勇者と精霊契約
「やはり無理か」
「ええ、もう三十回戦いましたが、ちょっと勝ち筋が見えないです」
湿原の遺跡を前にフィツとルーチェがそんな会話をしている。
「そんなに強いんだ」
フレイアが当惑の顔で言った。
「やはり精霊契約がなければ厳しいかもしれん」
フィツがいつもと変わらぬ表情で言った。
ランクAクエスト、ブレクネス遺跡の魔神討伐に挑み、死に戻ってきたという体である。だが本当は一度も挑戦していない。単なる振り。芝居であった。
ルーチェとしてはやはりフレイアを担いでいるようでやや忍びない。一応向こうも重大な隠し事をしているのだから、という理由を心の免罪符としているが、前も似たようなことをしたなと思うと、若干の負い目を感じるのは否めなかった。フィツとクライグ。師弟だけあってどこか発想が似ている。
だが今の戦力で魔神が倒せないというのは正真正銘、嘘偽りなく本当のことだ。
前に挑んだ時に比べて増えた仲間もいる。ボルダート、それにフレイア。前と同じ面子を見ても、クライグはだいぶ腕を上げていて、ルーチェ自身も強くなっている。
しかしレイが抜けた穴を埋めるには正直足りなく思える。フィツは「レイがいなければ勝てるわけがなかろう」と端から戦う気がなかった。
大人しく魔神討伐を諦めた一行は、残った九個のオーブに魔力を注いでできるだけ封印を補強した上で、魔域と化した周辺の土地をフレイアが作りだした聖水で浄化して回った。
それから勇者パーティに大賢者フィツを加えた五人は街道を時計回りに進み、国のあちこちで残りのクエストをこなした。
道中で二度のランクBクエストがあった。ランクBと言えばレイ自身が千年の魔王と同等の難易度と言ったクエストだ。
腐れ樹海の呪われたトレント討伐、そして火吹き山の溶岩スライム討伐。
最初の大魔域の旅ではラスボス相当だった難易度のクエストだ。ルーチェは気を引き締めて臨んだ。
が、実際に挑んでみると意外と大したことはなかった。いずれも広範囲に及ぶ即死級の攻撃はやっかいだったものの、手の内がわかってしまえば対策に苦慮するほどではない。それぞれ死んだ回数は五回ずつである。
今のパーティで千年の魔王に挑めばこれくらいで勝てるということか。ルーチェはその圧倒的とも言える成長にどこか実感が持てないでいる。
思えば千年の魔王も今よりずっと未熟なルーチェと、やる気のないクライグとボルダート、それに装備のしょぼいフレイアでも倒せたのだから、ランクBといってもそれほど強くはなかったのかな?
ただ同じランクBでも千年の魔王の方は影を自在に出入りして、思わぬ場所から飛び道具を投射する不意打ちの権化でもある。かつほとんどの魔物とは違って頭がいいし、かつ本来ならば逃走する柔軟性も持っているだろう。今の戦力でレイと戦っても仕留められるかは未知数な気がする。
ルーチェはなんとなくレイがランクBというのが間違っている気もした。細かく分けるならB+やA-相当なのではなかろうか。
まあランクAのあの魔神より弱いのはたしかだろうけど。
やがて初夏が近づく頃、国を一周する街道は王都を間近にしていた。
ここまで九のクエストをクリアし、魔神を除く残り二つは王都からオクトラクルムまでの、国土の中央を横断する街道沿いにある。ちょうどブレクネス遺跡に行く途中にそれらをこなし、最後に遺跡の魔神を討伐すれば効率がいい。それでクエストはオールコンプリートだ。
その通過点である王都が近づいたある夜、ルーチェとフレイアはともに寝転がって星空を眺めていた。
あれこれととりとめのない話をして笑った後、なんとなくこれまでの旅を振り返る雰囲気となる。
「最初はどうなることかと心配したけど、なかなかいい旅だったわね。クライグもフィツ様といれば大人しいし」
「そうだね。楽しい旅だった」
「でもクエストが片付いたら次は魔王本人よ。大魔域の旅は今までの旅とは違ってきっと過酷なものになるわ。人間を拒絶する土地での旅ですもの。きっと楽しいだなんて言っていられるのも今のうち。だから……」
フレイアはそこで言葉を切った。
「だから?」
「ルーチェがこの世界で旅を楽しんでくれて本当によかったって、私は思ってるのよ」
