勇者と精霊窟
いよいよ精霊窟が近いという森の中、不意にレイが立ち止まって顔をきつくしかめた。ルーチェはレイがここまで深刻な顔をするのを初めて見た。
「まいったな。思ってもみなかった事態だ。精霊窟が荒らされてる」
使い魔の目がレイにその光景を見せている。焼け跡になった守り人の村と、上部が崩れて形を変えた滝の姿。精霊窟はその滝の裏にあったはずだが、今は剥き出しになった洞窟の入り口の、土砂に埋もれた様が見えるだけだ。
「馬鹿な。これでは精霊契約は二度とできんぞ」
共有された映像を見たフィツが言った。いつものごとく表情は控え目だが声色にはレイと同じ感情がにじんでいる。
もともとあった村はずいぶんと前に焼き尽くされたと見える。周囲の森を巻き込んで焦げ跡となった土地には春の新しい緑が芽吹いていた。
「フレイア……」
ルーチェは思わずその名を呼んでいた。脳裏に流れ込んできた映像の中にあったのは見覚えのある彼女の姿だ。遠い上空からではあるが、まとった法衣と豊かな金の髪は見間違えようがない。
彼女の周囲には三十名程度の武僧が陣を張って野営している。滝の上の岩陰に見張りと思しき男たちもいた。ルーチェが精霊契約目当てに精霊窟を訪れるのを待ち伏せているのだ。
一行はその場で輪になって状況を整理した。
クライグやボルダートが勇者について受けた指示は「見つけて連れ戻せ」というものだったが、あれから十ヶ月近くが経った今となっては、その指示がまだそのままかどうかはわからない。
だがいずれにせよ制御不能な勇者に精霊契約までされてはまずいと考えたのだろう。そこで彼らはまさかの先手を打った。
「どうするんです? 精霊契約できないなら大人しく帰りますか」
「そうだねぇ。惜しいけど、絶対に必要と考えていたわけでもない。精霊窟が無事なら戦って突破するのもやぶさかでないけど、もはや行く意味はないね」
クライグが言うのにレイが答えた。もう気持ちを切り替えている顔だ。
「それにしても守り人たちを皆殺しとは。一体何を考えておるんじゃ」
だがフィツの声にはまだかすかな憤りが乗っている。
精霊窟にはこの国が興るより以前、はるかな昔から守り人たちがいた。精霊窟を破壊しようとする者と守る者。おそらく当然のように衝突が起き、村は滅ぼされてしまったのだろう。
その仕事をやったのは状況から見ればフレイアとあの武僧たち。国と深い関係のある教会の手勢ということになる。
ボルダートに意見はなく、ただ決まったことに従うという立場。相手が国とつながりのある者だろうと必要とあれば斬る。
ルーチェは先ほどから口ごもっていた意見をようやく口にした。
「フレイアと話せないかな」
話せば少なくとも、精霊窟と守り人の村がああなった経緯、それが推測ではなく確かな情報として手に入る。
「聖女が勇者の天敵であることは忘れちゃいないだろうね。体に触れられて短い呪文を唱えられたらそれでルーチェは勇者でなくなる」
「そう来るとわかってるなら易々とはやらせない。それにボルダートも前を守ってくれるでしょ?」
「任せてもらおう」
レイが言い聞かせる口調で言うのに、ルーチェが答え、ボルダートも仕事を請け合った。
レイはあごに手をやりしばし考えていたが、ややあってルーチェの案に賛成した。
「ルーチェが後ろ髪引かれたままなのも落ち着かないだろうしね。情報収集の回と行こうか」
こくりとうなずいたルーチェはこの時この場所にアンカーを打った。
最初の一回は思い切り攻撃して敵を排除する。そうしてできるだけ安全に情報を得た上で、ルーチェが死にここに戻って来る。その後どうするかは、得られた情報次第だ。
