追う者たち
早朝に鳴った警鐘にもかかわらず、ラガリア王国の王都デンフィードは何事もなかったかのように爽やかな晩春の朝を迎えていた。
あちらこちらで炊事の煙が立ち上り、まだまばらながらも通りを行く人々の姿がある。出店の並ぶ市では店主たちがあくびをしながら開店の支度をしていて、挨拶をかわす声や笑い声も聞こえる。
南門の広場には通行を待つ商人や旅人が集まっており、街のほかの一角よりも賑やかだ。
その順番待ちに割り込んで騎馬の一隊が門をくぐって外に出て行く。三十名余りの隊のその先頭にはそれぞれに馬を駆る聖女フレイア、剣聖ボルダート、賢者クライグの姿があった。
「ボルダートはいない方がよかったんじゃねえか」
人々の注目の視線の中でクライグが言った。ボルダートは無言。
消えた勇者を秘密裏に連れ戻すのが今の彼らの仕事だ。知られれば不祥事。あまり目立ちたくはない。
が、旅用の質素な外套にフードをかぶっているにもかかわらず、ボルダートの人並み外れた体躯は存分に人目を引いた。その様たるや下にいる馬が少し心配になってくるほどである。フード越しにちらと顔を見ただけで、新たに選ばれたばかりの剣聖だと気づく者もいるだろう。
「勇者がもし暴れたら兵士たちでは押さえられないかもしれない。細腕に見えるけど、あなたや私なんて軽くひねる力を持ってるんだから」
フレイアの言う通り、異世界から召喚された勇者は見かけにそぐわない腕力や頑強さを持つ。それは女神様の恩寵とは関係なく、勇者がもともと備える力だ。
教会に伝わる書物によれば、勇者の故郷である『チキュウ』という世界は魔力が極端に少ない過酷な環境なのだという。
空気の薄い高地で育ったハイランダーが空気の濃い平地で飛びぬけた運動能力を発揮するように、魔力の少ない世界で育った勇者は魔力にあふれたこの世界で桁外れの能力を発揮する。
実際、試しにと見せてもらった勇者の力は、屈強な兵士をも凌駕するものだった。今朝も南門で十人近い兵士を跳ね飛ばして逃げたと聞いている。
「しっかし、なんで逃げ出したりしたかねぇ。昨日まではずいぶんと前向きなご様子じゃなかったか?」
クライグのつぶやきにフレイアは難しい顔をするばかりだ。
「まさか、勇者様との寝屋でヘタを打ったんじゃねえだろうな。聖女様はそういう仕事もするんだろう?」
「そんなことはしない。ヒカルは女よ」
揶揄の言葉を投げてくつくつと笑うクライグをフレイアが睨めつける。
「黙ってれば男みたいだったじゃねえか。女としちゃあちょいと色気が足りないが、男振りは悪くなかった。そういうケがなくてもムラっときちまったり、とかな」
「……下品な口を閉じて。あなたも賢者に選ばれたのだから、ふさわしい品格というものを身につけなさい」
フレイアは軽蔑に顔をしかめた。この不埒な魔法使いと長く旅を続けていける気がしない。
それと同時に今朝の怯えた勇者の顔を思い出す。妹たちを寝かしつけるようにベッドに押し掛けたのがよくなかったのだろうか。でも昨晩は仲良く手を繋いで眠りについたのだけど。
「場合が場合なら、俺が代わりにその仕事をしてやってもよかったんだがな。残念ながらあれはちょっと俺の趣味じゃない」
クライグは小言を意に介さずまだ下卑た話を続けた。
フレイアはため息をつく。
「悪いけど、ヒカルに変なことしたらあんた間違いなく終わりよ」
勇者は恩寵によって一般には知られぬ秘密の能力を得ている。それは未来から過去に戻る力。
仮にクライグが卑怯な手で勇者に無理矢理何かをしたとしたら、その報復は速やかに行われるだろう。過去に戻ったことは勇者本人にしかわからない。クライグは無防備な背中を後ろから刺されてわけもわからず絶命するはずだ。
もっとも勇者の機嫌を損ねたら終わり、というのはクライグばかりの話ではない。誰もが同じリスクの中にいる。勇者とはそういう諸刃の剣なのだ。
