勇者とワイバーン
飛竜ワイバーン。
その姿形はざっくり言うと前足のないドラゴンである。背中に生えた大きな翼で空を飛び、猛禽類のような一撃離脱で獲物を狩るが、地に下りて長い首と蹴爪、毒のある尾などを振り回して力を振るうこともある。
人間の倍はある体高を持ち、重量級の巨体から繰り出される攻撃は、全身鎧の兵士をまとめて薙ぎ倒す力を持つ。恐るべき魔物である。
しかし幸いにもワイバーンは基本的には人とは関わらない山奥で暮らしている。峠道を行く者をまれに襲うことがあるものの、ワイバーンの方も人間をやっかいな動物とみなしていて、人里にはまず近づかない。
そのワイバーンが町を襲ってきたということは。
「わざわざ巣まで行って怒らせた者がいたんだろうね」
進んで人と関わろうとしないワイバーンを、むしろ人の方から狩りに行くことがある。ワイバーンはとんでもなく金になるのだ。
レイの説明を聞いたルーチェがなんとなく尋ねる。
「ワイバーン退治もクエストに入る?」
「うんにゃ。ワイバーンは放っておけばほとんど害にならない。せいぜい狼や熊と変わらないくらいさ。むしろ縄張りを荒らすほかの魔物を狩ってくれたりする。長期的には狩るデメリットの方が大きい」
その問いに答えを返しながら、レイは考え続けていた。
ワイバーンがここまでやって来たということは、その巣からここまで逃げてきた者がいるということだ。おそらくはボルダートかその協力者だろう。なにせ彼にはワイバーンにちょっかいをかける動機がある。
考えている間にも彼方からは戦のような喚声や悲鳴が聞こえてくる。窓から暗がりの空が赤く染まっているのが見えた。ワイバーンの中でもフレイムワイバーンと呼ばれる種は火を吐く。すでに町中で小さくない火災が起こっている。
火の手の方向を見ながらレイが確認する。
「ルーチェのアンカーはこの町に入る前だね?」
「うん」
「じゃあそこまで戻ることになるかもしれない。アンカーポイントの更新はしないでね」
「了解」
それから四人は変装を解き、いつでも戦えるように装備を整えた。ルーチェは魔神と戦った時と同じく、青い巨剣を携えた完全装備だ。
戦いの音はだんだんこちらに近付いてくる。火の手もさらに広がっているようだった。
周囲の家から人々が飛び出し、喧騒が辺りを支配した。大通りには戦いとは逆の方向に流れる人の河ができている。すぐそこで母親とはぐれた子供が大声を上げて泣いていた。
ルーチェを先頭に四人が外へ出ようとすると、すでに宿の主人はいなくなっていた。かまわず裏口へ進み、人混みの大通りは避けて裏路地に出る。狭い道を赤い空の方向に進む。その間にも多くの人とすれ違った。
間もなく燃え盛る炎が目に入った。町を焼き尽くさんばかりに燃え広がっている。ワイバーンの姿はないが、兵士たちは忙しく走り回っていた。もはやワイバーンどころではない。火を消し止めようとしたり、倒れた町の住人を担いで運んだり、火事への対応で手いっぱいといったかんじだ。
「クライグ、合わせよ」
「はっ」
フィツが呪文を唱えると、杖の先から勢いよく水が噴き出し、周囲の建物の火勢を弱める。その横でクライグも規模は小さいが同じ魔法を使い、師匠と同じ放水の仕事を始めた。火に追いつかれそうになっていた大勢がそれで難を逃れる。
そうして火に抗しながら先に進むと、火災に包まれる町の中、巨大なワイバーンと激しく戦う牛のごとき巨漢がいた。ボルダートである。
体の動きを妨げない軽金の鎧に身を包んだ剣士は、ワイバーンの噛みつきや尻尾の攻撃を紙一重でかわしつつ、翼竜の体に反撃の剣を叩き込んでいる。だがその剣はワイバーンの硬い鱗に弾かれ、大きな傷を与えているようには見えない。
ルーチェは加勢に走ろうとしたが、両者の戦いに割って入るのをためらった。あの尋常ではない速度。下手をすれば飛び込んだ瞬間死んでしまう。
「だいぶ年かさのワイバーンだ。よりによって大した大物に手を出したもんだね」
レイが呆れた声をあげる。
そしてわずかに戦いの様を眺めた後、フィツとクライグには周囲の消火活動を優先するように指示した。ルーチェにはどこからともなく取り出した一本の長剣を渡し、投げる準備をするよう伝える。ルーチェはその意図を悟って素直に言う通りにした。
レイが叫ぶ。
「ボルダート! ここに剣聖にふさわしい大業物がある! 使いなさい!」
ボルダートが声の主をちらと見た。
「ルーチェ、今!」
「受け取って!」
ルーチェがボルダート目がけて長剣を一直線に投擲する。
ボルダートは今まで握っていた剣をワイバーンに向けて投げつけると、飛んできた長剣の柄を鮮やかにつかみ、そのまま一回転した勢いでワイバーンに切りつけた。ワイバーンはもたげていた首を引き、その攻撃をかわす。
そこからまた激しい戦いが続いた。ボルダートの振るう剣がワイバーンの鱗を切り裂くようになると、ワイバーンは距離を取って炎を吐くことが多くなった。しかし放射状に広がるその炎をボルダートは果敢にも踏み込んでかわし、かえってワイバーンの懐に入って切りつける。
ルーチェはその戦いの様に圧倒されていた。二年の旅の間に見たボルダートにはなかった動きだ。レイがいつか「まあまあ」と評したボルダートではない。ルーチェが初めて見るボルダートがそこにいた。
まさか大魔域の旅では本気を出していなかった? なぜ?
やがて時を追うとともにワイバーンは体中から血を流し、みるみるうちに満身創痍となった。とはいえ戦いは一進一退。ボルダートも頭から血を流し、あちこちに火傷をしている。レイとルーチェの神聖魔法がその傷を細かく癒していなければ、ボルダートはすでに動けなくなっていただろう。
そんな拮抗状態がしばらく続いた後、不意にワイバーンが大きく飛び上がり、円を描くようにして上空を滑空した。しかし逃げ去る気配はない。その目は狙いすますかのように獲物を捉えている。
ボルダートは腰を落として足を踏ん張り、やや切っ先を下に落として剣を横に構えた。迎撃の構えである。
一瞬の出来事だった。
ワイバーンが一直線にボルダート目がけて落下する。鋭い蹴爪が獲物の体を引き裂かんとする。ボルダートは怯まず上空に向けて剣を振るった。大きく弧を描いた長剣の切っ先がワイバーンの首に吸い込まれた。
ボルダートは剣を振り切った姿勢で静止し、落下したワイバーンは体勢を崩してもんどりうって地に転がった。
首の半ばを大きく断ち切られたワイバーンはすでに絶命していた。
「かたじけない」
ボルダートはそう言って長剣を大地に突き刺すと、自分は家族の住む家の方角へと走り去った。取り残されたルーチェとレイがその背中を眺める。
男の行く先には、赤い炎が空を焦がし続けている。




