。
「まあ今年はきちんと雨が降る。野盗も当分は出ないよ。さっき渡したのは虎の子の聖堂大金貨だ。次の収穫までは余裕で食いつなげるんじゃないかな」




