小惑星探査開始
『軌道速度46m/s、軌道周期2.4時間。周回軌道に入っています』
「よし、終わり」
「ふう、やっと加減速終わったぁ……」
宇宙において、軌道の作り方とは『微調整』である。
目的の軌道に至るまで、ほんの少しだけ推進剤を0.1秒ふかしたり、特定の軌道位置に至るまで数時間待って、また噴射したりもする。
この船は半コンピュータ制御ではあるが、最終的な操縦権は私にある。とどのつまり、車が勝手にアクセルを踏んで発進しないこととほぼ同じだ。
アクセルを踏むと、発進する。そして、ギアをチェンジする。オートマならある程度は勝手にやってくれるけど、肝心なところは人間がやらなくてはいけない。
技術的には完全な無人宇宙船は作れるし、作られてもいる。でも、人間が乗っている限りは人が制御しなきゃならない、という変な法律がある。
しかし、どこからどこまでが『人の制御』かはなぜか法律で明記されていないため、ほぼ完全自動操縦ができる法律すれすれの宇宙船もあったりはする。
しかしこの船は由緒正しき合法船だ。いろいろ自分でやらなきゃいけない。
それは今終わった。船は小惑星アズマヤから一キロメートル離れた周回軌道をゆったり回っている。
「さ、行くぞ。咲李」
「はいっ!」
わざとらしく敬礼をした咲李と共に、席を立った。
後ろの扉を開けて居住区画を通り、倉庫区画へ。
その両側にはエアロックがついていた。左側の方に入ると、中に四つの白い宇宙船が並べられている。
一つを選び、背を開いて入り、手足を通し、ヘルメットを装着する。
『装着完了。生命維持機構:作動中』
ふう、と息を吐く。すると、コー、と音がして、余分な気圧が空気浄化装置に吸い込まれていった。
そして再び循環して、息からは二酸化炭素が取り除かれて、再利用されていく。
活動可能時間は七時間ほど。一回目の調査予定時間は五時間程度だ。
「点呼。咲李ねあ」
『はい。宇宙服着用、完了しました』
「よろしい」
壁に設置されたレバーを倒す。
すると、掃除機のような音がして、どんどんと腕の気圧計の針がゼロに近づいていった。
レバーについているランプが『減圧中』から『完了』になる。
私はマイクをオンにした。
「あー。あー。咲李、聞こえてるか?」
『はい。聞こえてます。先輩は?』
少し音声の悪い無線の声。
「聞こえてる。通信機異常なし」
空気がないと、音は聞こえない。当たり前のことだ。
なので、電波で空間を震わせて会話しなければならない。
テザーが壁面の取っ手にしっかりと引っかかっているのを確認してから、私は外への扉を開いた。
その瞬間、平衡感覚は消失する。目の前が真空だけになった。
景色は動きもしない。視界一杯に輝く星々。真空の中で、全方向に広がっている。
どこかの星に焦点を合わせることもできない。
遠近感すらまったくとることを許されない、数十光年から数百光年向こうから届く数多の光。
『めっちゃ宇宙……』
咲李の見とれる声がした。
星空の中に紛れて、ひときわ強く輝く橙色の光が見える。あれはきっと木星だろう。
小惑星帯からだと、地球からよりも何倍も光って見えるのだ。
すると、今度は視界の左側に巨岩が姿を現した。
ほんの少しずつ、ゆっくりと右へと流る灰色の大地。
左を見ると、視界を埋める巨大な物体が存在していた。
それはゆっくりと視界を侵略するかのように、静かに移動をしてくる。
しかし、実は移動しているのはこの岩ではなく、私たちの方だ。
しばらくすると、星空は押しのけられ、灰色の世界とその周りに押しのけられた真空の環だけになった。
『今度はめっちゃ大地だ……』
「そういえば咲李は小惑星の調査ははじめてだったな。テザー連結」
『はい』
私と咲李のテザーが連結された。引っ張ってみて、それが取れないことを確かめる。
「宇宙船側のテザー外せ」
『は、はい』
今度は二人で同時に、金具につなげた命綱を外す。
咲李の緊張した息遣いが聞こえた。
この瞬間、自分の生命を保障してくれるものはなくなった。
完全に、私たちはフリーとなった。
私は内側の扉に足をつけ、跳んだ。
体が全く何の抵抗もなく。私は、宇宙空間に飛び出していった。
