剣聖ボルダート
「剣士ボルダート。そなたを新たな剣聖に任命する」
ボルダートはある日突然やってきた王の使者から一方的にそう告げられた。
近々新しい勇者が召喚されるのだという。剣聖はその勇者とともに魔王討伐の旅に出なくてはならない。
ボルダートは固辞して訴えかけた。
「家族のためにこの地を離れられない。この家で稼ぐのは自分しかいない」
すると使者は言った。
「旅の間、家族には毎月国から生活費を支給する」
具体的な金額も提示する。だがそれはボルダートからすればまったく話にならない額だった。
もとより生活するのに最低限の額でしかない上に、彼の家には病気の娘がある。その病を癒すためには高価な薬が必要だった。その薬を買うために彼は身を粉にして働いていたのだ。
「勇者を助けて魔王討伐を完遂すれば莫大な報奨金を授ける」
事情を聞いた使者はそう言ったが、何年かかるかわからない旅の末にその金を手に入れたとして、娘がそれまで生きている保証はない。
しかし抗ったところで無駄なことだった。この国において王命は絶対だ。
「逆らうならば家族ともども国外追放とする」
使者は居丈高にでもなく、申し訳ない風でもなく、ただ平坦に取り決められた事実だけを告げた。
「剣聖の任、ありがたく拝命いたします」
ボルダートは巨躯を折り曲げ、首を垂れるほかなかった。
しかし心を押し殺して地面を眺めながら、一方で決意した。こうなればできるだけ早く魔王とやらを討伐するほかない。任務達成の報奨金は娘の薬代を賄うに足る。ことによればこのままコツコツ働いて稼ぐよりも早く娘に薬を買うことができるかもしれない。
家族に見送られて王都へと向かうその心はいつしか前向きになっていた。
ところが王都で告げられた勇者の旅の真実は再びボルダートを打ちのめした。その最後にやらなければならない汚れ仕事。ボルダートは莫大な報奨金の内訳に口止め料が含まれていることを知った。
剣聖とはとんだ名誉の役回りではないか。
鬱々と勇者の召喚を待つ日々。もともと口数の少ない寡黙な男だが、常にもまして口を固く結び、誰とも話さない日々が続いた。
召喚された勇者が逃げ出したと聞いた時、その一文字に結んだ口元が人知れず緩んだ。
勇者捜索の任を受けたボルダートは王都からまっすぐに家族のいるオクトラクルムへと引き返した。国からつけられた三名の供回りにはかわいそうだが旅の途中で行方不明になってもらった。彼らに恨みはないが、自分にも守らなければいけないものがある。
「ワイバーンの卵を盗む」
オクトラクルムへと帰り着いたその夜、ボルダートは隠れ家に集まった仲間たちにそう告げた。長らくこの町を防衛してともに戦ってきた戦友たちだ。
手っ取り早く大金を作り、家族ともども隣国へ亡命する。それがボルダートの話す計画だった。
国境の山地にはいくらかの魔物が巣を作っている。件のワイバーンもその中のひとつだ。その巣には決して近づいてはならないと、町では昔から言い伝えられている。
だがボルダートは剣聖に任命される少し前、そのワイバーンが卵を産んだという話を聞いていた。そしてその卵が大変な金額で取り引きされるということも。
いかに腕に覚えのあるボルダートとはいえ、普通ならばワイバーンに近づこうなどとは思わない。あんな巨大な飛竜にちょっかいを出すなど、正気の沙汰ではない。
しかし卵を盗むだけならあるいは。
仲間たちは誰もがボルダートの事情をよく知っている。「やってやろうぜ」「俺たちに任せろ」と、酒の席に男たちの威勢の声が上がった。中には隣国までボルダートについて行くという者までいた。
それからボルダートらは時間をかけて入念に手筈を整えた。ワイバーンの卵を買ってくれる商人に渡りをつけ、卵を持って来ればすぐに大金と娘のための薬も添えて交換するという約束も交わした。
準備はすべて整った。あとは作戦に参加してくれる最後の仲間を待つのみ。
そんなある日、仲間の一人がボルダートのもとまでやって来て告げた。
