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第6話 お嬢様、焦がす

◆千紗視点◆


 本日2箇所目のダンジョン。


 D級「蒼牙の森」の2階層。苔むした木々の間を歩いている。湿った空気が肌にまとわりつく。足元の落ち葉を踏むたびに、腐葉土の匂いが立ち上った。


 わたしは一人で歩いていた。


 1箇所目の「翡翠坑道」でMPを6割使った。残りは4割。身体の芯に冷えが溜まっている。氷魔法を使いすぎると、こうなる。


 それでも2箇所目に来た。


 C級ダンジョンをソロで攻略すると1日1箇所が限界になる。MP切れで帰還するたびに思う——前衛がいれば、と。


 でもパーティーを組む相手がいない。


 声をかけようとすると、言葉が出なくなる。相手の目が怖い。何を話せばいいのかわからない。「近寄りがたい」と言われているのは知っている。


 だからわたしは自分を鍛えるしかない。一人でも戦えるように。D級ダンジョンを1日2箇所。省エネ運用を身体に染み込ませる。


 ギルドに帰ると、パーティーで冒険している人たちが目に入る。肩を叩き合って、笑い合って、報酬を分け合っている。


 わたしの報告はいつも一人だ。受付との事務的なやり取りだけ。


 1階層は順調だった。〈氷槍〉の出力を絞って、ウルフファングを1匹ずつ処理した。


 2階層に降りた途端。


 がさり。


 1匹じゃない。茂みが次々に揺れる。低い唸り声が四方から聞こえた。


 ——数えた。8匹。


 ウルフファングの群れだ。1匹が低く唸って前に出る。囮。残りが左右に散開していく。囲い込みからの一斉攻撃——群れの連携戦術。


 1匹ずつ仕留めるわたしのスタイルと、最悪の相性。


 〈氷槍〉。1匹目を射抜いた。右から跳びかかってきた2匹目にもう1本。身を翻して3匹目を貫く。


 3匹。残り5匹。


 身体の芯から力が抜けていく。指先が痺れ始めた。


 あと〈氷槍〉を2発。出力を絞っても3発。〈氷結領域〉なら一掃できる。でも残りのMPでは撃てない。


 5匹が包囲を狭めてくる。牙の隙間から唾液が垂れた。獣の体温が、湿った空気に混じる。


(——また、一人だ)


◇◇◇


◆悠斗視点◆


 D級ダンジョン「蒼牙の森」の2階層。大地と並んで歩いていた。


「翠緑の回廊」を攻略してから3日。別のD級ダンジョンを回るのが日課になりつつある。獣型モンスターが中心の森林型で、ゴブリン系とは雰囲気が違う。


 ポーチの中に新作が入っている。集中スープの改良版——おにぎりにして携帯できるようにした試作品。INT+15%。魔法使い向けに作ったはいいが、使う相手がいない。


「つーかよ、昨日ニュースで見たんだけどさ。北関東のD級ダンジョンが決壊しかけたらしいぜ」


「決壊?」


「放置すっとモンスターが外に溢れ出してくるやつだよ。冒険者が足りなかったんだと」


(怖い話をさらっと言うな)


「まあオレらには関係ないけどな! このダンジョンは人気あるし!」


 奥から、空気が凍る音がした。


 氷魔法だ。


 直後に獣の遠吠え。1匹じゃない。


「悠斗、あっちやべえぞ!」


「走るぞ」


 木の根を飛び越え、苔の道を駆け抜けた。


 ——銀髪が見えた。


 白い軽鎧にアイスブルーの瞳。あの人だ。ギルドですれ違った銀髪の冒険者——白鳥千紗。


 ウルフファングの群れに囲まれていた。足元に魔石が3つ。3匹は倒した。だが残り5匹が包囲を狭めている。白鳥さんは氷の槍を構えていたが、肩で息をしていた。


「おい、白鳥千紗じゃねえか!? 囲まれてる!」


 迷う暇はない。


「大地、前! 盾で3匹抑えろ!」


「任せろ!!」


 大地が駆け出す。ポーチに手を突っ込んだ。


 大地用の剛力おにぎりを投げ渡す。STR+20%。いつもの定番品。


 ——と、もう1つ。


 INT+15%のおにぎり。さっきまで使い道のなかった試作品。


 あの日の横顔が浮かんだ。一人で帰っていく背中。寂しそうな目。


(試作品だけど——あのMPの切れ方を見たら、出すしかない)


「白鳥さん! これ食ってください! 魔法の威力上がります!」


 投げた。


 白鳥さんがおにぎりを片手で受け取った。アイスブルーの瞳が困惑で揺れている。


「……は?」


 そりゃそうだ。戦闘中にいきなりおにぎりを投げてくる人間は普通いない。


 大地が〈剛体〉で硬化した盾を構え、ウルフファング3匹の突進を正面から受け止めた。ずしん、と足が地面にめり込む。


「黙って食え! 悠斗の飯に間違いはねえ!!」


 盾越しに大地が叫ぶ。


 白鳥さんがおにぎりを見つめている。一瞬だけ、迷った目。


 かじった。


 白鳥さんの目が見開かれた。


「——っ! これ——」


 冷気が白鳥さんの手に集まる。さっきまでとは密度が違う。身体の奥からINTが底上げされている——それが表情でわかった。


 MPの量は変わらない。でも1発あたりの威力が上がる。少ない手数で倒せる。


 白鳥さんが手をかざした。冷気が3方向に走る。


「——〈氷槍・三連〉」


 青白い氷の槍がウルフファング3匹を同時に貫いた。


 軌跡にバフの金色が混じっている。アイスブルーと金色と白——凍った森に色が散った。氷の破片が薄い光を反射して、一瞬だけ森全体が輝く。


(……相性がいいのか? INT直結の魔法にINT+15%のバフ。恩恵が大きすぎないか)


