勇者とランクCクエスト
七百ものゴブリンが王都の間近に人知れず巣を作っていた。その事実に王国は震撼した。
ゴブリンという魔物はとにかくすぐ増える。その繁殖力は獣のごとく旺盛で、十が百になり、百が千になるのもあっという間だ。ゆえに人里近くで見かけたらすぐに駆除するのがセオリーで、実際には十以上の集団を見ることすらまれ、三十程度の集団でそれなりの騒ぎになる。
それが七百というのはもう人々が慄くのに十分な数だった。しかも件の洞窟にはまだ多くのゴブリンらの住まう余地があったという。見逃していたらいずれは千から万、万から十万。王都をも揺るがしかねない重大災害になっていたはずだ。
王国は千年の魔王の手紙を信憑性あるものとみなし、勇者ルーチェに王国各地のクエストの解決を最優先課題として命じた。足下に国を揺るがすような危険がいくつも迫っているのだ。大魔域の奥地にいる千年の魔王よりも、まずはそちらを片付けなくてはならない。
その旅立ちに先立ち、改めて王が壮行の謁見を設けた。
「前と同じで大丈夫よ」
「わかってるよ」
謁見の間に入る直前、緊張の面持ちのフレイアが話しかけてきた。ルーチェはその顔を見て苦笑するほどに余裕がある。
やがてルーチェら四人は横一列で玉座の前に跪いた。
深く腰掛けて座る王は、恰幅がよく、ハゲ頭に白い髭をたくわえた好々爺だった。豪奢な服に毛皮の外套をまとい、宝石のいくつもはまった立派な王冠をかぶっている。絵に描いたような王様である。
王は玉座から立ち上がると、少し歩いてルーチェの前まで来た。そして自らその手を取って激励の言葉をかけた。
「勇者よ。この国を頼むぞ。民たちを恐ろしい魔王の企みから救ってくれ」
笑うと目がなくなる。人好きのする笑顔だ。まっすぐに向けるまなざしと優しく深みのある声はルーチェの心を震わせた。その笑顔の裏に何を隠しているのか、そのことを知っていてもなおそうなのだ。
王とは本当に恐ろしい。ルーチェはそんな感想を抱いた。
宿に帰る途中、クライグとフレイアがいつもの減らず口とお叱りの応酬を始める。
「ったくよぉ。国難って言うならもうちょっと支度金を張り込んでほしいぜ。あるいは精鋭の兵士たちを護衛につけるとかよ」
「不敬な物言いはやめなさい。一昨年からの飢饉で国の財政も火の車なんだから。それもこれも千年の魔王がこの国に呪いをかけたせいよ」
「それにしちゃ、《《お》》貴族様はみな《《お》》血色がずいぶんと《《お》》よろしかったがな」
ルーチェは黙っていたがクライグに一票だった。
勇者一行は王都を起点に時計回りで国をぐるっと巡ることとなっている。
ルーチェはかつてのループで進んだ道のりを今度は逆に進み、クエストも逆順にこなしていった。
しかしレイとフィツが不在、かつクライグもやや弱体化した状態。ランクEはともかく、ランクD程度でも以前とは比べ物にならないほど難しい。手にする鋼の剣もあの青い巨剣に比べれば頼りない限りで、最終装備でずいぶんと楽をしていたのだなと思い知った。
代わりにフレイアが加わっているが、レイをはるかに凌ぐ神聖魔法の腕を持ちながらも実戦での動きはあまりよくない。むしろ格の劣る神聖魔法しか使えないレイのほうが守備や回復のサポートは的確だった。またフレイアの目があるとルーチェがおいそれと全力を出せないのももどかしい。
やがて旅を始めて一ヶ月ほどの後。ランクCクエストの『南海のクラーケン退治』に挑んで諦めたその日、クライグとボルダートが言った。
「俺は勇者に魔法を教えるぜ。ランクCごときでつまずく有様だ。勇者をもっと鍛えないとこの先は無理だ」
「私もその考えに賛成だ」
難しい顔で渋るフレイアにクライグは畳みかけた。
「ぐずぐずしてると取り返しのつかないことになるんじゃねえのか。時間制限ありのクエストだってある」
そこでフレイアは手紙で王都に伺いを立てることにした。
クライグとボルダートはその返答が返って来るのを待たず、ルーチェに師として教え始めたが、フレイアは見て見ぬふりで黙認した。どうせクラーケンを退治できずに足止めを食らっている。ただ返答を待つよりはマシだと考えたのだ。
半月後、幸いにも王都からは色よい返事が返ってきた。どんな手を使ってでも国の各地に迫る脅威を排除しろとの仰せである。
咳ばらいをしたフレイアが改まって伝える。
「私もこれからルーチェに神聖魔法を教える。それからもしクリアできないクエストがあれば、いったん無視して先に進むようにとのことよ。とにかくクリアできるものからクリアして、難しいものは腕を上げたらまた挑むことにしましょう」
こうして一行は三日後にクラーケンに再チャレンジすることとなった。
フレイアが離れた後、クライグはルーチェと肩を組んでこっそりと言った。
「な、わざと撤退しといて正解だったろ?」
「そうだね」
クライグの人の悪い笑みにルーチェは苦笑した。
実のところ、何度も死にまくればクラーケンはなんとかなりそうだった。だがランクDで苦戦していたのは本当であり、ならばこれはいい機会だと、クライグが前から提案していたことを実行に移したのだ。
今までフレイアは一人だけ蚊帳の外で面白くない顔をしていたが、その日からは得意げにルーチェに神聖魔法を教え始めた。その変わりようがルーチェにはなんだかおかしくうれしい。
そして三日後。
再挑戦したルーチェたちは見事クラーケンを倒すことができた。
止めを刺すまでに死んだ回数は十回。レイとフィツとともに挑んだ時とは違ってなかなか歯ごたえのある戦いとなった。
「フレイアは温存とか考えずどんどん回復魔法を使って。防御魔法も切れる前に余裕を持って早めにかけ直してほしい。それでも最後まで持つから大丈夫。クライグの攻撃魔法は効き目が薄いから防御に徹して欲しい。土の魔力で場を満たして、それから石の壁に身を隠して水の範囲攻撃に備えて。フレイアもいっしょに隠れててね」
そんなアドバイスとともに挑んだ十一戦目。
勝利を手繰り寄せたのは、巨大イカの十本足を難なくかいくぐって剣を振るうボルダートと、半月の鍛錬で急成長を見せた、という名目で心置きなく動けるようになったルーチェの活躍だった。
うまく怒らせて浅瀬から岩場へと誘導する流れも完璧にハマった。逃げるふりをしてこちらを海に誘い込もうとする動きもお見通しだ。
しかし聖女と賢者は助言にもかかわらず実力不足を露呈した。
フレイアは言われた通り全力で神聖魔法を使い続けたが、やはり立ち回りが未熟で持つ力を十全に発揮できていない。
クライグは指示通り防御に徹していたが、不満のにじみ出る顔。クラーケンが弱り切った終盤に「止めはいただくぜ!」と魔法で生み出し射出した大岩を叩きつけたが、思惑外れて倒しきることができず、かえって先より苦い顔となった。今まで修行をさぼったツケをありありと思い知らされた形だ。
戦いが終わってみれば、力を出し切って充実の笑顔を見せるルーチェの横で、フレイアはやや納得のいかない顔をしていて、クライグもまた己の不甲斐なさに歯噛みしていた。
活躍したはずのボルダートも仏頂面だったが、これはただいつも通りの顔である。
「くそっ、こんなんじゃ師匠に合わせる顔がない!」
クライグはそう言って何もない地面を蹴った。




