勇者と大賢者
レイとルーチェはさらに半月ほどの道行きを経て、最初の目的地である北西の山地までやってきた。
フェルドでいったん足がついてしまったため、当初の新婚巡礼という設定は変えて、商人仲間という体で旅を続けている。
双方ともに帽子で髪を隠した男装姿。レイは瞳の色が琥珀色に見える眼鏡をつけてかなり印象を変えている。ルーチェは相変わらずの長髪のウィッグには煩わしさを感じているが、動きやすい服装になったことは喜ばしく思っていた。
なるべく大き目の道や町は避けて移動したため、予定より少し時間はかかってしまったものの、おかげであれから追手の気配はない。
最後の人里を過ぎたのが三日ほど前。レイもルーチェも変装を解き、人気のない山の中をひたすらに歩いている。
油断すれば見失ってしまう細い道。山麓の森を抜け、大岩のゴロゴロ転がる沢沿いを登り、やがて再び深い森の中に入る。
「大丈夫?」
「大丈夫。っていうかルーチェは健脚だねぇ」
先を行くレイの息がわずかに弾んでいる。一方でその足跡をトレースするルーチェはケロリとしていた。汗ひとつかいていない。
「これくらい、勇者の体力なら当たり前だと思ってたけど」
ルーチェはこの世界に来てから体がずっと軽い。その理由も知っている。この世界にあふれる魔力が勇者の力を底上げしてくれるのだ。
「この時期は調べ事をしてる時間が長かったから、私もちょっと鈍ってたかな。まあもう少しの辛抱だ」
レイは額ににじむ汗をぬぐいながら笑った。
そうして進むうちに道がわずかな下りとなった。勢いレイの足取りも軽くなる。
「さあ、もうすぐフィツの庵だ。あ、フィツってのは私の賢者の名前だよ」
「レイの賢者……どんな人なの?」
「ものすごく強い魔法使いでね。若干二十歳で精霊魔法を極めて神童と呼ばれた。悪いけどルーチェの賢者とは次元が違う」
「別に悪くはないけど……じゃあ女神討伐も手伝ってもらうの?」
「そうしてもらえるといいんだけどねぇ。でもフィツをここで引っ張りだすと送還の魔法が再現できるか、確実じゃなくなってくるんだ。研究職のインスピレーションは水物だからね」
二人がそんな風に言い交わしている間に森がわずかに開け、草ぶきの小さな庵が目の前に現れた。
「やっとついたー。ここだよ」
レイが一息つくと同時に、庵の中から一人の小柄な女性が顔を出す。ゆったりとしたローブに背中まで伸ばした灰色の髪。可憐な少女然とした顔立ちの割に静かで大人びた目をしていた。
「誰かと思えばレイではないか。もうそんな時期だったかの」
「もうそんな時期なのだよ、フィツ」
外見とはちぐはぐな貫禄のある話し方をする彼女に対し、レイは気安く呼びかけた。
フィツの視線がレイからその隣のルーチェに走る。ルーチェはうかがうように軽く会釈した。
レイが笑顔で二人を引き合わせる。
「これがフィツ。私の古い仲間の魔法使い。私の賢者さ。今は大賢者とも呼ばれている。この子がルーチェ。前に連れてくると言ってた勇者の子だよ」
これがレイの賢者? 口には出さなかったがルーチェはひそかに驚いた。ここに賢者がいることは承知していたが、まさかこの無表情な少女が賢者本人とは思っていなかったからだ。ましてや大賢者などという呼び名はまったくそぐわない。
「はるばるよう来た。まあ入れ。茶でも出そう」
互いに軽く挨拶を交わした後で、フィツは二人を庵の中に招いた。
台所を兼ねたダイニングに客を待たせると、奥の部屋から二脚の椅子を持ってきて、小さなテーブルの周りに置いた。もとからあった一脚と合わせて正三角を描くように並べる。
「お土産にとっておきのケーキあるよ。フェルドのあの店で買って来たやつ」
テーブルと椅子の準備を終えたフィツにレイが紙で包まれた棒状のパウンドケーキを差し出す。
「そいつは最高だの。甘い菓子は久しぶりじゃ。切っておいてくれるか? わしは茶を入れる」
フィツの様子は最高と言う割には淡々としていた。すぐそこにある台所のかまどに薪を投げ込み、ポットやカップをガチャガチャとやり、お湯が沸いたところで少し表情に変化が出る。集中した目つきでゆっくりと茶を入れた。
その姿を眺めながらルーチェは考えていた。
のじゃロリだ。本物の。
そんなどこか不遜なルーチェの視線をよそにフィツは茶をすべてのカップに注ぎ終わった。フンと鼻息を漏らしてわずかに満足げな表情となる。
