勇者と堕ちた聖女
フレイアとレイ。どちらの言葉が本当なのかは言うまでもない。
時にフレイアは明らかにいつものフレイアではなかった。憔悴しきった様子で目の下に濃いクマを作り、美しかった金の髪も乱れている。何よりルーチェを捉えたその目にはどこか正気でない色が宿っていた。
ルーチェは顔を引き締めてフレイアに呼びかけた。情報収集。それが今の仕事だ。
「フレイア、この村をどうしたの?」
その一言は明らかにフレイアを動揺させた。ビクッと肩を震わせると、炯々と光る目を見開き、ゆっくりと探るように息を呑み、何か言いかけては口を閉じる。
「この村は邪悪なる魔王に与せんとしていた。だから我々が女神の裁きを与えたのだ」
フレイアの代わりに武僧の一人が毅然と答える。フレイアはその声を追い風として叫んだ。
「そ、そうよ! この村は邪悪な村だった。だから滅ぼされても仕方がなかったのよ」
「いつ頃?」
「そんなのいつだってかまわないでしょう。この村を残していては魔王に騙されたあなたが本当に取り返しのつかないことになるところだった。私はいつでもあなたのことを考えていたわ。あなたの……勇者のためならなんでもしてあげるって思ってたんだから!」
「精霊窟を壊したのも同じ理由?」
「そうよ。その精霊窟こそが諸悪の根源。邪悪なものを守ろうとするのは邪悪な者たちだわ! 根絶やしにされても仕方がない。そう、仕方がなかったのよ!」
少し水を向けるだけでフレイアは饒舌にしゃべった。目の前のルーチェに語り掛けるというよりは、まるで己に言い聞かせるような口調。言葉を交わしながらルーチェは痛々しい思いに囚われていた。
悲しい気持ちに紛れてつい言ってしまった。
「そうして最後には僕も同じように殺すの?」
フレイアの顔が苦悩と皮肉に歪んだ。
「そうよね。当然知っているはずよ。クライグとボルダートがそちらにいるのだものね」
武僧たちが戦闘態勢に入る。フレイアもルーチェを逃がさじと見つめた。もはや理解している。ここでこの勇者を倒さねば、少なくとも恩寵を解除せねば、これはもう誰にも手が付けられなくなる。
「殺すことは心配せず全力で戦って! 勇者は私が絶対に死なせない」
フレイアが錫杖を手に武僧らに呼び掛けた。まるでこちらに味方をするような言葉の内容だったが、意味はまったく違った。勇者は死ねば過去に戻るだけ。倒せはしない。絶対に倒すために絶対に死なせないとフレイアは言ったのだ。
聖女の回復魔法は瀕死の傷をもなかったことにできる。ルーチェはその神聖魔法の威力を身をもって知っていた。
間合いを詰める武僧ら。その前に躍り出たボルダートの後ろで、ルーチェは言った。
「レイ、お願い」
その声とともに、レイの影から三本の黒い刃が走り、ルーチェの首が宙に舞った。
「――駄目、行かないでっ!」
唱えかけた呪文を中断して叫ぶ、まるで悲鳴のような声。それがルーチェの聞いた最後の言葉だった。
「情報収集は終わったよ」
ルーチェの死とともに時間を戻ってきたレイが告げる。それ以外の三人は二人が死に戻ってきたことをすぐに把握した。
「大丈夫か。酷い顔しとるぞ」
思わずフィツが声をかけた。ボルダートがわずかに眉を動かし、クライグも口を結んで神妙な顔となる。
ルーチェは唇を噛みしめ、ほとんど泣きそうな顔をしていた。幾度の死に戻りを経ても決して見せたことのない顔だった。
レイもそれを見て渋い顔になっている。渋い顔のまま得てきた情報を一応みなに共有した。
「影の魔王とは傑作じゃ。しかしどうしてか知らんがレイが生きとるとばれとるな。聖女はちょっとアレンジしたでたらめを吹き込まれていたようじゃが」
「もしかして、と思ってたけど、きっとフェルドで私も暗部に顔を見られてたね。ここに刺客が来てなかったってことは、王都の守りをがっちり固めてるんだろうなぁ。王様たちが臆病で助かった」
レイは軽く苦笑いした。
「わしが勇者を殺したと虚偽の報告をしたこともばれてしまったのう。立派なお尋ね者の仲間入りか」
「事が終わったらどこか遠い国に逃げましょう。このクライグ、どこまでもお供いたします」
師弟の軽口をよそにボルダートは直截な一言を告げる。
「聖女をどうする? 勇者の天敵だと言うならば、ここで潰しておかない手はない」
ボルダートの目的は今やレイとルーチェの旅の完遂である。付き合いの浅いフレイアを排除することに何のためらいもない。
ルーチェが言った。
「僕はもう一度フレイアを説得してみるよ。きっと彼女は自分のしたことを後悔している。そんな顔してた。一度じゃすまなくても、何度でもやり直して必ず説得してみせる」
新たな目標を見据え、毅然とした目に戻っている。
ふーむ、と深く息をしてからレイが言う。
「無理だと思う。彼女は無辜の村人を殺めてしまった。そしてそのことに折り合いをつけられないでいる。仮に説得できたとして、彼女の中から良心の呵責は消えないと思うよ」
「でもやってみなくちゃわからない」
「それは彼女がかえってかわいそうだよ。長く苦しむことになる」
ルーチェはいったんは鼻息荒く食い下がったが、レイのその一言に勢いを失って黙った。フレイアの酷い顔を思い出したのだ。
もっともレイが真実心配していたのはルーチェの方だった。体の傷はいくら受けても平気なこの無体な勇者も、心の傷となればどうかわからない。さっき死に戻ってきた時の顔はそんな風に思わせた。
ルーチェにおかしくなってもらっては困る。レイはため息をつきながら言った。
「まあ、一度でうまくいかないことなんて想定内さ。今まで順調にこなしてきたクエストがリセットされるのはたまらないけど、こうなったら仕方ない。暗部に目をつけられたのもチャラにしておきたいしね」
レイがおもむろに言い出したリセット云々が理解できず、一同はレイを見た。
その注目の中、レイは黒いガラスの小瓶をどこからともなく取り出した。
「これは楽に死ねる薬」
そう言ってくいっと軽く飲む真似をする。
「レイ……!」
ルーチェは目を大きくして顔をほころばせた。
その笑顔に微笑みながらレイは言った。
「元の世界に帰るにも変な心残りはごめんだろうからね。長くやり直すことには慣れてる。私がフレイアをいったん無垢な状態に戻す。ルーチェはがんばって説得を試みたまえよ」




