勇者と強くてニューゲーム
数日後、勇者一行はアーレイン湖畔の温泉宿に滞在していた。
勇者と聖女は同室でくつろいでいる。バスローブ姿のフレイアが言った。
「ルーチェ、お風呂に行かない?」
「また? いいけど」
不意の温泉旅行にフレイアはご機嫌な様子を隠せない。これは遊びではない。そう言ってクライグをたしなめたが、たしなめられるべきはむしろフレイアであっただろう。
当のクライグはもとよりそんな顔などしていない。仕事をさっさと進めて師匠との再会を急ぎたい気分で焦れている。その視線ははるかフィツの庵まで飛んでいる。フレイアのことなどもはや眼中になかった。
ランクEクエスト『アーレイン湖畔の洞窟のゴブリンの殲滅』。
国は勇者ルーチェにその任務を言いつけた。まずはそのクエストとやらが本物かどうかの調査も兼ねてである。
英気を養うという名目で温泉宿に二泊した後、ルーチェたちは宿で一泊分の弁当を作ってもらい、湖畔に沿ってゴブリンが根城とする洞窟まで向かった。森の湖畔の新緑が眩しい爽やかな道行きである。
ルーチェはかつてレイと行った道をわずかに懐かしみながら、フレイア、ボルダート、クライグとともに進む。
その上空には高く舞うカラスの姿が時折見える。ルーチェはそれを頼もしく思った。レイは送還魔法の段取りのためにひと足先にフィツのもとへと向かったが、こうして使い魔の目を通して常に見てくれている。
きびきびとした足取りのフレイアは、黙ってついて来るクライグを意外な目で見ていた。
「少しは賢者の自覚が出てきたのかしら。文句ばかりの口が減ってけっこうなことだわ」
「……文句ばかりだったって言うが、こいつもわざわざ俺に喧嘩売ってないか?」
「ふふん。褒めたのよ?」
「黙って歩けよ。俺は真面目に仕事をしたいんだ。話し相手が欲しいならお前の勇者サマとでも話せ」
クライグがそう言ってあしらうと、フレイアは興醒めしたように鼻を鳴らし、ルーチェの隣を歩いた。
ボルダートは無言である。
半日ほど湖畔を歩いたところで小さな川に行き合う。ここから少し遡って山中を上ればゴブリンの住む洞穴がある。
「ほんとう? よくわかるわね」
しかしルーチェが迷いなく川沿いを行こうとすると、フレイアが怪訝な声を上げた。たしかに、魔王がばらまいた地図ではそこまで細かい地形がわかるはずもない。
「勇者としてのカンだよ。ほら、林の合間に獣道が続いている」
ルーチェはしれっとごまかして先頭を切った。ボルダートとクライグが黙って続くので、フレイアも大人しくついてきた。
そして一時間ほど登ると、いつか見た洞穴が口を開けていた。
「ほんとうだ。すごい」
フレイアが感心して目を丸くした。「こんなにあっさり見つかるなんて」とも口にする。正直もっと何日もかかると思っていたのだ。
「まずは僕が突入して様子を見るよ」
「アンカーは打った?」
「もちろん」
言われるまでもなくルーチェは先ほどすでにアンカーを打っていた。久々のアンカーポイント更新。
「よろしい。毎朝は最低限だけど、それ以外にも戦いの前にはアンカーを打ってね」
チュートリアルのようにそう言うフレイアには毎朝更新した風を装っているが、実はレイと旅をしていた時と同じ方針で、必要を感じた時にだけアンカーを打つようにしている。あまり長く間隔を空ける気はないが、できれば何日かは余裕を持ちたい。
「本当に一人で大丈夫なのか?」
「大丈夫なの。勇者は死んでも時を遡って復活するんだから」
また勇者との旅の未経験者となったクライグが心配するのに、フレイアが得意げに言った。だが彼女もこれから起こることは未経験のはずだ。耳年増が知ったかぶっているようにも見える。
それにしたってクライグが言い返さないとフレイアの方がただ口うるさいだけのように見えるな。ルーチェはそんなことを思って小さく笑った。
ルーチェは洞窟に突入する前に装備を確かめた。国から与えられた剣と鎧。悪くない品だがレイが与えてくれた最初の装備よりは質が低い。鉄製の長剣に、動きを妨げない程度の軽鎧。さて、これでどれくらいやれるものだろうか。
ルーチェは明かりを得るべく光源の魔法を唱えた。
そのとたん、フレイアが頓狂な声を上げる。
「えっ、どうして魔法が使えるの?」
しまった、とルーチェは固まった。レイと会うまでルーチェは魔法を教えてもらったことがなかった。つまりこのパーティの勇者が魔法を使えるはずがないのだ。
