勇者と異世界召喚
夜も更け、隣のベッドではレイがすうすうと寝息を立てている。ルーチェは毛布にくるまりながら、まんじりともせずに考え続けていた。
体感では千年の魔王に止めを刺してからまだ丸一日経つか経たないかだ。そのたった一日の間にすべてがひっくり返ってしまった。
頭の整理も心の整理もとても追いつかない。突き詰めれば何が本当で何が嘘なのかも確信が持てない。
「勇者召喚……」
ルーチェは思わずつぶやいていた。それがすべての始まりだ。
勇者や異世界召喚という概念にはルーチェもゲームや漫画やアニメで親しんでいる。
ついでに言えば引き籠りニートが異世界でワンチャン。そんな都合のいい物語にも。
ひとりゲームをしていた自宅のリビングから、不意に見覚えのない、しかも怪しい魔法陣がある部屋に裸で瞬間移動したにもかかわらず、どこか平静を保てたのはそのためだ。
むしろ不意に訪れた奇跡に胸の高鳴りを禁じ得なかった。冴えない自分が特別な存在となって異世界を旅する。それはルーチェにとってまさしくワンチャンだった。
夢ではない実際の勇者召喚。
それはこの国で古くから幾度となく行われてきた。王家だけに伝わる、異世界から強力な力を持った勇者を呼ぶための儀式である。勇者は『チキュウ』という世界の『ニホン』と呼ばれる国からやって来る。
時の国王が勇者を呼ぶ理由。それは常に同じだ。
国を脅かす魔王と呼ばれる存在を倒すためである。
いつの時代も不意に生まれて、配下の魔物たちや、邪なる企みでこの国の安寧を乱す者。それが魔王だ。
聖女、剣聖、賢者。勇者は当代で最も優れた女僧侶、剣士、魔法使いを仲間に加え、やがては必ず魔王を倒す。
そして役割を果たした勇者は栄誉と女神の報酬を手に元の世界へと送還されるのだ。
十六歳の地味な女子高生、石動聖光が召喚された直後に聞いた説明はそのようなものだった。
直後というのをより正確にいえば、聖女フレイアによる祝福を受け、女神の恩寵を授かった直後。
聖女が女神の恩寵の儀を執り行うまでの三日間、ルーチェはまったく異世界の言葉を理解できなかった。恩寵を授かったとたん、この世界の人々と言葉が通じるようになった。
とっさに「イスルギヒカル」と名乗った彼女は、それから「勇者ヒカル」として魔王討伐へと旅立った。
ところが――その勇者としての冒険の果てに待っていたのは、それまで苦難をともにした仲間の裏切りだった。ルーチェはまだそのバッドエンドが嘘であってほしいと、半ば願っている。
だが半ばは「やっぱり」という気持ちもある。つい口に出た。
「結局はやっぱりこうなるんだな、僕は」
朝起きて朝食を終えてもルーチェは鬱々としていた。
昨日は温泉で少し気が晴れたと思ったが、久方ぶりのベッドでゆっくり考える時間は、かえってその胸中をどんよりと濁らせた。特にどうにもつきまとって追い払えないわだかまりがある。
聖女フレイア。親友だったはずの彼女のことだ。
彼女は異邦に召喚されたルーチェに対してとても親身に面倒を見てくれた。今まで生きてきた中で一番の友達。そう思っていた。しかしフレイアは僕を裏切った。
もうどうでもいい人間。剣聖や賢者と同じくそう見なしてさっぱり忘れてしまいたい。さすれば彼女に対しても何も感じなくなる。完全なる他人として無関心になることができる。
ところがフレイアのことだけはそう簡単に忘れることができなかった。親友が親友でなかったという過酷が胸を苛み続ける。
ここまで酷い気持ちになったのは人生で初めて。いや、二度目くらいだろうか。思い出しては痛みに耐えるようにきつく目を閉じ歯を食いしばる。とにかくつらい。レイの頼みを受けるかどうか。そんなことを考えている余裕なんてなかった。
