勇者とその教師たち
五人となった一行は南に進路を取り、反時計回りに海沿いを進んだ。冬の間もクエストをこなしながら旅を続けた。
ごまかしようのない巨漢のボルダートが加わったことで、人目のある大きな道は本格的に使えなくなったが、不本意な変装をしなくてもよくなったルーチェはかえって清々した様子だ。
その旅の間、剣聖と賢者によるルーチェへの指導が続いている。
クライグからはこれまでの旅の間も精霊魔法の手ほどきを受けていた。
手ほどきを始める一番最初の時、クライグは改めてルーチェに詫びた。
「二年旅したと言われてもまったく覚えはないが、きっときつく当たったことだけは理解できる。師匠との再会のおあずけを食らったんだ。最悪の気分だったんだよ」
そう言い訳しつつも頭を下げ、これからはそんな態度は取らないと約束した。
その約束通り、クライグのルーチェに対する態度は誠実だった。やや鼻につく言動などはまだ残るものの、真剣に精霊魔法を教えてくれている。指導のさなかには魔法に対する情熱も垣間見えた。賢者に選ばれた魔法の腕前はただ才能だけに頼ったものではない。
この世界の魔法は、素質を持つ者が、正確に呪文を唱え、魔力を消費することで、発動する。
シンプルな三要素である。
精霊魔法、神聖魔法などの区別はあるが、この三つの要素は変わらない。
このうち師匠が弟子に指導するのは呪文の唱え方がメインとなる。
なんとなれば魔法の素質は生得のもので、素質のない者はいかに努力しようと魔法を使うことはできない。異世界から召喚された勇者はほぼ例外なく精霊魔法と神聖魔法の両方の素質を持つのでこの点は問題ないが、逆に問題があった場合でもできることは何もない。
魔力はこの世界の人間の誰もが持っているもので、それは空気中の魔力を体内に取り込んで蓄えたものだ。そして運動すると体力を消費するように、魔法を使うと魔力を消費する。この点で師が教えられることといえば、魔力の消費を小道具で補う手管や、効率のいい回復方法を教えるのがせいぜいである。
しかし呪文の詠唱に関してはずいぶんと奥が深い。
魔法というものは基本的に正確に呪文を唱えることができれば発動するのだが、その正確に唱えることがまず容易なことではない。高度な魔法の長く難しい呪文はもちろんとして、初歩の魔法の短い呪文ですらそうなのだ。未熟なうちは呪文を失敗して魔法が不発に終わることもままある。
またその正確の中にもいくらか幅があり、より精度の高い詠唱をするほど魔法の精度や威力も高まる。ゆえに魔法使いは生涯をかけて自らの呪文詠唱の技能を磨き上げていくのである。
フィツとクライグの師弟を見ていてもわかるが、やはりその様は歌や舞踊のような芸事の道に近い。
クライグはルーチェに初歩の呪文から教え始め、ルーチェもその手ほどきに従って精霊魔法を基礎から学んでいる。旅をしながらではあるが、急ぎの旅ではないので時間はまあまあある。そのどこかのどかな時間の中で、ルーチェは日々の魔法の鍛錬を楽しんでいた。
ルーチェが教えられたことを自習する横で、クライグもまたフィツに叩き直されていた。「違う違う! そんなこともできんのか」と、さっきはクライグがルーチェに言ったきつい言葉を、今度はフィツがクライグに言うのだった。
そうした鍛錬の時間に最近はボルダートの剣術の指導が加わった。
その指導はいつも型の訓練から始まる。
ボルダートは剣を取って自ら型を見せ、ルーチェにそれにならうよう剣を振らせる。そして型と違っている箇所を指摘して、踏み込み、体の使い方などをいちいち矯正していく。徐々に複雑な型を教えると言うが、今のところは初歩の基本の型をいくつか繰り返すばかりだ。
何も考えずとも体が自ずと動くようになること。型を教える際、ボルダートは何かにつけてそう口にした。こちらはこちらでまさに芸事の訓練だった。
