第8話 洗濯日和、ダンジョンにて
マッドゴーレムの腕が振り下ろされた。
泥が——3倍の量だ。壁のように広がって押し寄せてくる。
「大地!」
「わかってる!!」
大地が盾を正面に構えた。〈剛体〉で硬化した表面が鈍く光る。泥が盾に激突した。水柱が跳ね、大地の足が水底にめり込む。
踏ん張れていない。膝まで水に浸かった状態では体重を乗せきれない。盾がじりじりと押し返されている。
「白鳥さん、横!」
「〈氷壁〉!」
白鳥さんが杖を振る。左右から回り込む泥の前に、氷の壁が立ち上がった。泥がべちゃりと張り付く。氷の表面が泡立ち始めた。酸だ。溶ける。
白鳥さんの息が上がっている。額に汗が浮いて、杖を持つ手が震えていた。
「MPが……あと5発が限界です」
大地が盾越しに叫ぶ。
「このデカブツ、硬すぎる! 直接打撃じゃ泥をすり抜けて本体に当たらない!」
俺の手を見た。さっき酸を素手で揉み出した手。赤く腫れて、指先がじんじん痺れている。
足元の水が膝まで来ている。このフロア全体が泥と水だ。
上着を脱いだ。
戦闘中だ。マッドゴーレムが次の泥を溜め始めている。猶予は10秒ない。
そんなのはわかっている。でも、この上着——さっき泥を被った上着を放置したら、酸が繊維に定着する。繊維に食い込んだ酸は、時間が経つと取り返しがつかなくなる。
膝まで浸かった水の中で、じゃぶじゃぶと上着を洗い始めた。
「悠斗、何やってんだ!? 洗濯は終わった!」
「いや、これ上着の泥染みが定着すると落ちなくなる……」
「そういう話じゃねえ!!」
白鳥さんが〈氷壁〉を維持したまま目だけをこちらに向けた。
「……戦場で、洗濯を」
「さっき酸を手で揉み出したら落ちたんだよ。物理的に洗えば、属性ごと落ちるんじゃないかって」
大地が一瞬黙った。
「……それで上着を今洗ってんのか?」
「実験」
「ダンジョンの中で!?」
(理屈は通る。酸性の泥も「汚れ」だ。染み込んだ汚れは——洗えば落ちる)
手のひらで上着の生地を揉む。水の中で繊維をほぐして、染み込んだ泥を押し出す。
指先に、あの感覚がある。洗濯のとき特有の、汚れが落ちていく手応え。染みが薄くなっていく。酸の刺激が弱まる。
手から——光が溢れた。
半透明のウィンドウが視界の端に開いた。
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◆ 派生スキル覚醒!
〈洗濯〉★★★ → 派生スキル解放
★〈属性洗浄〉Lv.1
効果:属性攻撃(火・氷・雷・酸等)を
洗浄・無効化する。
※発動時に該当属性に触れるような
「洗い落とす」動作が必要。
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——また覚醒した。3回目だ。もう驚かない。
……嘘だ、やっぱ驚く。
「悠斗!? 光ってる! お前光ってるぞ!!」
「……ちょっと待って」
ウィンドウの文字を読み込む前に——マッドゴーレムが腕を振りかぶった。泥の塊が飛んでくる。
反射で動いていた。
両手を前に出す。飛んできた泥に——「洗い落とす」動作。
手が光った。酸性の泥が手のひらに触れた瞬間、霧のように散って消えた。じゅっ、という音すらない。泥があった場所に、ただ水滴だけが残っている。
「……消えた?」
白鳥さんの声だ。氷壁の向こうから覗き込んでいる。
「消えた! どういうことだ!」
手のひらを見た。さっきまで焼けていた感触が——ない。赤い腫れも引いている。酸が消えた。属性ごと、洗い落とした。
(〈属性洗浄〉……酸も属性なのか。だと思った。いや、だと思ったのは嘘だ。たまたまだ)
でも——使える。
走った。大地に向かって。
「大地、鎧脱ぐな! そのまま!」
「はぁ!?」
大地の肩当てに手を当てた。〈属性洗浄〉を意識する。