彼女が琥珀色のお茶の入ったカップをそれぞれの前に置く頃には、スライスされたパウンドケーキが二枚ずつ乗った皿がすでに三枚置かれている。皿はレイが勝手知ったる様子で戸棚を漁って取り出したもので、同じく勝手に持ってこられたフォークが添えてある。
「さあ、いただこうか」
庵の主人の一言で軽い午後のお茶会が始まった。
レイとフィツは互いの近況や世相の様子といった世間話に花を咲かせた。ルーチェはほとんど黙って話を聞いていたが、フィツは「お茶のおかわりはいるか」「もっとケーキを食べるか」など、年長者らしく色々と気配りしてくれた。
いったい何歳なのだろう。と、ルーチェはさっきから気になっているが、さすがに思いつくまま聞くのははばかられた。
代わりにほかのことを聞いてみる。
「大賢者っていうのはどういう称号なんですか?」
「知らなんだか。勇者の旅に随行して使命を果たした魔法使いはそう呼ばれるのじゃ」
同じく聖女は大聖女、剣聖は大剣聖とグランドに称号チェンジするらしい。
「まあこうして籠って暮らしているとどうでもいい呼び名じゃがの。長い間、だぁれも訪ねてこんし」
「私たちが来たじゃない」
「久々の話し相手じゃ。ありがたいと思っておるよ」
フォローするレイ。フィツはやはり淡々と答えた。
勇者と賢者。二人の間には古い仲間同士の特有の呼吸がある。ルーチェは我が身を思いやって少し胸が痛んだ。
そのルーチェの表情を見たフィツが言った。
「お主も勇者として召喚されるなど災難だったの。どうじゃった。勇者としての最期は」
思わぬ単刀直入だ。どうやらレイからおおよそのあらましは聞かされているらしい。
「……正直まだ何と言っていいかわかりません。フレイア、聖女たちが僕を裏切ったなんて信じられない気持ちもまだ少しあります」
「まあゆっくり飲み込むといいじゃろう。飲み込めなければ忘れるといい。わしがお主を必ず元の世界に送還してやるからの」
「はい」
噛んで含めるようなフィツの言葉にルーチェはわずかに微笑んだ。
「ところで、お主の賢者は……」
フィツが続けて尋ねようとしたところでレイが思い出したような声を上げた。
「そうだそうだ。届け物。未来のフィツからの伝言だよ」
「ふむ」
フィツは軽く唸ると差し出されたレイの手を握った。そして記憶の映像を共有する。
やおらに言った。
「さすがわしじゃ。成ったぞ。送還の魔法はこれで完成じゃ」
「ははは。できるのはわかってるんだよ」
「違う違う。もうできた。もう研究する必要はなくなったということじゃ。二年待たずとも今すぐにも送還の魔法を使えるぞ」
「ほんとう?」
レイはやや驚きの顔となった。一方のフィツの表情はほとんど相変わらずだが、わずかに口の端が上がっていた。
「ああ。これでわしもレイに同行できるな。未来も今もわしの考えることは変わらぬようじゃ」
「へえぇ、さすがフィツだね。さすが私の賢者様だ」
「この子を連れてきたということは、いよいよその時が来たということじゃろう。レイの最後の旅じゃ。わしも手伝わないわけにはいかん」
いまいち得ず要領な顔をしているルーチェにレイが説明してくれた。
レイはループを繰り返すたびに未来のフィツから頼まれた情報を今のフィツに伝えてきたのだという。さっき共有したのは未来のフィツが手にしたメモの映像だ。
レイはそれですぐにも送還の魔法が完成するなど夢にも思っていなかったが、フィツはさっさとその研究を終わらせてレイに同行したいと考えていた。ゆえにそういう情報チートを試みていたらしいと。
「フィツがいっしょに来てくれるなんて、これは思わぬいい流れだなぁ。でもそうならそうと言ってくれればよかったのに」
「たまにはお主を驚かせてみたかったのじゃろう。二年後のわしもたしかにわしのようじゃ」
顔を見合わせる二人を前にルーチェはまたしても寂しい気分がうずいた。
僕と僕の仲間たちはどうしてああならなかったのだろう。
その刹那、不意にバタンとドアが開いた。同時に朗らかな声が響く。
「しっしょっう~! あなたの愛しい弟子が帰ってきましたよ~!」
反射的にそちらに顔を向けたルーチェは目と耳を疑った。明らかに場違いな賢者。丸眼鏡の青年クライグが満面の笑みでそこにいた。




