勇者とランクEクエスト
温泉宿でくつろぎの日々をすごしながら、レイとルーチェは趣味の話で熱く意気投合した。レイは小説やマンガが、ルーチェはマンガやアニメ、ゲームが趣味で、両者ともに特にファンタジーが大好きだった。もちろん異世界ものも大好物だ。
「勇者召喚はだいたい五年ごとに行われるんだけど、こういう話できるのルーチェだけなんだよー。ほかの子らは全然でさ」
レイは繰り返すループの中で、今より未来に起こるルーチェ以外の勇者召喚もことごとく邪魔してきたらしい。が、趣味の合う話し相手はルーチェしかおらず、今は同好の士と語り合える幸せをしみじみ噛みしめている。
まったくやったことがないという割にはレイはゲームの話にもけっこう詳しかった。そのゲーム知識はすべてルーチェから聞いた話であるという。ルーチェにしてみれば自分が話した覚えのない話。それを話したと言われるのはやはり戸惑う。
二人の召喚には五年の時間差があるにもかかわらず、奇妙なことに二人の元いた時間にさほどの隔たりはなかった。
元の世界の時間はひと月とちょっとしか違わない。こちらで一年過ごしても、向こうでは一週間しか経過していない計算である。
異世界と現世で時の流れの速さが違うというのは、浦島太郎のようなおとぎ話や様々な妖精譚であるあるの話だ。レイとルーチェはそのことでも少し盛り上がった。
一週間ほどが経ったところで、レイが不意に言った。
「さて、ちょっと腕試しをしに行こうか」
宿の女主人に少し遠出すると言って一泊二日のお弁当を作ってもらい、男装と女装の初々しい夫婦の体で森の湖沿いを北に歩き出す。
少し行ったところで二人は変装を解き、茂みの陰で動きやすい本来の姿となった。レイが使い魔で周囲を確認して声をかける。
「ここから先は誰もいない。出てきていいよ」
茂みから現れたルーチェは軽装の鎧に立派な剣を下げた勇者らしい恰好となっていた。装備ばかりでなく目つきもどこか凛々しい。
レイが軽く装備の説明をする。
「剣も鎧もまあ普通の装備だ。どちらも一流の職人が作った逸品ではあるけど、特に魔法がかかった品というわけでもない。今日の相手は武具に頼るほどの相手じゃないからね。腰のポーチに入れたポーションは青が回復、黒は自決用の毒薬だ」
説明を聞きながらルーチェはビュンッと剣を試し振りする。
「十分すぎる。ゴブリン程度、これでいけるよ」
「ふふ。期待してるよー」
ルーチェは見違えるように意気揚々としていた。勇者として魔王の城に乗り込んだ時と同じ目をしている。
二人はこれから湖の北岸に根を張りつつあるゴブリンの巣を潰しに行く。
ゴブリンは緑の肌をした子供ほどの背丈の魔物で、ファンタジーでは定番の雑魚モンスターだ。
この世界のゴブリンは力は弱いくせにやたら凶暴、知能は獣並のくせにやけに狡猾。自分たちより弱そうな人間を見ればまさしく獣のように襲いかかり、殺して食ってしまおうとする。雑食であり別に人間を主食にしているわけではないが、目の前に食える肉があるなら食わない理由はないといったところだ。狩りの獲物としては人間はのろくて捕まえやすい。
「ここのゴブリンを放っておくとかなりやっかいなことになってね。洞窟に大発生したキノコを餌に人知れず増えて、やがては王都が包囲されるまでになってしまう。さすがに陥落はしないけど、周りの町や村はめちゃくちゃにされちゃうんだ」
レイはいつかしたようにルーチェと手を握った。地を埋め尽くして王都に迫るゴブリンの大群を鳥の視界で俯瞰する。ルーチェはそんな映像を脳裏に見た。視覚共有の魔法は過去の記憶の視覚も共有できる。
ゴブリンは最弱の魔物ではあるが繁殖力が強く、一匹見たら十匹いると思え、とゴキブリみたいなことを言われる。実際、半年単位で倍々に増えていくらしい。その数の力はあなどれず、人間の小さな集落を滅ぼすことも珍しくはない。今見ているのはそれが極まった景色だった。
「でも今のうちに叩けばそれも防げるってことだね? 腕試しついでに」
「そういうこと」
「未来知識チートだ」
「ふふふ」
それはルーチェの言う通り、レイが繰り返すループの中で経験した未来の出来事の知識である。
半日ほど湖畔を歩いたところで川を少し遡り、新緑鮮やかな山の中に入っていく。獣道の藪を掻き分けて一時間ほど上ったところに洞穴が口を開けていた。今の時間、夜行性のゴブリンはあの中で眠っている。