「ああ、俺が教えたんだ。これくらいは使えるようになってた方が便利だろ? 俺もいちいちつまらない魔法を使わないで済むしな」
クライグが何食わぬ顔でフォローした。ルーチェは内心でひそかに感謝する。
フレイアはやや面白くない顔をした。魔法を勇者に教えてはならない。それは国がひそかに取り決めたことである。クライグは見下す目でその顔を見ている。
聖女と賢者の言い合いが始まる気配にルーチェはさっさと洞窟の中に入って行った。次やり直す時があれば気をつけよう。
洞窟の中のひんやりとした空気。それはかつてと変わらなかった。進むと間もなく少し開けた場所に出る。一番目の部屋。かなりの大空間だ。魔法の明かりが照らし出すのは床に転がって寝ている無数のゴブリンたち。
ややもせずして「ギャギャギャ」としか聞こえない鳴き声が洞窟に響き渡った。いつも必ず明かりで起きるゴブリンがいる。そしていつも必ず戦いが始まる。
剣を抜いたルーチェは洞窟のかび臭い空気を深く吸った。その心は戦いの前の静かな高揚感に満ちている。
真っ先に飛び掛かってきた一体が間合いに入るや否や、ルーチェは鮮やかに踏み込んで一刀のもとに切り伏せた。続いて近づいてきた二体も流れるような連続技で一瞬のうちに倒す。
しかしゴブリンは怯まない。相手はたった一人に過ぎない。数で勝る彼らに退く理由はない。ひっきりなしに襲い掛かっては、そのことごとくが血を吹いて床に転がる。やはりまだまだ勢いは止まらない。
ルーチェは襲い掛かって来るゴブリンたちに対して無心で剣を振り続けた。その心の片隅で、少し驚いている。以前の自分はこんなに容易くゴブリンたちの波をさばけていただろうか。もっと必死に、己の限界を試すかのような気持ちで戦いを楽しんでいた気がする。
ボルダートから学んだ剣の技がルーチェの戦い方をまったく変えていた。
「強くてニューゲームというやつかな」
思わずそんな言葉が漏れる。これはこれで楽しい。
まだまだ押し寄せてくるゴブリンに対して、今度は風の魔法を使った。ルーチェの四方に迫っていた集団がまとめて風の刃に切り裂かれ、まとめて床に転がる。
こちらはクライグから手ほどきを受けた魔法だ。
死んでループしても覚えた技を忘れることはない。
「これだけ多いと魔法の方が楽だな。残りはなるべく魔法でやっつけるか」
どうも自分は魔法の才能はさほどではない、とわかってきているが、こうした雑魚狩りには十分だし便利である。
もう五十は倒しただろうか。以前とは違い、返り血もほとんど浴びていない。
最初の大部屋が終わると、後はしばらく小部屋が続く。ルーチェは小部屋を魔法で一掃しながら、サクサクと先に進んだ。
二時間ほどして戻ると、心配そうな顔で待っていたフレイアがパッと笑顔になって近づいてきた。クライグは草に寝そべって寝ていて、ボルダートは木に寄りかかって座りながら剣の手入れをしていた。
「どうだった?」
「たぶん全部片付いたと思う」
「一人で? じゃあ思ったより大した数じゃなかったのね」
「そうだね。七百とかその程度だったと思う」
ルーチェは本当はまったく数えていなかった。それは昔レイから聞いた数字の受け売りだ。
フレイアはその答えを聞いて固まった。目を点にして首を傾げる。
「……なな……ひゃく?」
あれ? この反応は? ひょっとして僕なにかやっちゃいました?
「七百か。大したものだ。さすが勇者と言ったところか」
一方のボルダートは当たり前のような反応を見せる。
判定は一対一だ。クライグがあくびをしながら近づいてきた。ルーチェは無言で首を向けてジャッジを願った。
その視線を受け止めたクライグは一拍の後、おもむろに腕を交差させて大きなバツを作った。
「ダメダメ、やり直し。なりたての勇者が一人でいきなりゴブリン七百はやりすぎだ。もう少し弱く装ってくれ。少なくとももっと戦いの経験を積むまではな。いったん戻ってここのはボルダートにやらせろ」
今のクライグは先ほどのフレイアとの口論の末、勇者の特性を完全に理解している。その力をいま使うように勧めてきた。
ルーチェはその勧めにしたがって奥歯の毒を噛んだ。意識を失い倒れる直前に見たのは、クライグが何を言っているのかよくわからない、という顔をしたフレイアの姿だった。