「みんなといっしょなら大魔域の旅もきっと楽しい旅になるさ」
もちろんルーチェはその大魔域の旅が実はないと知っている。だがもし今の勇者パーティで行くなら、決して悪くない旅になるはずだ。本心からそう思っている。
フレイアは答えず黙ったままだった。
しばらくしてルーチェが話題を変えると、フレイアも楽しげな顔に戻った。またしばらくおしゃべりが続いた。
王都では半ば凱旋のような空気で迎えられ、これまで多くのクエストを解決したことに王様直々のお褒めの言葉があった。王ばかりでなく方々から称賛と、そして期待の言葉がかかる。
そして一週間に及ぶ半ばのんびり、半ば忙しい王都滞在の後、ルーチェたちは精霊窟に向かった。
魔神の脅威に対抗するため、勇者にはさらなる力が必要である。国の一角に魔域が広がりつつある、という報告とセットになったその主張は、驚くほどあっさりと認められた。むしろなぜ今まで精霊契約していなかったのか、とでも言いたげな勢いだった。
さすがに自分たちのケツに火が付きそうになっている状態で、勇者の始末のしやすさなどにこだわっている場合ではない。それくらいの分別は国王らも持っていたというわけだ。
「見事な手の平返しじゃな」
フィツがそう言って珍しく笑みを浮かべた。思うところありげな皮肉な笑いである。
王都から南西に向かって五日。
やがてたどり着いた精霊窟の前では守り人たちが歓迎とともに出迎えてくれた。鍛え上げた男たちばかりでなく、女子供や老人まで、誰もが笑顔である。精霊と契約する勇者を手厚く遇するのがこの村の伝統的な習いだ。
ルーチェは精霊窟を隠している滝を見上げた。
以前見た光景とは違い、幅広の立派な滝が大量の水を滝つぼに落とし続けている。焦土となっていた村は輝く新緑に包まれており、山の幸に恵まれた豊かな生活が営まれていた。
歓待の席で集まって来た子供らに、フレイアが笑顔でこれまでの冒険の話を話し聞かせている。ルーチェはその様を見て思わず目を細めた。この先、彼女との関係がどう転ぶかはまだわからない。でもきっと最悪のことにはならない。そんな気がした。
到着の翌日、ルーチェは早速精霊契約の儀に臨むこととなった。
滝の下流の川で身を清めると、何やら心まで引き締まった。薄絹一枚の姿でもって滝へと向かう。滝の袖には石積みの階段が作られていて、一段一段登っていくと、やがて滝の裏に入る。間もなくたどり着いた小さな洞窟が精霊窟である。
「さぁ、こちらへ」
伝統の衣装に身を包み先導する老婆は精霊窟の巫女だ。ルーチェは言われるままについて精霊窟に入った。
すぐに行き止まりとなるその小さな洞窟の中にはささやかな祭壇が作られていて、灯されたロウソクの明かりがなにやら神秘的な雰囲気をかもしだしている。
老婆の言に従って跪き、胸の前で祈るように手を組んで握る。そして目を閉じて「精霊様、お力をお貸しください」と念じた。
間もなく、ルーチェはその胸に見えない何かが入り込んできたような感覚を味わった。
老婆が言った。
「精霊様がお主との間に縁を結んだ。勇者よ、精霊様の導きに従って為すべきことを成してくだされ」
それで儀式は終了。呆気ないほど簡単に精霊契約は終わった。
滝の裏から出てくるルーチェを待ち構えていた仲間たちが出迎える。一同を代表してフィツが問うた。
「どんな精霊と契約したのじゃ?」
ルーチェはその精霊の名前を教えられずとも答えることができた。
「灯の精霊です」
残念ながら光の精霊のように強力な精霊ではなかった。だがいくらかはルーチェの名前と符合する精霊だ。
「これからは光源の魔法はいらなくなりそうですね」
ルーチェは笑顔でそう言った。
期待していたような強い精霊ではなかったことにフレイアとクライグはやや落胆の色を隠せない。
たしなめるようにフィツが言った。
「ふむ。灯は人の行く手を照らす希望ともなり、人々を導くしるしともなる。捨てたものではない精霊じゃぞ」
そして由来譚などを語り始めた。
捨てたものではない、とフォローされるまでもなく、ルーチェは己の身に宿った精霊の力を温かく、頼もしく感じていた。
心の中で念じる。これからよろしく頼むよ。




