勇者と賢者クライグ
場の空気が固まった。当のクライグも飛び込んできた時の笑顔とポーズそのままに固まっている。
ルーチェの脳裏にいつも向けられていた小馬鹿にするような顔と、首を落とされた時の意味はわからないがこちらを刺す言葉がフラッシュバックした。
そのような心境を知ってか知らずか、クライグの目に敵意が宿る。
が、瞬時にまた表情を変え、両手を肩の高さに広げて無抵抗のポーズを取った。
「すまん! 悪かった! 師匠にだけは何もしないでくれ! できれば俺も殺さないでくれ! 勇者ヒカル! 俺はどうあがいてもあんたに敵わないことを理解している! この通りだ!」
ルーチェはその訴えかける様に唖然として目を見開いている。状況がまったくわからない。
「すまん、うちのバカ弟子の話をまだしてなかったの。さっき詫びようとしていたのじゃ。どうかわしに免じてこいつの命だけは取らんでやってくれんか。命を取られるに値することをやったのだとはわかっておる」
フィツにも頭を下げられ、ルーチェの頭の中にはてなが増えた。ただただ困惑している。
隣にいるレイの顔を見れば、レイもまた首を傾げていた。
フィツがさらに詳しく説明するに、賢者クライグは大賢者フィツの弟子であったらしい。フィツは孤児だったクライグの才能を見出し、幼い頃から内弟子として面倒を見てきた。彼女が賢者と呼ばれる前からの関係だ。
フィツがレイの賢者として旅に出た後、クライグは王都の魔法学院で過ごし、やがては自らも賢者の座を得たというわけだ。
「へぇ~。そんなのいま初めて知った。弟子がいるとは聞いてたけど」
レイが感心したように言う。ルーチェはレイにも知らないことがあったのかと驚く。
クライグがフィツの前に跪き、手を差し伸べて言った。
「でも俺はなりたくて賢者になったわけじゃありません。学院を卒業して愛する師匠に会えると思いきや引き離される。悲しみに胸が張り裂けんばかりでした」
フィツが無表情で罵る。
「少し黙れクソ弟子。図体ばかりでかくなりよって」
「師匠の方はお変わりなく。ああ、罵りの声すらまさに干天の慈雨。二人別れて幾星霜。そのお声がずっと聞きたかったのです」
フィツは大賢者となってからすぐにこの僻地に隠遁してしまったので、王都で暮らすクライグは長らくその顔を見ていない。
「そういう意味ではヒカル……様。あんたが逃げてくれたのは俺にとっても何より。いやぁ、よくやってくれた! ナイス!」
危機的状況ではないと悟ったクライグはやけにテンションが高い。二年間の大魔域の旅の間、こんな顔を見せることはついぞなかった。
「だいたい魔域を何年も旅するなんてまるで罪人扱い。そんなのごめんですからね。帰ってきたら師匠が寂しさで死んでしまっていたりしても大変ですし」
「わしは兎か」
「おっ、そういえばお土産があるんですよ。うさ耳。汚いお偉いさんに連れられていった酒場でこういう趣向がありまして。絶対に師匠に似合うと思って衣装一式、所望しておいたので後で渡します」
「いらん」
「あ、ご安心ください。クライグは清い身でございます。大切な童貞はしっかりと守っていますので」
「死んでくれ。わしとお前はあくまで師匠と弟子。いい加減、その戯言はやめろ」
「師匠もこんなところに独りでお暮しになって。私を待っていてくださったのでは?」
「誰もがお前のようにめでたい頭を持っていると思うなよ。だいたい色恋沙汰など面倒極まる。わしは生涯独り身でいるつもりじゃ」
フィツはいちいち無表情で応じた。
ルーチェは相変わらず話についていけていなかったが、ひとつだけ質問した。
「フィツさんはおいくつなんですか?」
「三十三じゃ」
「外見で舐められないようにその口調なんだよね」
フィツが端的に答え、レイが笑いながら補足した。