手のひらが淡く光った。大地の鎧に染み込んでいた酸が——滲み出すように浮き上がって、消えた。
腐食の進行が止まる。溶けた部分は戻らないが、残った革が元の硬さを取り戻していく。
「肩が……動く! 鎧が軽い!」
大地が腕を回した。さっきまで半壊だった肩当てが——留め具は溶けたままだが、革自体の柔軟性が戻っている。
白鳥さんのところへ走る。杖にこびりついた泥に手を伸ばした。
「白鳥さん、杖出して」
白鳥さんが杖を差し出した。泥を拭うように手のひらで触れる。光。泥が消えた。杖の表面に残っていた酸の腐食痕が、洗い流されたように薄れていく。
「……ありがとうございます」
素直だった。驚きと感謝がそのまま声に出ている。
「では、遠慮なく」
白鳥さんの目が鋭くなった。杖を構え直す。冷気が手元に集中する。さっきまでとは密度が違う。杖の泥が落ちたことで、魔力の伝導が正常に戻っている。
「——〈氷槍・三連〉」
フル威力。氷の槍が3本、マッドゴーレムの胸を貫いた。
泥の表面が凍る。再生が始まる——が、凍結の速度のほうが早い。内側から泥が湧き出そうとして、出口ごと凍りついた。
「大地!」
「おう!!」
大地が駆ける。水を蹴散らして突進する。肩が動く。盾を振りかぶる。
凍りついたマッドゴーレムの胴体に、渾身の盾撃が叩き込まれた。
衝撃音。凍った泥が砕け散る。
マッドゴーレムの身体が崩れた。泥がどろりと溶けて、水に混じって流れていく。
——討伐完了。
魔石が2つ、水底に沈んでいた。
◇◇◇
D級ダンジョン「沈泥の洞窟」。クリア。
帰りの通路を3人で歩く。全員ずぶ濡れだ。足元でびちゃびちゃ音がする。
「報酬の前に風呂入りたい」
大地が天井を見上げながら呟いた。革鎧から水が滴っている。
大地が右手で何かを差し出した。——俺の上着。
きれいだった。さっき洗ったやつ。泥も酸も残っていない。水に浸かったままだから湿ってはいるが、生地はしっかりしている。
「……洗濯、してたもんな」
大地の声に呆れと感心が半分ずつ混じっていた。
「戦場で洗濯しながら覚醒するとは、思いませんでした」
白鳥さんの声に呆れが8割。
「俺も思わなかった」
ギルドに着いた。受付で報告。魔石B×2を提出。報酬額は翌日確定。パーティー登録も更新した。
「飯食いに行こう。今日は俺も手伝う」
大地がリュックからジャーキーを振った。
白鳥さんが小さく口を開いた。
「……わたしも」
◇◇◇
俺の自宅。1Kのアパート。
全員着替えた。前回の食事会でストックしておいた替えが役に立った。
台所で手を動かす。包丁で野菜を刻む。鍋に出汁を沸かす。大地がかいがいしく皿を並べていた。
「千紗、箸こっち」
「はい」
白鳥さんが食器棚から箸を取り出す。前回より手つきがマシだ。場所を覚えている。
食事の準備が整った頃、白鳥さんが流し台の前に立った。
「洗い物は……家事の基本ですよね。わたしにもできるはずです」
「前の食事会でも言ってたよな、それ」
大地がニヤニヤしている。
「今回こそ」
白鳥さんが袖をまくる。スポンジを握り、洗剤のボトルを手に取った。
少し目を離した。鍋の火加減を調整する。味噌を溶く。
——泡。
振り向いたら、シンクが泡で埋め尽くされていた。白い泡がモコモコとあふれそうになっている。蛇口の周りも泡。排水口も泡。
白鳥さんが全身に泡を浴びたまま、無表情で固まっている。
「量! 洗剤の量が!!」
大地が叫ぶ。
白鳥さんの指先から泡が垂れている。スポンジが泡に埋もれて見えない。
「……適量が、わかりません」
小さな声。
大地が腹を抱えた。肩が震えている。
泡をすくいながら排水口に流す。白鳥さんの肩から泡を払った。
「洗剤は1プッシュで十分だよ」
「……1プッシュ」
白鳥さんが何プッシュしたのかは聞かなかった。
片付けを済ませて、食卓に3人。大地がいつものジャーキーを取り出した。実家の精肉店の味だ。