「よし、じゃあ行ってくる」
この仕事はルーチェひとりに任せると、昨日のうちに話がついている。
「あ、その前に」
レイはやる気満々のルーチェを引き留め、影の中からとっておきのバタークッキーの包みを取り出した。冷たいコーヒーの入った水筒も同時に出して、適当にあった岩に腰掛ける。
「ここでアンカーお願い。食べる前にね」
「何度も食べられるように?」
ルーチェがわずかに呆れて問うと、レイはニヤリと笑った。
「アンカーを打ったらルーチェもおあがりよ。王都の老舗フェデル・エデルの至高のバタークッキーだ。食べたら心置きなく行ってきてくれたまえ。何度でも逝ってくれてかまわない」
「一回もやり直さないかもしれないけどね」
「それはどうだろう」
ルーチェが立ったままクッキーをかじる横でレイはニコニコと笑った。そこに一羽のカラスが舞い降りてくる。レイは「九郎もお食べ」と使い魔にもバタークッキーを振る舞った。
口に含んだ欠片が柔らかくほろほろと崩れ、濃厚なバターの風味と上品な甘さが広がる。
レイは一枚をかじった後、目を閉じてほっぺを押さえているが、ルーチェは三枚のクッキーを次々と胃の中に送り込む。さっさと自分の分を片付けると、レイに教わったばかりの魔法で明かりを灯し、早速洞窟へと入っていった。
手を振って見送ったレイは残りのバタークッキーを眺めてペロリと舌なめずり。コーヒーを一口飲むと、本を取り出して木漏れ日の中で優雅に読書を始めた。九郎はその傍らで羽を休めて目を閉じた。
そうして一時間ほどが経過した頃。
気がつけばルーチェがすぐそこに立っていた。レイの手にはさっき食べたはずのバタークッキーが復活している。
「やあ、お帰り」
「すごい数だね! いくら倒してもいくらでも出てくる」
ゴブリンの数に押し負けて死に戻ってきたのだ。しかし負けたにしてはその声は明るかった。目をらんらんと輝かせたまま、すぐにまた洞窟に向かおうとする。
「まあ、待ちたまえ。ちょっと休憩。クッキーを食べてから行きなよ」
ルーチェはレイの手から再び三枚のクッキーを受け取ると、一気にすべてを口の中に押し込む。
「何部屋進んだ?」
「じゅっふぇや」
レイが問うとルーチェはお行儀悪く口をもぐもぐさせながら答えた。
「一時間ほどで十部屋か。まあまあだね」
入口の向こうの鍾乳洞はかなり広大で、広くなった場所を部屋と数えれば全部で大小数百部屋もの空間がある。だがゴブリンが入居しているのはまだ手前のごく一部。せいぜい三十程度だ。
「もっかい行ってくる」
ルーチェはクッキーを飲み込むや否や、再び魔法で明かりを灯して洞窟の中へと突撃して行った。
「やれやれ。ほんとに猪みたいだなぁ」
レイは苦笑しつつバタークッキーをかじり、コーヒーを一口すすった。九郎はクッキーをひとしきりついばむと、また先ほどと同じように主人の隣でまどろみ始めた。
それからルーチェが死に戻って来るたびにおやつタイムを挟み、レイは三冊ほどの本を読み終わった。
血まみれのルーチェが洞窟から出てきたのは、初夏の遅い黄昏が近づく頃だった。
「お疲れ様」
「ほんとに疲れたぁ」
見る者をぎょっとさせるような凄惨な姿にもかかわらず、ルーチェは心地良い疲れに半ば放心したような笑みを浮かべていた。頭からかぶった血はすべて返り血。やり切った者の笑みである。
レイがパタンと本を閉じ、影の中にしまって立ち上がる。
「ぱぱらぱー♪ ルーチェはランクEクエスト『アーレイン湖畔のゴブリンの殲滅』クリアした」
祝福するように笑顔で両手を大きく広げた後、パチパチパチと拍手する。
「ランクEクエスト? 実はこの世界にはそういうのがあるの?」
「いや、わかりやすく気分が盛り上がるかなって。私が適当に考えたやつ」
ルーチェが不思議そうに聞くと、レイはあっけらかんと答えた。
「なあんだ……ちなみにほかにもあるの?」
ルーチェはつまらなそうな口ぶりながらも興味が隠し切れない顔をしている。その様子を見たレイは得意顔で言った。
「色々と用意してあるとも。ちなみにランクSが一番難しい難易度だよ」
そこでルーチェはちょっとした興味に駆られて尋ねた。
「千年の魔王討伐はランクいくつ?」
「うーん……Aかな? いや、Bかな?」
「B? あれで?」
ルーチェは軽く瞠目した。魔王として戦ったレイはそれまで見たこともないような強さだった。あれがB?