テザーが伸びきる前に、咲李も飛び出してくる。
『っ……‼』
体全部が宇宙空間に飛び出した。
深宇宙に浮かぶ二つの小さなデブリたち。今この瞬間、私たちは太陽系にある小惑星の衛星だ。
顔を下に向けると、今出て来た宇宙船の全貌が見える。
五つの筒型燃料槽で構成される宇宙船、『モートぺブル』。
筒が船の全長の半分を占め、残りは先細りする台形の宇宙船。
その中心当たりにある居住区画から、私たちは飛び出してきた。
それがどんどんと遠ざかっていく。咲李の緊張しきった顔も見える。下の方を見ないように、必死で命綱につかまっている様子だ。
ただでさえ、無重力は内臓がふわふわする。そんな中で、視覚的支柱すら存在しない。
そして半径一光秒以内に生命を保障するものは、もはやあの宇宙船とこの宇宙服しかない。
私は大地に目を向ける。
アズマヤだ。
もはや視界のすべてを埋める、荒涼たる灰色の大地。
今、眼下のアズマヤの景色はほぼ止まっていた。さっきまでは移動していたように見えたのに。
つまり、ジャンプで軌道速度の46m/sを相殺したということになる。客観的には、私たちはアズマヤに向かって落ちて行っているように見えるだろう。
私たちが経験しているのは、重力加速度0.03による、小惑星へのゆっくりとした墜落。
到着まで、大体四分。それまで、この体験を楽しもう。
『先輩……! まだですか……!』
「まだ三十秒。まだだ」
ほんの、ゆっくりとした加速。
しかし確実に大きくなる――迫ってくる地面。
コロニーや地球では絶対に得られない体験。
まるで、体感時間が何百倍にも引き延ばされたように思える。
『まっ、まだっ、まだですかっ』
「あと半分。体勢確保。噴射用意」
『ひゃいっ』
脚をアズマヤへ向けた。
もう少し。
レーザー式高度計を見ると、地面まではあと四六〇m。
四〇〇。
三〇〇。
二〇〇。
一五〇。
「噴射せよ」
ベルトの摘みに手をかける。
バッ、と真っ白な窒素ガスが噴き出された。
体がものすごい制動をかけられたような気分になる。
実際にそうだ。全力疾走してるくらいの速度から一気に減速したんだから。
視界の端で白いものがほとばしった。咲李も噴射ができたらしい。
しかし私よりも短くしか噴射できていない。そのため、少しだけ早い速度で地面へと向かっていく。
『せっ、せんぱいせんぱいっ!』
「うろたえなくていい。テザーが何とかしてくれる」
ぴんっとテザーが張った。ぐいっと体が引っ張られる。
咲李からは止められたように感じるだろう。
二人の中間のちょうどいい速度に速さが保たれてくれる。
そしてしばらくして、アズマヤの表面に足がついた。
ほとんど抵抗はない。階段から足を下ろした時くらいだ。
『ぐあえっ』
が、一名ほど盛大にひっくり返っているものがいる。ふわりと宙に浮かんでしまった。
「なにしてんだ……」
軽すぎる重力は、すこし弾んだ程度でも飛び上がってしまう。なにせ地球の何百分の一以下なんだから。
腰に付けた銃のようなものを手にし、小惑星の表面に打ち込む。
空気があればバスン、と音がしただろう。しかしあるのは手の反動だけ。
砂が飛び散って打ち込まれたのは杭だった。そこに咲李のテザーを巻き付ける。
ビーンと紐が張って。潰されたカエルのような声が出た。
『ぐあぇっ』
「もどってこーい」
テザーを手繰り寄せて咲李を引っ張り、地面に押さえつける。
「落ち着け」
『は、はい……』
窓の中からゼーハーしている顔が見えた。これでは酸素の消費量も増えてしまう。
「深呼吸しろ」
『は、はぁい……』
「落ち着いたら出発な」
「わかり、ました……」
こう見えて、咲李は船外活動を何回もやっている。無重力下での仕事はベテラン並みのはずだ。
しかし、半端に重力があるせいかパニクっているらしい。スカイダイビングのベテランでも、ヒマラヤ山脈の崖っぷちでは大慌てするだろう。
そういえば、テザーを宇宙船から完全に切り離して活動するのも久しぶりだった気がする。
研修などでゆっくりと覚えさせることができればいいのだが、しかしこの事務所は人手不足なのである。
仕事は研修ではなく現場で憶えてもらうしかない。