日々の指導の最後には必ず実戦形式の手合わせが行われた。「稽古でも殺すことを心配せずに真剣を使えるのは良い」と言いつつ、ボルダートはルーチェを軽くあしらって、寸止めでその剣を止める。そしてどうして負けたのかを弟子に考えさせ、再び剣を構えた。
戦いとは敵との騙し合いだ。常に相手に先んずるべく考え続けること。幾度かの手合わせを終えた後、ボルダートは必ずそう言って締めた。
もし今のボルダートと本気の殺し合いになったとしたら、自分はとても勝てる気がしない。どんなに裏をかこうとしても、ボルダートは易々とこちらの動きに対応してくる。かつて戦ったどんな相手よりも高い壁。そう感じた。
これまで我流で剣を振りまわしていただけのルーチェは、自身の腕がメキメキと上がるのを実感していたが、指導開始から半年が経とうとする今でも、手合わせが通算で千戦に近づこうとする今でも、ボルダートから一本を取ることができないでいる。手加減なしの剣聖の背中ははるか遠い。
これに加えてレイから神聖魔法も教えられているのだから、ルーチェの一日のスケジュールは過密なんてものではなかった。
しかし日々の上昇の感覚にその目は輝いている。ルーチェは掛け値なしに充実した日々を送っていた。
やがて冬が終わり春も半ばを迎えた。
オクトラクルムを起点として地図を見ると、海岸線に沿った街道は半円を描いて王都デンフィードまで伸びている。一行が今いる場所は王都までおよそ八割まで来た地点だ。
お尋ね者だらけの一行はここまで街道は一切使っていない。また途中で多くのクエストをこなしたこともあって、その間を内陸に入ったり、海岸線に戻ったり、かなり無軌道な道のりを進んで来た。人里離れた原生林や原野の道なき道を当たり前のように行く。
レイはどんな道でも勝手知ったる足取りで、決して迷うことはない。
今日は細い崖沿いの道を海風にあおられながら歩いていた。海から吹く風は冷たいが、春の日差しは暖かい。
「フィツは意外と健脚だよねぇ」
「こう見えて山育ちじゃからな」
先頭を進むのはレイとフィツだ。
実際フィツは小さな体できびきびと動く。このパーティの体力最下位はレイとクライグの二人が争っていた。最上位は大きく水をあけてルーチェである。ボルダートの体力も十分常識外れと言っていいものだったが、異世界勇者たるルーチェの体力はさらに輪をかけて非常識だった。
「しっかし、こうもよく厄ネタがほいほい転がっとるもんじゃの」
「ふふふ。この世の平穏は割と薄皮一枚で保たれているのさ」
一行は先ほど小さな漁村でクラーケンという巨大なイカの魔物を倒すクエストをこなしたばかりである。こいつは生かしておくとより大きく成長し、十数年後に暴れまわって大きな被害をもたらす。
南岸の漁村の半分を潰した上で、多くの船も沈め、さらには王都近くのこの国最大の港町を壊滅させる。重要な貿易港を失った王国は経済的に大打撃を受け、やがては国全体がうっすらと貧しくなる。飢饉が起きた時と同じように各地の治安も悪化する。
「呪われとるのかこの国は」
「本当はそういう国難にあたって勇者を呼んでほしいけどねぇ」
フィツとレイは呆れたように言い交わす。
「無能な国の代わりに我々が骨を折ってやっているとは、なにやら癪ですな」
「僕は楽しいよ。やりがいある仕事ができて」
クライグとルーチェが対照的な表情で話に割って入った。最後尾を行くボルダートは無言だ。
こんな調子で一行は王都周辺を通り過ぎ、今度は北半分をぐるっと回ることになっている。
だがその前にこの近辺でやっておきたい事があった。
レイが軽い調子で言った。
「そろそろ精霊窟が近い。通りすがりにルーチェの精霊契約をしておこう」




