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第7話 異常値の持ち主

 ギルド新都市支部のカウンターに、朝の光が差し込んでいる。


 昨日パーティーを組んだ。今日から3人でダンジョンを回る予定だった。でもその前に——九条さんの呼び出しに来なきゃいけない。


『あなたの成長データに異常値が出ています』


 昨夜のメッセージを思い返す。異常値。俺のデータの、何がおかしいんだ。〈錬金術〉と〈浄化〉を覚醒したのは確かに変だけど、ステータスの数値は——普通だと思っていた。


 比較対象がなかっただけかもしれないが。


「水瀬さん。来てくれましたか」


 受付カウンターの奥に、九条さんが立っていた。紺のスーツ。ボブカットの黒髪。メガネの奥の目が、いつもと少し違う。


 淡々としている。いつも通りだ。でも——タブレットを持つ手に、わずかに力が入っている。


「こちらへどうぞ。面談スペースをお借りしました」


◇◇◇


 カウンター奥の小部屋。パイプ椅子と折りたたみテーブル。業務用の蛍光灯が白い。


 九条さんがタブレットの画面をこちらに向けた。


 グラフだ。右肩上がりの折れ線が2本。青い線と赤い線。


「まず、あなたのINTの推移です」


 青い線が中央のラインを大きく超えて伸びている。中央のライン——たぶんE級冒険者の平均だ。


「あなたのINTの伸び率は、通常の2.3倍です」


「……2.3倍」


「E級冒険者がLv.8の時点でINT35に達することは、通常ありません」


 次のグラフ。赤い折れ線——LUK。


「LUKの伸び率は上位0.1%です」


「0.1……」


「E級に限った話ではありません。全冒険者の中での数字です」


 全冒険者。E級からS級まで含めて、上位0.1%。


 ……マジで?


 九条さんの指がタブレットを操作する。別のデータが表示された。表形式。番号と名前とレベルと——引退の文字が並んでいる。


「〈家事全般〉のスキル保有者は、過去47名」


 47人。登録のときにも聞いた数字だ。全員辞めたって。


「全員がLv.5以下で引退——それは以前お伝えしましたね」


「はい」


「ですが。あなただけが、Lv.8まで成長を続けています」


 テーブルの上のグラフを見つめた。青い線と赤い線が、平均のラインを突き破って伸びている。


 知ってはいた。〈家事全般〉がハズレスキルだということ。ランキング3位だということ。


 でも——47人全員が諦めた中で、俺だけが続けている。その事実を数字で見せられると、胃の底がじんわり重くなった。


「あなたの成長パターンは前例がありません」


 九条さんの声が少し変わった。淡々のまま、でもトーンがわずかに上がっている。メガネを中指で押し上げる。


 ——この人、楽しんでないか。


「次に、生活パターン調査にご協力ください」


「は?」


 九条さんが別の書類を取り出した。質問項目がびっしり並んでいる。


「47名の中であなただけが成長しています。変数を特定したいので」


「変数」


「朝食は自炊ですか」


「……自炊だけど」


「昨日のメニューは」


「味噌汁と焼き魚」


「出汁は鰹ですか昆布ですか」


「なんでそこまで聞くの!?」


「データです」


 真顔だった。タブレットに入力している。


「掃除の頻度は」


「毎日」


「洗濯は」


「2日に1回」


「風呂掃除の手順を詳しく」


「いやそれ関係ある!?」


「変数です」


 10分くらい質問が続いた。最後のほうは半分尋問だった。


 ふと思いついて聞いた。


「九条さんのスキルって、何ですか」


 九条さんの手が止まった。


 一瞬だけ——ほんの一瞬だけ、間が空いた。


「……事務処理系です」


 それだけ言って、次の質問に移った。


 メガネの奥の目が、グラフから動かなかった。


◇◇◇


 午後。D級ダンジョン「沈泥の洞窟」の入口に3人で立っていた。


 朝のギルド面談のあと、白鳥さんと大地と合流した。パーティー登録も今日済ませた。


「明日から行くって言ったけど今日行こうぜ!!」


 大地が叫んだ。なし崩し的に午後のダンジョンになった。


「……おはようございます。いえ、もうお昼ですね」


 白鳥さんがぎこちなく挨拶した。目が泳いでいる。昨日よりは少しマシだが、まだ硬い。


「水中エリアが多いらしいぜ! びしょ濡れだ!!」


「声」


 ダンジョンに入る。入口から水が滲んでいた。


 1階層。足首まで水に浸かっている。苔むした岩壁。天井から雫が落ちて、水面に波紋が広がる。水の流れる音が反響して、奥行きが掴めない。


 空気が湿っている。肌にまとわりつく重さ。カビと土と——水たまりの匂い。


 水棲のスライム系モンスターが3匹。透明がかった体が水面と紛れている。


「白鳥さん、見えるか」


「……2匹。いえ、3匹です。左の壁際にもう1匹」


 白鳥さんの〈氷槍〉が水面を裂いた。水分の多い環境だ。凍結が一気に広がる。3匹、一掃。


 大地がバフ料理を食べながら先を行く。


「水ん中歩くの疲れるな」


「ボリューム落として」


 合間に装備の手入れをする。大地の鎧の肩当ての留め具がゆるんでいた。ポーチの底から裁縫道具を出して、革紐のほつれを縫い直す。


 針を通す。引き締める。革が濡れて扱いにくい。でも——指先に感覚がある。縫うたびに、少しだけ手が慣れていく気がする。


 (裁縫★……いまいくつだ。まだ★だよな)


