聖女フレイア
フレイアは代々聖女を輩出する名門エスクロークの本家に生まれた。エスクローク家は貴族ではないが、王国からは中級の貴族と変わらぬ待遇を受けている。
聖女というのは王国にとってそれほど重要な役割なのだ。
分家も含めてエスクロークの一門に生まれた女子は幼少から厳しい教育を受ける。聖女は当代で最も優れた女僧侶が務める仕事だ。その仕事に就くためには当代で最も優れた女僧侶にならなくてはならない。
実際のところ多少はコネと根回しで実力に下駄が履かされることもあった。ただ最低でも女神の声を聞き、その恩寵を勇者に授けられるくらいの力は必要とされた。それはれっきとした高位の僧侶の技である。
フレイアは厳しい修行の日々に耐え、弱冠十五歳で聖女の任に堪えるだけの実力を備えた。父は聖女となる資格を備えたフレイアを見てたいそう喜び、できた娘に心からの笑顔を向けた。
父からはそうした僧侶としての精進のほかに、幼少の頃からずっと言い聞かされていたことがある。
「聖女と勇者は伴侶のごとく、互いに助け、助けられ、絆を育まねばならない」
毎日のようにそう言われた。
まだ小さい頃はそれはロマンチックで素敵なお話だった。どこか知らない世界から来た勇者と苦難をともにし、最後には結ばれる。どんな女の子でも憧れるような物語だ。
勇者はいずれ必ず元の世界に帰ってしまう。結ばれた先には悲しい別れがあるとわかっている。でもだったら自分はどうにかしてそれについて行けないだろうか。そんな妄想までしていた。
しかしフレイアが思春期を迎えた頃、父はそんな甘ったるいロマンを粉々に打ち砕いた。
これから大人になる娘に、聖女として本当にやらなければならないことを、すべての真実とともに伝えたのだ。
召喚された勇者が男だった場合、聖女は神聖魔法の使い手としてだけではなく、女としても尽くすことを求められる。
勇者を繋ぎとめ、言うことを聞かせるための手管である。勇者とは便利で強力な道具であると同時に取り扱い注意の代物だ。万が一にも勇者に不満を、ましてや不信など抱かせるようなことがあってはならない。
女の武器は男の目をくらませ言うことを聞かせるための、非常に有効な手段なのだ。
そうして勇者を篭絡し、最後には、殺さなければならない。
聞いたときはしばらく頭が真っ白になるほどの衝撃だった。
これまでの聖女はいつでもそうしてきた。それをできるものだけが聖女となった。だからお前も当然そのようにするのだ。父はそう言った。フレイアはそれがエスクロークの家に生まれた女の運命ならばと自分を納得させた。
だが一方で今まで抱いていた淡い夢のような気持ちも簡単には消え去らなかった。その仕事に納得しきれず、葛藤する気持ちも。
かつて嫉妬心をあらわにした同年の女僧侶から「売女」と呼ばれた意味が今ではよく理解できる。聖女がそういう仕事をするものだというのはどうやら公然の秘密で、知ってしまった今となっては、自分が今まで気づいていなかったことが間抜けに思えるほどだった。
父は思い悩むフレイアに対し、それも女神様のための崇高な仕事だと繰り返し言い聞かせた。フレイアは父の期待に応えて自分を納得させるため、自分に言い聞かせ続けた。
ゆえにフレイアは召喚された勇者が女であると知った時、心底ほっとした。そして喜びに少し有頂天になった。
巡り合わせに感謝するあまり、過酷な運命に巻き込まれたこの子のためにできるだけのことはしてあげよう、と改めて決意さえしたのだ。
その勇者をいずれ我が手で殺さなければならない事実には背を向けて。
「勇者とその同行者はすでにこの町にはいないようです」
フェルドでその言葉を聞いたとき、フレイアは絶望した。必死の捜索でようやく網にかかった勇者。あと一息で手に届く場所にいたというのに。
フェルドはこの国のほとんど中央にある町だ。道は四方八方へ伸びている。すべての方角に追手を放つのは不可能だった。またどこかで警戒の網にかかるのを待つほかない。
フレイアは焦燥に駆られつつも、命ぜられるままに王都に戻って周辺の捜索を続けた。それ以外にできることはなかったからだ。
「ヒカルは私が祝福した私の勇者よ。このままいなくなるなんてこと、絶対に許されない」
勇者が自分の前から姿を消した時、思わずそうつぶやいていた。
実際それは彼女にとって今までの人生をすべて否定されるような出来事だった。絶対に取り戻さなければならない。聖女としての使命を果たすためだけに、これまで自分は生きてきたのだから。
しかし成果のない空虚とも思える日々に、彼女の精神は徐々に削られていった。
そして間もなく届いた二つの知らせがさらにフレイアを打ちのめした。遠方を捜索していたはずの剣聖と賢者からの連絡が途絶えた。彼らもまた行方をくらましてしまった。
取り残されたフレイアは途方に暮れるしかなかった。
そんなフレイアのもとに新たな王命が届いたのは、秋の初めの頃だった。
王命をもたらしたのはいつものごとく父である。
「精霊窟に向かい、これを破壊せよ」
精霊窟。たしか昔は勇者が精霊と契約するために使っていた場所だ。
だが精霊の大きすぎる力はかえって危険であるとみなされ、今後は精霊の力を借りることはないと聞いている。
実際に先代の勇者も精霊の力の暴走により、魔王もろとも自滅したそうだ。その際に聖女と剣聖もまた亡くなったという。
父は続けた。
「勇者の逃亡を手引きした何者かがその力を利用しようとするなら、精霊窟に現れる可能性は高い」
「いったい何者なのですか。その手引きした者とは」
「新たな魔王だ。大胆にも我が国の領内で暗躍している。まだ内々ではあるが影の魔王と呼称することにした」
「影の魔王……」
フレイアは顔をしかめた。私の勇者をたぶらかした不届き者。
「何を企んでいるのか、影の魔王は先代勇者の姿形を真似している。黒髪で黒目のあの姿を見て、実際に先代勇者の顔を思い出す者もいるだろう。その姿で人心をもたぶらかす気かもしれん。これは千年の魔王よりも先に解決すべき脅威だ」
「はい……でも勇者がいないのに魔王が現れたらどうすればいいのでしょうか」
「勇者ヒカルが影の魔王のすぐそばにいるはずだ。お前が勇者の目を覚まさせるしかない。もしもそれができない時は……」
フレイアは父が濁した言葉の内容を正確に把握していた。
「……魔王がいるのに、ですか」
「魔王にその力を利用されるわけにはいかん」
二人の間にしばしの沈黙が流れた。父は咳払いして話を戻した。
「とにかく精霊の力はもはや危険をもたらすだけの邪悪な力だ。まずは精霊窟を破壊するのだ。もし妨げる者があればすべて女神様に背く逆徒として排除せよ。これは王命であるとともに教会の決定でもある。王都の守りも固めなくてはならぬゆえ前ほどの戦力は割けぬが、各自が全霊をもって当たれば問題はなかろう」
「はい! わかりました!」
「その後は別命あるまでその場で待機だ。もし勇者がやってきた場合は、頼むぞ」
「お任せください」
聖女フレイアは即日武僧らを招集し、早速王都を出発した。目指す精霊窟は南西に五日ほどの距離にある。
彼女は王命の意味するところを、まだ本当には理解していなかった。それを否応なく理解したのは五日後のことである。