レイはそんなルーチェを見て見ぬふりでしばらくそっとしておいた。が、見ぬふりをしながらも何かとそわそわする動きは止められない。落ち込むルーチェの周りを静かに右往左往し、結局は一時間としないうちにそわそわが限界を迎えた。
あくまでさりげなくを装って声をかける。
「そうだ。今後のフレイアたちのことを教えてあげようか。私がルーチェをさらったらどうなるか。知りたくない?」
ルーチェの目の色がわずかに変わった。
「教えて。これからフレイアはどうなるの?」
物語には主人公がいなくなったことで元の仲間が勝手に凋落するパターンもある。ざまぁ展開というやつだ。だがそんなものとは関係なくルーチェはフレイアのことがどうしても気にかかった。
「これはルーチェが勇者にならなかった時の話だから、今回は違った展開になるかもしれないけど」
そう前置きしたレイが言うには、フレイアたち三人は任を解かれて聖女でも何でもなくなり、それぞれの人生を歩むのだという。
フレイアはざまぁというほどひどい目にあうことはないが、少なくとも栄達の路線からは外れる。単なる一僧侶として教会に仕え、結婚もせずに老いて死ぬ。ついでにボルダートも北方の砦に左遷されてパッとしない一生を過ごす。
「騙されて殺された身としてはこの程度じゃ物足りないかもしれないけど、もともとそんなに悪人ってわけではないからね。彼女らも王の命令に逆らえなかっただけなんだ」
悪い人間ではない。たしかにそうかもしれない。
フレイアの優しさが全て嘘であったとは逆に信じられないし、あまり親しくはならなかったボルダートも普段の立ち居振る舞いから律儀で真面目な性格であることは伝わって来ていた。王命に逆らえなかったというなら彼女らは彼女らの役割を果たしただけなのだろう。
ただ残る一人については疑問の余地があった。
「クライグも?」
「あれは悪というより小物。クズかな。自分が一番賢いと思っている人間の典型。彼だけは明らかにざまぁっぽく死ぬんだけど……まあ話したって大して面白い話でもないから」
端的なレイのクライグ評はルーチェにもしっくりくるものだった。
クライグは勇者であるルーチェを表向き尊重する態度は見せたが、一方でどこか下に見る態度も隠し切れずのぞいた。フレイアとボルダートのことも同じく見下していた、というか自分以外のすべてを見下しているかんじだった。
あまり好きではなかった賢者に関する印象が一致したことでルーチェは納得した。フレイアたちのすべてが嘘ではなかったのだと知って、いや、そう信じて、ちょっと救われた気持ちになる。
そしてフレイアのことを一方的に悪し様に言わなかった。妙なことだがルーチェはそのことでかえってレイを信頼する気になった。
「ひとまずレイについて行くよ。それくらいしか今の僕にできることはなさそうだし」
吹っ切れたルーチェの前向きな言葉にレイはニコニコ顔となった。
それからルーチェはレイと色々な話をした。主に前のループの自分とレイのことをだ。
すると普通ならば誰にも話さないようなプライベートな話までレイは知っていた。以前のループのルーチェはレイと何年も過ごして、かなり親しい間柄になったという。もしかすると今回もそうなるのだろうか。
「前と同じような冒険もしようか」
満面の笑顔のレイが言うには、以前のルーチェは勇者でなかったにもかかわらず、「超体力オバケ」「にわかな霊長類最強」とでもいうような身体能力を頼りに、楽しく剣を振りまわしてこの世界をあちこち見て回ったそうだ。
自分のことながらうらやましい。海の向こうの大魔域での過酷な戦いと旅の日々は楽しいよりもきつい方がずっと多かった。