ルーチェは驚いた。悪いがフィツは自分よりも余裕で年下に見えるくらいだ。それでもレイの話で年上だとはわかっていたが、まさかそこまで年上だったとは。
フィツはレイに向き直り、その話題をさっさと打ち切ろうとするかのように言った。
「ちょうどいい。こいつにも仕事を手伝わせよう。多少は役に立つじゃろう」
「師匠がおっしゃることならばなんなりと」
クライグが恭しく礼をして大げさに頭を下げた。
レイはそこであごに手を当て考え込んだ。
「うーん。こういうクライグ君は初めてだなぁ。まさかフィツの弟子だったとは」
それから手っ取り早く話を進めるため、クライグに自分が長い年月にわたって幾度もループしている勇者であることを明かした。
「師匠の勇者は死んだはずじゃ……」
クライグは怪訝な顔となり師匠に目をやったが、その師匠が黙ってうなずくのを見てレイの話をすぐに飲み込んだ。
そして自分が直前のループで見事に魔王討伐をやり遂げ、勇者ヒカルを始末した話を、どこか呆然とした顔で聞いた。
レイは続いてそれ以外のループにおけるクライグの話をした。
クライグはルーチェが勇者にならなかった場合、勇者となるべき者を逃がした嫌疑をかけられる。賢者として内定していた彼が「大魔域に行くなんてごめんだ」と、学院の同級に漏らしていたことが疑いの根拠だ。結局は証拠不十分で無罪放免となるが、以後は監視をつけられ、まともな仕事には就けなくなる。
その灰色の一生はそれほど長くはなく、二十代半ばに舌で人の恨みを買い、ナイフで腹を刺されてドブ川に沈む。いつも必ずそうなる。
総じてどうしようもない男だと評価していたのだが……
「もしかして、私がルーチェを助けたことで、クライグ君の運命が大きく狂ってしまったのかもね」
あまりに酷い己の末路に、さっきから浮かれていたクライグもさすがに黙ってしまった。
フィツも同じく黙ったままだったが、やがて静かに言った。
「いや、こいつはどうも昔から人を小馬鹿にしているところがある。わしの教育の失敗でもあるが、すべては身から出た錆ということであろうよ。クライグ。いい機会じゃ。貴様もいったん死んでこの時まで戻ってきたと考えよ。これからは心を改め、少なくとも人から刺されない程度には口を慎むのじゃぞ」
「……師匠」
そして腕を組み、そっぽを向きながら続けた。
「……もう少しだけ教育してやる。あとしばらくはわしのそばにいるがいい」
「師匠……!」
クライグはわずかに涙を浮かべながら小さな師匠に抱きついた。フィツは「でかくなった図体でやめんか」と言いながら手を突っ張ってその顔を押し返している。
ルーチェは不遜にも思ってしまった。
絵面がちょっと事案めいている。
そんなルーチェにレイが横から尋ねた。
「どうする? ルーチェ。フィツといっしょなら大丈夫な気もするけど、ルーチェが嫌ならクライグ君の話はなしにするよ。アンカーはまだ三日前の鉱山都市でしょ? 戻ってやり直せば、ここで会ったこと自体なかったことになるし」
クライグが跪いて床に頭をこすりつけた。
「頼む! 俺を師匠といっしょにいさせてくれ。どんなことでも手伝う。俺は師匠がいないと駄目なんだ」
「わしからも改めて頼む。こいつにやり直しの機会を与えてやってくれ」
フィツも隣に跪いて頭を下げた。
ルーチェは恐縮してフィツの手を取り、抱え起こした。そして隣にいるクライグに顔を向ける。
「僕もクライグとは積極的に話さなかった。これからはもう少し話をしよう」
クライグは頭の上で両手を組み、拝むようにして感謝の意を示した。
「ルーチェが言うなら私も異存なし。でも」
レイがにこやかに言った。
「裏切ったら最後だからね。もう二度と私たちとは会わないし、フィツもクライグ君も今のやり取りがあったことすら忘れる。君の末路は孤独にドブ川確定だ」
さらっと言う恐ろしい脅しに、クライグばかりでなくルーチェもごくりと唾を飲んだ。