 2階層に降りる。水位が上がった。膝まで浸かっている。


 視界が悪い。泥が舞い上がって、5メートル先が霞む。


 大地の足音がばしゃばしゃと響く。白鳥さんが顔をしかめて水を避けようとしているが、膝まで浸かっていては無駄だ。


「水瀬さん。ポーチの中身、濡れていませんか」


「大丈夫。防水のジップに入れてある」


 (水系ダンジョンだって聞いてた。濡らしたくないものは先に分けておく。洗濯の基本だ)


「……すごいですね。わたしの装備は既にびしょ濡れです」


「慣れかな。洗濯物の扱いと同じだよ」


 白鳥さんが首を傾げた。洗濯物と装備管理の関連がわからないらしい。


 (わからなくていい)


 水浸しの装備を絞る。大地の鎧の泥を水で洗い流す。ついでに白鳥さんのマントの端も拭いた。


 手が覚えている。洗い方。絞り方。干し方——いや、ダンジョンでは干せないが。


 奥から、重い振動が伝わってきた。水面が波立つ。


「何か来るぞ」


 水中から——泥と岩で構成された人型が立ち上がった。


 2メートル超。両腕が泥で膨れている。目も鼻もない。ただ泥の塊が、人の形をして立っている。周りの水を弾いていた。膝まで水に浸かっても溶けない泥。


 マッドゴーレム。


「大地、前!」


「おう!!」


 大地が盾を構えて突進を受け止めた。足が水の底にめり込む。踏ん張りが効かない。


 (重い。翠緑の回廊のゴブリンキングより——)


「白鳥さん、氷で!」


「〈氷槍〉」


 氷の槍がマッドゴーレムの胸に突き刺さった。泥の表面が凍る——が、内側から泥が湧き出して凍った部分を埋めた。


 再生する。


 大地が盾で殴る。拳が泥に沈み込んだ。


「効かねえ! 殴っても吸い込まれるぞ!」


 マッドゴーレムが腕を振った。泥が飛び散る。大地の鎧にべちゃりと張り付いた。


 3秒。


「っ!? 熱い——いや、溶けてる!?」


 大地の鎧の表面から蒸気が上がっている。革の留め具が——さっき縫い直したばかりの革紐が、泡を立てて溶けていく。


 酸だ。あの泥、酸性だ。


 (こいつの攻撃、全部装備を潰しにくる——)


「大地、鎧脱げ! いや待て——」


 モップを掴んだ。〈浄化〉。


 青白い光がモップの先端から広がる。泥の表面を拭い取った。大地の鎧から泥が剥がれる。


 頭の芯がずんと重くなった。MPを持っていかれる。


 ——が。


 泥を取り除いても、鎧の腐食は止まらない。革に染み込んだ酸が、じわじわと素材を溶かしている。


 〈浄化〉は毒も呪いも消せた。でも酸は状態異常じゃない。革が物理的に溶けている。消すべき「異常」がない。


「〈浄化〉で表面は取れる。でも染み込んだ分が——」


 マッドゴーレムが2発目の泥を放った。白鳥さんに向かって。


「〈氷壁〉!」


 白鳥さんの前に氷の壁が立ち上がる。泥が氷壁に張り付いた。数秒後、氷の表面が泡立ち始める。


「〈氷壁〉が——溶けます!」


 白鳥さんの額に汗が浮いている。氷壁の維持と攻撃の両立はMP消費が激しい。


 大地の鎧の肩当てが、ぼろりと崩れた。さっき縫い直した革紐が溶け落ちている。


 (せっかく直したのに——)


 マッドゴーレムが咆哮した。泥の身体が膨張する。次の攻撃は、さっきの倍の量の泥が来る。


 膝まで浸かった水と泥だらけの鎧が重い。


「水で流せねえのか!?」


 大地が水をすくって鎧にかけた。何度も。——表面の泥は流れるが、革に染み込んだ酸はびくともしない。


 さっき白鳥さんに言った言葉が浮かんだ。


 ——洗濯物の扱いと同じだよ。


 ただ水をかけるだけじゃダメだ。染み込んだ汚れは、揉み出さないと落ちない。


「大地、盾で止めてろ!」


「おう!!」


 大地が盾でマッドゴーレムを押し返す。白鳥さんが〈氷壁〉を張り直した。


 その隙に、大地の鎧の留め具を外す。ポーチから雑巾を引き抜いた。


 酸の泥を拭き取ろうとした。——2秒で繊維がぼろぼろに崩れた。


 (道具じゃ無理か——素手でいくしかない)


 指先で革の表面をなぞった。


 ——わかる。酸が深く染みている場所。硬く、ざらついている。洗濯物の頑固な汚れと同じだ。ここに残っている。


 揉む。手のひらで酸を押し出す。水ですすぐ。また揉む。


 指先が痺れた。肌がじりじりと焼ける。


 (痛い——でも止めたら、大地の鎧が持たない)


 ——でも、落ちる。


 大地が水をかけただけでは動かなかった酸が、揉み込むと薄くなっていく。腐食の進行が——遅くなった。


「悠斗、何やってんだ!?」


「洗濯!」


「せんたっ——戦闘中だぞ!!」


「……戦場で、洗濯ですか」


 白鳥さんの声に呆れと——ほんの少しだけ、安心が混じっていた。


 大地に鎧を返す。まだ戦える。


 でも——次の泥攻撃が来たら、同じことの繰り返しだ。素手で洗えば手がやられる。白鳥さんのMPも持たない。


 手を見た。赤く腫れた指先。水に浸した鎧と、洗濯板代わりの岩。


 洗濯★★。


 あと——もう少しで、届く気がする。


 マッドゴーレムが腕を振りかぶった。泥の塊が、さっきの3倍の大きさに膨れ上がっている。


 ——洗濯、するか。

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