勇者の真実
東に向かってまっすぐに続く街道を歩く二人の旅人の後方から、馬に乗った兵士たちがやってきて声をかけた。
「この辺りで若い女をひとり見なかったか。茶色い短い髪で、もしかすると男のようにも見える」
長い黒髪を後ろで束ねた細身の美男子が鷹揚に答えた。
「見ていませんね。今日はまだ誰とも、すれ違ってすらいませんよ。早馬なら一頭ものすごい速さで駆けて行きましたが」
三人の兵士のうち、声をかけてきた者が男の連れに目を走らせる。その視線に気づいた男は隣にいた女性の肩を抱いて、見せつけるように顔を寄せた。
「これは私の妻です。ふふ、美しい髪でしょう?」
肩を覆うほどの金色の髪が、伏し目がちな女の表情を隠している。肩に掛けられた薄手のショールがゆったりと広がり、旅装ながらも可憐な印象をかもしだしていた。
それから兵士たちは二人の名前、それに旅の行き先と目的などを尋ねた後、馬をだく足で走らせて街道の先へと消えていった。
「オースティンってところまで行くの?」
「まさか。今の偽名と同じ。でたらめだよー」
兵士たちがかなり小さくなったところでルーチェが聞くと、レイは笑顔で答えた。
二人とも変装している。レイは男装をしていて、ルーチェは女装、というのはもともと女なので少し語弊があるが、とにかくウィッグをかぶって常にはない女らしく見える恰好をしていた。このウィッグは特別製の魔法の品で、合言葉を言って外さない限りは地毛と変わらない。
「ちょうど今、君の聖女たちが商隊に追いついたみたいだよ。馬で一直線にあの馬車に向かってる」
はるか遠くを見る目つきでレイが言った。
「あはは、荷物の中からあの服を見つけて唖然としてる。ルーチェも見てみて」
ふたり向き合って手を握り、レイがひとつ呪文を唱えると、その見ているものがルーチェにも共有された。
困惑する聖女フレイア、仏頂面の剣聖ボルダート、腹を抱えて馬鹿笑いしている賢者クライグ。遠目にも彼らの顔がよく見える。
彼女らは今、使い魔のカラスの目を通してその光景を見ていた。
もう十分とばかりにルーチェは顔を背けてレイから離れた。
「幻術じゃないんだろうね」
「視界の共有は幻の魔法の応用だけど、ないものを見せたり、映像を改竄するのは難しい。疑うなら死に戻ってもういっぺんやってみる? 突っ込む前にアンカー打ってたでしょ。次はあの馬車に二人で隠れていてみようか」
二人は南に向かう商隊の馬車にルーチェの衣服を隠し、間道を迂回して今は西の街道に出てきている。
今のルーチェにはわからないことだらけだった。
魔王との決戦前に設定したアンカーを無視して二年前の今日に戻ってきてしまったこともそうだが、何より長き旅路をともにした三人が自分を殺したことが何よりもわからない。
「ひょっとして好感度が足りなかった……? それでバッドエンドルートに?」
ルーチェは検証の顔つきでひとりつぶやいた。どこかで選択肢を間違えてしまったのだろうか。
「ルーチェは相変わらず呑気で面白いなぁ。残念だけど好感度パラメータなんてわかりやすいものはないよー。ゲームじゃないんだから」
ルーチェは黙ってレイの顔を見つめた。謎と言えば魔王がこうして目の前にいることもまったく意味の分からない展開だ。しかも死に戻り前の記憶を維持していて、自分とは前からの知り合いだという。さらにわからない。
だがこの世界がゲームでないことは言われなくてもわかっている。
見るもの聞くもの触るもの、におい、味わい、すべてが生々しい。召喚された直後はお約束の「ステータスオープン」の掛け声をこっそり試してみたこともあったが、目の前にウィンドウが開くこともない。
突然に放り込まれた剣と魔法の世界だが、旅の二年を過ごす間に様々な不思議もありふれた常識となりつつあった。この世界は現実だ。今は疑いもなくそう言える。
そう、現実なのならば――
「僕は戻るよ。やっぱり一度フレイアと話をしてみたい。彼女ならきっと真実を教えてくれる」
「無駄だよ。正直に話したら彼女はすぐに君から女神の恩寵を剥奪して殺すだけ。わずかでも疑念を持つ勇者なんて使役する側からしちゃ特級の危険物だ。恩寵を取り上げられたらあなたはもう死に戻りの力をなくしちゃう。今後フレイアと顔を合わせたら多分いつもそうなるから気をつけて。聖女は勇者の天敵でもあるんだよ」
ルーチェは沈黙した。
「色々とややこしい話だから詳しくは落ち着いてからと思ったけど……でもそうか、もういっぺん試すのもわかりやすくていいかな。論より証拠とも言うし。じゃあいいよ。戻って。死んだ後はまた今日の早朝、宿からのスタートになるから、よろしく。また九郎に窓をノックさせるね」
レイはにこやかに言った。九郎というのは使い魔のカラスの名前だ。
ルーチェは不思議な顔で尋ねた。
「どうして宿から……?」
「要するにルーチェが聖女に殺されたら、死んで戻るのはルーチェじゃなくて私ってこと。本日早朝。それは私のアンカーポイント」
ルーチェはポカンとしてレイを見つめた。その表情のまま言う。
「……もしかしてと思ったけど魔王もループできるの? 二年も戻れるなんて、勇者の持つ力より強いんだ」
その言い草にレイは吹き出した。「あれ、でも僕が止めを刺した時点で――」と続けようとするルーチェを遮って言う。
「違う違う、死に戻りはこの国の勇者だけが持てる力。単に私も勇者ってだけだよ。あなたと同じ、使い捨ての勇者」
ルーチェはまたしてもポカンとしてレイを見つめた。魔王が勇者? 使い捨て?