「もういい? 行くぞ?」
「は、はい……」
咲李から手を放す。
そしてネイルガンで少し離れたところに杭を打ち込んだ。
彼女は素早い手つきでテザーを杭に絡みつかせた。相当こたえたらしい。
また一歩進み、ネイルガンをうち、テザーをつける。
咲李はテザーをぎゅっと握りながら、低い姿勢でついてくる。
さっきも言ったように、この小惑星の周囲には重力がある。
しかし、微弱である。
それに比べて人間の脚の力はあまりにも強い。
一つジャンプをする。それだけで、スーパーマンのように数百メートルは跳べる。
ほとんど無重力と一緒だ。 だから、無重力下のように、手がかりを作ってひっぱりながら道を歩いていかねばならない。
それを何度も続けて、私たちは小惑星の表面を歩いて行った。
途端、ふっと地面が暗くなる。
『あっ、先輩』
小惑星は自転している。地球と同じように。
しかし、その速度はあまりにも早い。このアズマヤに至っては五時間に一回だ。
太陽がアズマヤの水平線に隠れ、光が届かなくなったのだ。
これより二時間としばらく、アズマヤは漆黒の世界。
できるだけ広く平らな面に着陸しようとした結果、代わりに明かりの時間が少なくなってしまったらしい。
「ライトつけて」
『はいっ』
ぱっと目の前が明るくなる。
いつの時代でも明かりは偉大だ。始祖たる地球からはるかに離れた場所でも、こうやって脚の下を照らしてくれる。
『あの、先輩。なんで船ごと着地しちゃダメなんですか』
咲李の不満げな声が聞こえた。
「そりゃお前、地中に貴重な証拠が残ってるかもしれんだろ」
『事前スキャンでは何もなかったですよ』
「決まりってものがありますので。それに所属を主張されていない小惑星にいち民間人が勝手に船を下ろすと、いらん軋轢を生み出すことがあるし」
『うー……。ん?』
「どうした?」
私は脚をとめて振り返った。
咲李の顔が、光を反射したヘルメットの向こうに見える。
『通信機に……ノイズがあるような』
「ノイズ?」
私は自分の通信機に手を当てて、音を最大に上げた。
ああ本当だ。確かに聞こえた。
マイクが無線で何かを受信している。
しかし、あるのは砂嵐の音だけだ。つまり、何も拾っていない。
「咲李、通信機の有効範囲っていくつだっけ」
『? なんでですか?』
「あとで教える。いくら?」
『一五〇〇メートルです』
「分かった」
ふと顔を上げたところに、ヘッドライトがまっすぐ進んでいく。
真空とは光にとっての楽園である。無限に飛び、無限に続く。
その光が照らす先に、それが見えた。
光を離してみると、不思議なほどに闇に紛れてしまう。巨大な構造体なのに、照らしてやらないと全く見えない。
目算、二キロメートルの向こう。
漆黒の大地に突き刺さる、崩れた純白の矢が見えた。
照らした光を光沢を持って跳ね返す、大地に斜めに突き刺さる、悲劇の神話の矢。
三か月前、乗客二四〇人を巻き込んで行方不明となった、航空機HFA-622。
解き明かすべきその謎が、今目の前にあった。
『すご、でっか……』
興奮に息を切らしながら、咲李が声を上げた。
『こんなに大きい宇宙船があるなんて……壊れてるのに、まだでっかい』
この距離からもはっきりと見える。あれだけ崩壊していながら、見事なまでに地面に突き刺さっていた。
「咲李、写真」
『あっ、はい』
咲李がヘルメットを操作して、目の前の景色を映した。
これがこの仕事の最初の記録だ。報告書の一番最初に貼る写真が、今撮ったものとなる。
「行くぞ」
『りょ、了解ですっ』
ここからが、本格的に仕事だ。
「気が付いたものがあったら全部撮れ。私も撮る。こればっかりは、どんな優秀なやつよりも数がモノを言う」
『わかりましたっ』
HFAの姿を、ズームして撮る。
後ろを向いて、咲李の姿も撮る。向こうも私の顔に向けてぱしゃりと撮った。
調査員本人の写真を撮る。これは案外大事なことである。
何か相方に異変がないか。仕事柄、それを確かめることは重要だ。
目的まで一二〇〇メートル。一G重力下であれば、二〇分ほどで着く距離。
しかし、いつも無意識で行っている行為がどれだけ疲れずにできるようになっているかは気づきづらい。
