勇者と追手
草なびく平原を進み、鳥の鳴き交わす森林を越える。渡し船で雨煙る大河を渡り、青空の下で峠道の見晴らしに目を細める。
大魔域の荒れ地では見られなかった多彩かつ雄大な景色に、ルーチェは異世界での旅を満喫していた。その素晴らしさたるや、意に沿わぬ長髪のウィッグやひらひらの服への不満も忘れるほどだ。
レイと並んで街道をてくてく歩き、道中の町や村で一晩軒先を借りる日々を繰り返す。土地土地でレイが都度都度してくれる解説に感心の面持ちで耳を傾けた。優秀なガイド付きの異世界ツアーは毎日が新しい驚きに満ちていた。
そうして半月ほどが経った頃。レイとルーチェは商業都市フェルドの東門へとたどり着いた。
間近に見上げるのは王都デンフィードに負けないほど立派な城壁。開け放たれた城門からは人や馬車が絶えず出入りしている。
「新婚巡礼か。近頃にしちゃ珍しいな」
城門の衛兵はレイとルーチェを品定めするように上から下まで難しい顔で眺めた。それから笑顔のレイといくつか問答する。その間、ルーチェは言われた通り大人しくしていた。身を小さくしてうつむきがちに黙っている。
ここにも手配書が回っているに違いない。一応自分はお尋ね者なのだ。
やがてレイとの質疑応答が終わると、衛兵はルーチェのことをジロリと見つめた。が、一拍を置いてニッと破顔した。
「商業都市フェルドへようこそ、お二人さん。のんびり旅の疲れを癒して楽しんでいってくれ」
城門をくぐるとレイは隣のルーチェに声をかけた。
「ほら、顔を上げてごらん」
ルーチェは言われるままに顔を上げる。上げたとたんに目を丸くした。
都市の賑わいが一気に視界に飛び込んで来る。
そこは大勢が行き交う半円の門前広場になっていて、その広大な半円の中に十重二十重と出店が立ち並んでいる。半円の外側には石造りの建物が壁を作っていて、さらに奥には二階建てや三階建ての建物がたまに顔を出している。はるか遠くには聖堂の尖塔なども見えた。
これまで通ってきた人里はいずこもどこか活気がなかったが、目の前のにぎわいはそんな不景気などどこにも感じさせなかった。飢饉の影響なぞどこへやら、である。
「王都よりすごいんじゃない?」
「市の賑わいだけ取ってみるとそうかもね。さすが商業都市の名は伊達じゃないさ」
二人はそのまま広場の市を見て回った。肉の串焼きなどを買い食いしつつ、よろずの店を冷やかして歩く。
ルーチェにとっては初めて見るものばかりである。様々な食料品、衣服、靴、帽子、農機具、武器、防具、家具、什器、その他の道具類。王都ではこんなに色々とじっくり見て回る機会はなかった。何を買うわけでもないが、心がワクワクして目がキラキラした。
そんなルーチェを好きにさせていると、いつまでもぶらぶら歩きする羽目になるところだ。レイは適当なところで切り上げ、今夜の宿へと向かった。都市を横切ってほぼ反対側の西門近くまで。かなりの距離にもかかわらずレイは迷わずまっすぐそこまでたどり着いた。
古くて素朴だが清潔に保たれた二階建ての宿屋がそこに立っていた。
「ここはレストランの料理がまたおいしいんだよ。二階の窓からの眺めもいいし。フェルドに来たら宿はここに限る」
レイはそう言ってさも常連のような顔で宿に入って行ったが、カウンターでは一見の客として迎えられ、一見の客として鷹揚に挨拶した。何を隠そう、このループではまだ常連ではない。
ルーチェは一泊しただけでレイがこの宿を推す理由がよくわかった。
二階の窓からは、周囲の平屋の屋根の向こうに夕空を眺めることができる。夕日を浴びてオレンジに染まる街並みの景色は大自然の絶景とはまた違った趣の絶景だった。
そして「ここに来たなら少しぜいたくしなきゃ」というレイの言葉に従い、ディナーの食卓にはいつもよりたくさんの品数が並んだ。
「どう?」
「すごくおいしかった!」
レイが得意げに聞く。ルーチェは満面の笑顔だ。
「せっかくだし三日くらい滞在しようか」
「うん!」
そんな風に二人して気を良くして休んだ翌朝。
朝食にも大いに満足した後、二人は連れ立って町へと買い物に出た。主に旅の食料品を仕入れる。町の方々の店で夫婦が買うのに不自然でない量の食糧を購入しては、物陰でレイの影の中にしまう。影の中は空気と呼べるものがなく、温度もひんやりとしているので、食糧を保存する貯蔵庫として打ってつけなのだ。
その仕上げとして、とある焼き菓子の店を訪れた。
「フェルドに来たらここは外せない」
レイはそう言って両手に抱えるほどのパウンドケーキやらクッキーやらを買い込んだ。この店に限っては店員が目を丸くするほどの自重なしだった。
そうして昼を少し過ぎた頃。昼も宿に戻って食べようと、足をそちらに向けようとした時のことである。
レイが不意に言った。
「宿が誰かに囲まれてる」
ルーチェは鋭敏に察した。
「追手?」
「教会の武僧たちだね。周りの路地にたくさん隠れてる。どこかから通報が行ったのかな」
レイはルーチェと手を握って、使い魔の九郎が上空から見下ろす眺めを共有した。
「フレイア……」
ルーチェは思わずその名をつぶやいていた。武僧たちの中に見慣れた聖女の姿を見つけたのだ。吹っ切ったはずの胸のわだかまりがわずかにくすぶるのを感じた。
「残念だけどもう町を出なくちゃ」
レイの決断にルーチェも異論なくうなずいた。幸い宿に置きっぱなしの荷物に惜しい物はない。
レイがルーチェの手を引き、二人はそのまま手を繋いで歩き出した。目指すは北門。周りから怪しまれない程度の早足で大きな通りからは外れて路地へと入る。
しばらくまっすぐ北へ向けて進んだところでレイが小声で言った。
「前だけ見ながら歩いてね。つけられてる」
ルーチェは言われた通りにした。振り向いて追手の姿を確認することはできなかったが、レイが言うならばそれは間違いのないことだった。さっきから時々前方にカラスが飛んでいるのが見える。あれがレイの目だ。
それからレイは路地をあちらこちらで忙しく曲がった。この辺りの区画の建物は無秩序に建てられていて、その間を縫う路地もまた縦横斜め、複雑に入り組んでいる。加えてレイは一見して行き止まりに見えるような抜け道をくぐって進み、ルーチェにはもはや自分の進んでいる方向がわからなくなるほどだった。
「この町のこと詳しいんだね」
「ふふ、年の功さ」
ルーチェが感心して言うのにレイは小さく笑ったが、その笑みはすぐに消えた。追手はまだ執拗に後をつけてきている。
「かなりの手練れだ。これはちょっと撒けそうにない」
レイの声にこもる緊張にルーチェも顔をこわばらせた。