「そうか、なら勇者を虜にするには王都一の色男を探した方がいいかもしれんな。それともボルダート、あんたがやるか? あの小娘の趣味によっちゃあ、その屈強な体なんかはそれこそ効果抜群かもしれんぜ」
「……最後には殺すのだ。情を移すのは馬鹿げている」
「ボルダート!!」
馬を止めてフレイアが叫んだ。少し離れて背後を来る兵士たちが首をそろえて注目する。不用意にもボルダートが口にしたのは、勇者の能力以上に知られてはいけない事柄だ。王国でもごく限られた者しか知らない秘中の秘である。
魔王を倒した勇者は死ぬ。彼女らが殺すと決まっている。だが表向きにはそうであってはならなかった。勇者は魔王を打ち倒した直後、女神様から授かった報酬を手に元の世界へと送還される。いなくなることは変わらないが、そういういなくなり方でなくてはならない。
再び馬を進めるフレイアたちの後ろで、兵士たちも元の様子に戻った。
「フッ、どうやら聞かれなかったようだな。兵士たちも命拾いで何よりだ。もし聞かれてたらボルダート、お前が責任もって全部やれよ。俺はこんなことで汗を流すのはまっぴらだ」
減らず口をのたまうクライグのニヤニヤ顔が刹那、別人のように真剣なものとなった。
「まさか、あの女、未来でこのことを知って今日に戻って来たんじゃ」
フレイアも不意を打たれたような顔をして黙った。
自分たちはそんな下手をしないと信じたい。しかし目の前にいる口の減らない賢者と、何を考えているのかわからない剣聖。彼らを見るに、そんな未来も十分にあり得る気がした。今朝、勇者が見せた怯えの表情が再び思い出される。あれはそういうことだったのか?
しかしフレイアはすぐ打ち消すように言った。
「あり得ない。アンカーは毎朝打つことになっている。朝食の前に。戻って来るとしたら昨日の朝よ。私たちが寝ている間に戻って来るということはあり得ない」
「へぇ、そういうもんなのか。ならいいんだがな」
クライグがにやけ面に戻ったところでフレイアは言った。
「それはそうと、きちんと勇者を見つけられるんでしょうね。新米の賢者様」
「鈴は抜かりなくつけてあるさ。新米の聖女様。この方角で間違いない。安心しな。俺の探知の魔法は藁山に紛れ込んだ針だって見つけられる。それよかなだめる言葉をちゃんと考えておきなよ。俺ぁ、ガキのお守りなんて御免だ」
新米の剣聖は相変わらず黙ったままだった。
昼頃、彼女らはちょうど昼休み中の商隊に追いついた。兵士の一人が商人に「手間は取らせない」と説明する。
その様をよそにクライグがまっすぐ荷馬車のひとつに向かう。そしてその荷台の中ほどにある大きな木箱を指差した。しゃがんだ人間が何人か入れそうなサイズの箱である。木箱の蓋には外からしっかりと釘が打ってあったが、クライグは「こいつに間違いない」と断言する。
「勇者サマ、かくれんぼはここまでだ」
クライグが首で合図すると、ボルダートが荷台に乗り込み、馬車が大きく軋んだ。無言で腰の後ろから小剣を抜き、それを梃子のようにして木箱の蓋を開けた。
しばし無言で箱の中身を見下ろした後、ボルダートは中身をまさぐってシャツと長ズボン、靴、そして下着をまとめてクライグに投げてよこした。
「これだけか?」
「それだけだ」
クライグが尋ねると、ボルダートは短く答えた。
それらは勇者が身に着けていた衣服だ。そしてクライグが追跡のための魔法をかけていた品々でもある。
「どういうこと?」
「してやられた。なかなかどうして、やるじゃねえの。あの勇者サマは」
衣服を両手に広げて呆然とするフレイアの横でクライグが馬鹿笑いを始めた。ボルダートはいつも通りの無言。
ややあってフレイアは奥歯を強く噛みしめた。
「ヒカルは私が祝福した私の勇者よ。このままいなくなるなんてこと、絶対に許されない」