杭を打って、テザーをつける。体が弾まぬよう、一歩一歩テザーにしがみつくように歩く。
一分に百回近く行う『歩く』という行為。それを、数多の思考を媒介しながらする。
そこに、全身を分厚い装備が覆っている。追い打ちとして、宇宙服の気圧は地球のそれの半分程度だ。
さっきから咲李の息の切れる声がずっと聞こえていた。
低重力下での行動。それは皮肉なことに、有重力下の何倍もの重労働だ。
四十分後。
息も絶え絶えに、膝に手をついて肩を揺らす咲李が隣にいた。
『はあっ、はあっ、がっ、はあっ、はっ、はっ』
想像を超えるくらいに疲れている。
十分ごとに小休憩を入れたにも関わらずだ。低気圧下では体力の回復は何倍も遅くなる。
「大丈夫か?」
『はっ、はっ、っ、はあっ、はっ、はっ』
「気圧を上げろ。できるか?」
咲李はうずくまりながら、ふるふると首を横に振った。
かなりまずいらしい。
代わりに腕の操作盤を動かしてやる。
通信機の向こうから加圧の音が聞こえて来た。しばらくすると、咲李の宇宙服がパンパンになる。
加圧された宇宙服は、自然と手足を広げる形になっていた。
横向きになりながら、咲李は切れた息を整えた。
『はあ、はあっ、ふっ、ふう…………』
「落ち着いたか?」
『す、すみません、まだ慣れなくって……』
「大丈夫だ。あと五分したら行くぞ」
『は、はい』
こくりと咲李が頷くが、パンパンなのでヘルメットが動かなかった。
まだすこし待つ必要がありそうだった。
その間、私は上を見上げた。
天を衝く巨大な矢。それが頭上に聳えていた。
まだあたりは真っ黒だ。光で照らしてやらないと見ることもできない。
ただ、数多の燦然たる光は、遠慮なく私の頭上に降りかかってきていた。
しかし、困ったな。このHFAの中にどうやって入るか。
ざっと見たところ、先頭の居住区画がどこにもない。
地中に突き刺さってしまったか、砕けてしまったのか。
目の前に存在しているのはそのたったの一部分。だというのに、これだけ大きい。
無重力下で認識する物体と、地に足をつけた状態で認識する物体は、なぜだか感じる大きさにかなりの相違があるような気がする。
腕の操作盤を操作して、ヘルメットの内部に映像を映し出した。
それはHFAのかつての姿だ。
本来のHFAの3Dモデル。
輪の形の矢じり、細長い胴体、後ろについた羽のようなエンジン区画。
矢じりの円盤は遠心重力区画だ。ここに人間が住んでいて、重力は回転によって生み出される。さらに、この区画の中心がコックピットも兼ねていたはず。
胴体はほとんどが倉庫か推進剤格納区画。エンジン近くは特殊な燃料を格納するために、若干太くなっていた。
胴体の部分は、十六の巨大な筒を接続して作られたものだ。その部分それぞれに関わった国家の国旗と部分番号が作られている。ので、見ればどの部分かわかる。
目の前のHFAにライトを照らしてみてみると、端の方に番号が見えた、三番から、十二番まで残っている。アメリカ、ロシア、ブルーヴォス、その他主要な国々の旗。
この宇宙航空機を作ったのは一つの企業であるが、協賛しているのは何も一つだけではない。材料、技術提供、人員提供、資金提供、その他もろもろ。いつの時代だって宇宙開発は数多の国々や企業の合わせ技によって行われている。
そういえば、確かそれぞれの筒にはドッキングポートとして入口が作られていたはず。
探してみると、あった。一番低いところにある四番筒の少し上の部分に、それが見える。
「咲李、いけそう?」
『はあ、はい。落ち着いてきました。先輩は大丈夫なんですか』
「大丈夫。咲李、不安がるな。ここはほぼ無重力と思え。その感覚でやってけばいい。もうちょっと周辺の調査をしたら、やるよ」
『は、はい……。分かりました』
腕部を操作して咲李の気圧を下げる。
余分な圧縮空気を使ってしまった。すこし活動時間が短くなってしまったかもしれない。
こういう時のために倍近くあまりの空気があるとはいえ、無限ではない。
「じゃあ、周囲の捜索。始めるぞ。一時間でやる」
「了解ですっ」
こくりと、咲李はうなずいた。