「ルーチェとの旅はいつも楽しかった。今回だって楽しい旅になるはずだ」
そこまで言ってレイは吹き出した。
「にしても君ってばつくづく猪武者だよね。勇者になってからはさらに拍車がかかってたみたいだけど」
勇者でないルーチェは死に戻りの力がないくせに、たびたび無茶をして死にそうになっていたそうだ。
またいくら死に戻りするからと言って、怯まず死に向かって繰り返し突撃していくような勇者はなかなかいないらしい。たとえば千年の魔王との戦いの時だって、普通ならあんな回数死ぬ前に心が折れて仕切り直しを考える。
「そうかな」
ルーチェはキョトンとして言った。
必ず勝ちを拾えると想えば痛いのなんかへいちゃらだ。逆にどうして引き下がるのかわからない。ああすればよかった、こうすればよかった。そんな反省をいちいち検証しながらやり直せるのだし。
RPGの先が気になってやめられない感覚。あるいは頭に浮かんだ攻略法をすぐに試してみたくなる感覚。時間を忘れて徹夜くらい余裕でしてしまう。元の世界でいえばそんなものに似ている。
なにしろ体力だけは有り余るほどにあるのだ。
そこでレイは思い出したようにくすくすと笑った。
「そういや自分のほかにも恩寵を持つ勇者がいるってのは少し煩わしくってさ」
なんとなればどちらかが死ぬたびに時間が巻き戻る。ルーチェはどんな強敵相手にも死に戻りのゴリ押しで勝利をつかんできた。ゆえにルーチェが難所に差し掛かるたびにレイは目まぐるしい時間の繰り返しに巻き込まれていた。
「さっきご飯食べたはずなのに、時間が戻ったらお腹が減ってるんだよ。最初は何回も食べれてラッキーと思ったけど、さすがに食べるのが面倒臭くなって、ずっと空腹のまま我慢してたこともあったっけ」
一方のルーチェには不意に時間が巻き戻った記憶がない。今回二年戻ったのが初めてのことだった。
「そりゃ、普通に過ごしてたらそうそう死にはしないよー」
「アンカーポイントを更新しないまま、そんな長く過ごして大丈夫なんだ」
死した勇者が戻る時と場所を記憶したアンカーポイント。基本的に毎日更新するようにとルーチェは言われていた。死に戻った勇者と周囲のものとの認識がずれすぎないための措置で、はるかな昔から定められていることだと。
「私も最初はそうしていたけど、そのうち長く間隔を空けるようになったかな。実はアンカー打った時点でもう詰んでたとか怖いじゃない? たしかにちょっと混乱することもあったけど、慣れれば意外と平気なもんだったよ」
「最高で何年戻ったことあるの?」
「そうだな。五十年くらいかな。そこまで長いのは一回だけだけど、十年や二十年くらいは普通にある」
「へぇ……」
「だから精神年齢は割とお婆さんなのさ」
「とてもそんな風には見えないけど」
「あらうれしい。お若いだなんて。お世辞がお上手ですこと」
「……たしかにお婆ちゃんの物真似はすごくうまいね」
ルーチェが真顔で言うと、レイはからからと笑った。
「で、具体的にはこれからどうすればいいの。勇者召喚のシステムをぶっ壊すには」
「詳しくは追い追いね。まずはゆっくり休もうよ。なんだかんだ心もすぐには追いつかないだろうし」
「僕なら大丈夫だよ。今すぐにも動ける」
「まだ少しだいじょばない顔してる。ルーチェ観察歴十年のキャリアを舐めないでほしい。それに私もしばらくのんびりしたいんだよ。しつこい誰かさんと散々戦った後だしぃ」
それからレイは勢いをつけて立ち上がり、まだ何かを言おうとするルーチェの手を取った。
「それにここでのんびりするのは追手を撒く最善でもあるのさ。休むのも仕事のうち、ということで一石二鳥。さ、またお風呂に行こ。朝から温泉なんて、最高の贅沢だ」