「妙な奴らが町に来てる。一見してただの家族連れだが、どうもお前のことを嗅ぎまわっているようだ」
「ついに追及の手が迫ったか」
ボルダートはしばし目を閉じて黙った後、決意の目を開いた。
「今日の夜、出発しよう。みなに声をかけておいてくれるか」
「ケイネンがまだだ」
「もはや一刻の猶予もならん。おとり役はケイネンの代わりに私がやる」
「おっと、お前以外の誰があのデカい卵を運べるっていうんだ。そいつは俺たちに任せとけよ」
ボルダートらは予定を前倒ししてワイバーンの巣のある山へと入った。そして翌々日の午前には巣をうかがう場所までやって来ていた。
岩地に囲まれた、土を掘ってできた巣の中に赤い飛竜がじっとうずくまっている。卵を抱く飛竜は油断なく周囲を警戒していた。
卵泥棒の計画の詳細はこうだった。
ワイバーンは巣に近付いた者を本能的に追い払おうとする。おとり役がうまく誘き出した隙にボルダートが卵を盗み出し、あとは森に隠れながら下山する。それだけの単純な段取りである。
「俺が反対側から回り込む。ワイバーンが巣を離れたらすかさずやってくれ」
「気をつけろよ」
見送るボルダートと軽く拳を合わせ、仲間の一人が一行を離れた。残された男たちが森の茂みの陰から固唾を飲んで見守る。
かなりの時間が経った後、ワイバーンが一声鳴いたかと思うと、ボルダートらとは逆の方向に翼を広げて飛び立って行った。ボルダートはワイバーンが十分に離れたタイミングを見計らって巣へと駆ける。
巣の中には抱えるほどのサイズの赤い卵が転がっていた。それを急いで背負子に括りつけ、山を下り始めようとしたその時である。
ボウと炎の立つ音とおとり役の凄惨な悲鳴が上がる。遠目に火だるまとなってもがき苦しむ男の姿が見えた。
「ボルダート、早く!」
それに気を取られて一瞬足を止めたボルダートを別の仲間が叱咤する。ボルダートは脇目も振らずに山を駆け下った。ワイバーンがこちらに飛ぼうと翼をはためかせるのを尻目に、深い森の中へと逃げ込む。
「案の定、奴さんの図体じゃこの森の中には入って来れんな」
死んだおとり役の死を悼みつつも、一行は安堵とともに足取りを緩めた。
だが仲間たちに囲まれたボルダートの表情は硬い。おとり役がワイバーンを引き付けていた時間が想定よりかなり短かった。逃げる自分たちを目撃されてしまったのがどうにも気にかかる。
それからすぐに一行はボルダートの懸念が正しく、安堵するにはまだ早すぎることを知った。卵を奪われた母ワイバーンの執念と執着を甘く見積もっていたことを悟った。
ワイバーンは逃げるボルダートたちを執拗に追った。追い立てられたボルダートらは何日も山中をさまよい、仲間たちも次々と倒れていく。あるいは牙に噛み砕かれ、あるいは蹴爪に千切り取られ、あるいは吐く炎に巻かれた。
そんな逃避行のさなか、とどめとばかりの痛恨事が起きる。背負子の縄が緩んだ拍子に、卵が岩の上に落ちて割れてしまったのだ。大きく凹み、できたひび割れから透明な液体がにじみ出る。台無しになってしまった卵を足下に、ボルダートはただ呆然とするほかなかった。
もはや取り戻すべき卵はない。しかし飛竜の怒りはなおも収まらない。
「これも報いか」
無念のボルダートはいよいよ覚悟を固め、割れた卵を抱えて開けた場所に出た。上空を高く飛ぶワイバーンの姿が見える。ワイバーンからもこちらがよく見えるはずだ。ボルダートは卵を放り投げると、腰から剣を抜いた。
しかしワイバーンの行動はつくづく思い通りにはならなかった。
ワイバーンは剣を構えるボルダートを一顧だにせず、一直線にオクトラクルムへと飛んだ。何事かと目をやれば、先に逃がした最後の仲間が山裾の森を抜け、城門へと走っていくのがかすかに見える。
飛竜の瞳はその豆粒ほどにしか見えない獲物の姿を逃さず捉えていた。そして背を向けて走る男に向かって滑空し、上空から狙いすまして急降下。その蹴爪の餌食とした。
城門の上からその様を目撃した兵士たちが騒いでいる。
赤い飛竜の瞋恚の瞳に、新たな獲物たちの姿が映っていた。