一同は守り人の村まで続く道から外れ、森の中を隠れて近づいた。村の外れの茂みの間から武僧たちの野営地をうかがう。武僧たちが思い思いに鍛錬して過ごす中、フレイアは滝から流れる清流のほとりに腰かけていた。
口を少し開けて呆然と水の流れを眺める聖女の顔には一切の感情が見られない。ひどいクマができていた。ルーチェはその無機質な瞳に覚えがあった。いつかボルダートに押さえつけられながら見上げた無の表情と同じだ。
「派手に火でいくぞ。レイ、クライグ、合わせい」
「りょうかーい」
「承知いたしました」
三人の魔法使いはほぼ同時に呪文を唱え始め、ほぼ同時に唱え終わる。ルーチェにはまだ使えない高位の火炎魔法だ。
練度の差を表す極大、大、大の三つの業火が野営地に炸裂し、方々のテントが燃え始める。炎は同じように人も包み込み、辺りは阿鼻叫喚の巷となった。振り返ったフレイアの顔と法衣を炎の照り返しが赤く染めている。
敵襲を呼びかける声が響き、その敵を目ざとく見つけた武僧数人が俊足で魔法使いたちに迫る。だがそれらも前に出たボルダートにあっさりと切り捨てられた。
フレイアがその様を驚愕の目で見ている。勇者、剣聖、賢者。自分以外の三人が肩を並べてそこにいた。
「あなたたちいったいどうして……」
十名余りの武僧が呆然とするフレイアの前に立ち、その盾となる。
「意外と残ったのう。不意打ちでもう少し減らしておきたかったが」
フィツがぼやいた。
神聖魔法で防御を固めた武僧の集団はフィツの魔法でも容易には突き崩せない。また絶命せずに負傷に留まった武僧たちは互いに回復しあってほとんど無傷の状態に戻っている。
フレイアの目はその小さな大賢者と、その横に立つ黒髪の女を捉えた。不意に険しい顔となり言葉を叩きつける。
「魔王……っ!」
その言葉にレイもルーチェも驚愕した。
「ヒカル、そいつは魔王よっ! 何を吹き込まれたか知らないけど、あなたは騙されている! ボルダート! クライグもどうしたの!? あなたたちまで魔王にたぶらかされているの!?」
レイが素直に疑問を口にした。
「私が魔王だって、どうしてわかるの? あなたとは初対面のはずだけど」
フレイアは質問の相手を糾弾するように指差す。
「邪悪なる者の正体を看破するなど、女神様に仕える我々にとっては容易い仕儀です」
そしてルーチェに必死の目を向けた。
「聞いて、ヒカル。その女は先代の勇者レイコ」
ルーチェの心に「そこまで知られているのか」という思いと「かつての勇者を魔王と呼ぶのか」という思いが同時にわいた。が、続けて放たれた言葉にはただ困惑した。
「その姿に擬態した影の魔王よ」
不意にわいて出た思わぬ情報にルーチェはどう反応していいのかわからない。ボルダートは変わらぬ仏頂面のままだが、クライグもまたルーチェと同じ表情だ。
「大賢者フィツ様、あなたほどの魔法使いがどうして魔王になど騙されているのです!」
どうやらフレイアはフィツを大賢者と認識している。やはりすがるように訴えかけた。
「影の魔王って呼ばれたのは初めてだ」
「なんじゃとお。お主、わしを騙していたのか?」
一方、レイとフィツは緊張感なく言い交わしている。
フレイアが一方的に金切り声をあげた。
「ヒカル、勇者として最初の仕事よ! そこにいる影の魔王を打ち倒しなさい! ボルダート! クライグ! あなたたちも、さあ!」
レイが冷めた目になって質問した。
「千年の魔王はどうするの? 勇者ヒカルとやらはそっちの魔王を倒すために呼ばれたはずだけど」
「もちろんあなたの後は千年の魔王です。同じ時に複数の魔王が現れる。例のないことではありません」
レイはルーチェに向かって言った。
「ね、こいつら都合の悪いやつはとにかく魔王って呼べばいいと思ってる。適当なんだよ」