レイは軽い調子で言う。
「パーティの仲間が弱かったからねぇ。たとえば私が仲間だったらルーチェはもっと簡単に勝ててるよ」
「……そりゃ本人同士は互角なんだからそうだろうけども」
続いて軽く尋ねた。
「ランクSは?」
「ラスボス。私一人じゃどうやっても勝てないくらいの難易度。ルーチェの力を借りたいというのもそれゆえさ」
「へぇ……それを倒せばもう勇者召喚は起こらなくなるってこと?」
「そゆこと」
「どんな敵なの?」
「ふふーん。どんな敵だと思う?」
「……ドラゴン?」
「ドラゴンかぁ。ドラゴンもランクSあるかも。でもラスボスはドラゴンじゃない」
「じゃあ何なの?」
「なんでしょう」
「もったいぶらないで教えてよ」
「ふふ。それはなんと女神さ」
「女神……?」
予想だにしていなかった答えにルーチェは驚くというよりも釈然としない顔となる。
「だいじょぶ。そんなに捉えどころのない相手ではない。実体があるし命がある。殺せる相手だよ」
「だいじょぶって……そもそも殺して大丈夫なの? 一応この世界で信仰されてる神様なんだよね?」
「神と言っても信じられてるそのままの存在ではない。実のところは神というより、神と呼ばれるくらいに力ある何かといったところかな。倒してしまっても何ら影響はない。あるとしたらその女神が司る勇者召喚ができなくなることくらいさ」
すぐには飲み込めないルーチェを前にレイは続ける。
「ちなみに信じられてるのはこの世界というか、この国でだね。別の国ではまた別の神様が信仰されてる。っていうかまあ、実体と信仰は別物だ。実体がいるなんてほとんどの人はもう知らないし、信仰は信仰で独り歩きしてるから大丈夫だよ。信仰なんてぜんぶ気のせいだから。そこは元の世界と同じ同じ」
さすがにぜんぶ気のせいは暴論ではなかろうか。ルーチェはそう思ったが口には出さなかった。
「……でも異世界に憧れてたら本当に異世界に呼び出されたって考えると、実は神様はいるのかもねぇ。悪魔かもだけれど」
目をそらしてそうつぶやいた後、レイは鼻を指でつまんだ。
「ところで今まで我慢してたんだけど、君、すごく臭い。湖まで先に行って水浴びしててよ」
ゴブリンの血はただでさえ臭い。それを全身に浴びているのだから、今のルーチェは歩く汚物も同然だった。
すっかり鼻が麻痺しているルーチェは「そうかな?」と要領を得ない顔をしたが、存分に暴れて気をよくしていたこともあり、素直に聞いて山を下って走って行った。
その姿を見送った後、レイはひとつため息をついてつぶやいた。
「まさか本当に手伝いなしでクリアするとはねぇ。剣筋もめちゃくちゃ。魔法だってろくに使えない。それでも死にまくって強行突破は呆れちゃうなぁ」
実力は未熟にもかかわらず最高に上振れするまでリトライを繰り返す性根。空恐ろしい。もっともその空恐ろしいものこそレイが頼みとするものなのだが。
レイはそれから洞窟の入り口を振り返って言った。
「さて、取りこぼしがないか、軽く確認してから行こうかな」