白鳥さんが静かにご飯を食べている。箸が止まらない。頬が緩んでいるのを隠そうとして、隠せていない。
「……美味しいです」
小さな声。でも今日も素直だ。
(3人の会話が、自然になってきた)
前回は大地と白鳥さんの間にぎこちなさがあった。白鳥さんが敬語を崩せずにいて、大地が遠慮なく話しかけると白鳥さんが困り、俺がフォローする。
今日は違う。大地が話して、白鳥さんが頷いて、俺がツッコむ。白鳥さんがたまに小さく笑う。
悪くない。
◇◇◇
食後。
白鳥さんが洗面台から戻ってきた。髪の毛先にまだ泡がついている。
食卓に3人。
——3つ目が覚醒した。今日、千紗にも目撃された。もう〈錬金術〉とだけ名乗り続けるのは無理だ。
「……2人に、話がある」
「ん?」
大地が湯呑みを持ったまま返した。白鳥さんが俺を見る。
息を吸った。
「俺のスキル。〈錬金術〉って名乗ってたけど——ベーススキルじゃないんだ」
大地の目が止まる。湯呑みが止まる。
「〈家事全般〉——ランキング3位のやつ。それが本当のスキルで、〈錬金術〉も〈浄化〉も今日の〈属性洗浄〉も、全部そこから派生で覚醒したやつなんだ」
言った。
「……ごめん、今まで言えなかった」
大地が湯呑みをテーブルに置いた。コトン、と小さな音。
しばらく、誰も言葉を出さなかった。洗面台の水が止まった後の静けさだけがある。
「だからなんだよ」
「え」
「お前の料理が美味いのは変わんねえだろ。〈浄化〉で毒消してくれたのも、今日の洗濯もそうだろ。——なにが違うんだ」
声が小さかった。大地にしては珍しく。耳が赤い。
白鳥さんが静かに口を開いた。
「……〈家事全般〉だから、料理ができるんですね」
頷けなかった。頷いたら泣きそうだった。
「知らなかったのは、わたしが聞かなかったからです」
責めていない。ただの事実だ。
——胸のつかえが、ほどけた。
喉の奥が熱くなる。慌ててそっぽを向いた。
「……そっか」
「おう」
大地が湯呑みを取り直した。ずずっと茶を啜る。なんでもないみたいに。
白鳥さんも箸を持ち直した。ジャーキーを一切れ取る。
3人で、黙ったまま食卓に座っていた。
◇◇◇
大地と白鳥さんが帰った後。
部屋に一人。食器は洗い終わった。テーブルを拭いて、椅子を元に戻した。
風呂に入る前に、ステータスウィンドウを開いた。
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◆ スキル
・〈家事全般〉Lv.1
├ 料理 ★★★☆☆
├ 掃除 ★★★☆☆
├ 洗濯 ★★★☆☆ ← NEW!
├ 裁縫 ★☆☆☆☆
└ 整理整頓 ★★☆☆☆
◆ 派生スキル
・〈錬金術〉Lv.1
・〈浄化〉Lv.1
・〈属性洗浄〉Lv.1
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3つ目の派生スキル。5分野のうち3つが★★★に到達した。
〈属性洗浄〉の説明文をもう一度開く。
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〈属性洗浄〉Lv.1
属性攻撃(火・氷・雷・酸等)を
洗浄・無効化する。
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【属性吸収:未解放】
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最下部に灰色の文字。小さく、見落としそうなほど薄い。
「……吸収?」
無効化だけじゃない。属性を——吸い取れる?
火・氷・雷・酸。今日は酸を洗い落とした。じゃあ火属性にも効くのか。火を洗い落とすって——どういう動きになるんだ。
ウィンドウを閉じた。
天井を見上げる。
裁縫と整理整頓。残り2つ。
「あと2つか」
呟いて、風呂に向かった。