「もともと勇者は使い捨てなのさ。もともとのもともとはそうじゃなかったんだけど、少なくとも今はそう。旅の終わりにフレイアたちがルーチェを殺すことは旅の始まりから決まっていた」
ルーチェは右手で首を押さえて顔を歪めた。
「……僕は騙されていた。そういうこと?」
「残念ながら。酷いよねぇ。異世界に夢見る青少年を騙して利用するなんてさ。昔は私もそりゃキツい思いをしたよ。今になって思えばありがちなパターンだけど、現実で本当にやられるとは思わないじゃん」
レイは困ったように眉を八の字にして笑った。
ルーチェは愕然として絶句するしかない。そしてその絶句から間もなく、ふつふつと心の奥から暗い怒りが湧いてきた。険を帯びたまなざしが遠くを見据える。
こんな裏切りを許していいはずがない。
瞬時に思い描いた。今すぐ死んで今朝更新した自分のアンカーポイントまで戻る。何食わぬ顔で朝の散歩をしていただけと言ってフレイアたちのもとに戻る。そして無防備な彼女らを殺す。王も殺す。何もかもめちゃくちゃにしてやる。すべてを殺し尽くすまで何回だってやり直してやる。使い捨てにしようとしていた勇者の力を思い知らせてやる。
聖女は勇者の天敵だと言った。だから一番初めにフレイアを殺すのがいいだろう。
偽りの聖女に向けて剣を振り上げ、命乞いにもかかわらず振り下ろす。
だがその様を具体的にイメージした時、切り殺す感触がまるで本当のことのように生々しく感じられた。やめて、というフレイアの声が耳元に響く。
ルーチェはその克明な妄想に自ら驚き、気がつけば怒りはたちまち萎えていた。そんなこと、僕はやりたくない。だったらこのままふいとどこかへ消えてしまう方がまだいい。
レイはうつむきがちになったルーチェを気遣うように言った。
「だいじょうぶ? 復讐する? もし復讐したいんだったら手伝うよ」
ルーチェはその顔を見つめる。軽く心配する顔だった。しばらくしてからその顔に尋ねた。
「あなたは復讐、したの?」
「王を殺したよ。何回かぶち殺して気が済んだ後はなかったことにしてあるけど。まあ正直殺す価値もない男だったし、それにあんな王でも死ぬとちょっと困ったことになってね。内乱が起きてこの国はめちゃくちゃになっちゃうんだ。関係ない民も含めて大勢死ぬ。だからさ」
その何回かぶち殺された王とは、つまりルーチェを召喚した現在の王と同一人物だ。
「でもたまにはもっかいぶち殺すのもいいかな。お城に殴りこむのはちょっと大変だけどコツは覚えてる。ルーチェがその気なら気のすむまでいくらでもつきあうよ」
続けたレイの提案は、しかしもはやルーチェにとってどうでもいいことだった。王様の顔なんてもう見たくもない。
それよりも気になることがあった。
なぜ勇者が、どういう経緯で魔王なんてものになっているんだろう。
千年の魔王。
レイはたしかにルーチェが倒した千年の魔王と同じ姿形をしている。
しかしその疑問を口に出すことはなかった。再び目を逸らす。これ以上は億劫でしゃべりたくない。耳も目も閉じ黙っていたかった。
「私だけは何があってもルーチェの味方だからね」
再度の気遣う声にもルーチェは答えない。レイもその姿を見てそれ以上は何もしゃべりかけなかった。
二人は並んで無言のまま街道を東に進んだ。