 引っかかったが、いまは戦闘中だ。


 残り2匹。大地のバフ付き盾撃と白鳥さんの氷魔法で叩いた。


 ——戦闘終了。


 ウルフファングが光の粒子になり、魔石が転がる。森に静けさが戻った。木々の隙間から差す光が、溶けかけた氷の破片をきらきら照らしている。


「すげえ……C級ってやっぱすげえな」


 大地が素直に感嘆している。白鳥さんがちらりとこちらを見た。すぐに目を逸らす。


 白鳥さんが膝に手をつき、呼吸を整えていた。


 口を開いて——閉じた。また開いて——閉じた。


「…………あ、ありがとう、ございました」


 ぎこちなさすぎる。目が泳いでいる。耳が赤い。


「お前……もしかして人見知りか?」


 大地が真顔で聞いた。


 白鳥さんの手が髪の毛先を弄り始める。


「ち、違います。わたしは別に——」


 声が裏返った。


(完全に人見知りだろ)


 高圧的だと思っていた。近寄りがたいと聞いていた。


 でも、違う。この人はただ、コミュニケーションが下手なだけだ。


 ソロなのは実力の問題じゃない。誰にも声をかけられないから——一人だったんだ。


◇◇◇


 ダンジョンを出た。ゲート前のベンチに3人で腰を下ろす。


 沈黙。


 白鳥さんが俯いたまま、何か言おうとしていた。大地は珍しく黙って待っている。


「……また、一緒に、行っても、いいですか」


 一語ずつ区切って、白鳥さんが言った。指先が膝の上で震えていた。


「おう!! 三人パーティーだ!!」


 大地が即答した。ベンチが揺れる。


「明日ギルドで登録しようぜ! 3人いれば正式パーティーだろ!?」


「よろしくお願いします、白鳥さん」


 白鳥さんが俯いたまま、小さく頷いた。


 ——耳が真っ赤だった。


◇◇◇


 その日の夜。俺の自宅。


 1Kのアパートに3人は窮屈だった。大地がどこからか折りたたみ椅子を持ち込み、白鳥さんがテーブルの端に座っている。パーティー結成の食事会——大地が「祝勝会だろ!!」と叫んだので、なし崩し的に決まった。


 白鳥さんが部屋の中を見回していた。6畳。キッチン付き。


「……コンパクトな、お部屋ですね」


 精一杯の気遣いだった。大地が吹き出す。


「白鳥、それ狭いって意味だぞ」


「ち、違います」


(合ってるよ)


 台所で卵を溶いている横に、白鳥さんが立った。出汁の匂いが狭い部屋に広がっている。


「わたしにも何か手伝えることはありますか」


「じゃあ卵焼き、お願いしていい?」


「はい」


 真剣な表情でフライパンを握った。


「熱の管理は氷魔法で完璧に——」


 黒煙が上がった。


「……なぜ」


 白鳥さんが呆然としている。フライパンの中は完全に炭だった。


 黙って別のフライパンを出す。


「ぶはっ!!」


 大地が腹を抱えている。俺も口元が震えた。


「笑わないでください……」


 白鳥さんが小声で言う。髪で顔を隠そうとしているが、耳の赤さは隠せていない。


(氷魔法と火加減は別物です、白鳥さん)


 結局、卵焼きは俺が焼いた。白鳥さんには皿を並べてもらう。


 狭いテーブルに料理を広げた。大地がオーク肉ジャーキーを出す。実家の精肉店からの差し入れらしい。


「白鳥も食えよ!」


 白鳥さんが箸を取った。一口。——箸が止まらなくなる。


 頬が完全に緩んでいた。隠そうとしているのはわかる。でも隠せていない。


「水瀬さんは……いつもこんな料理を作っているんですか」


「まあ、毎日」


「……すごいですね」


 目を合わせないまま、小さく呟いた。


「だろ!? 悠斗の飯はマジで——」


「うるさいぞ大地」


「事実だろ!!」


「明日から3人でD級回ろうぜ! 白鳥の氷に悠斗のバフ、オレの盾で無敵だ!」


「……そんなに簡単に言わないでください」


 白鳥さんが困ったように眉を下げた。でも——小さく笑った。


 笑ったのは初めて見た。


「……美味しいです」


 小さな声。でもはっきり聞こえた。


(……騒がしくなったな、この食卓)


 悪くない。


◇◇◇


 片付けが終わって、白鳥さんと大地が帰った後。


 スマホを見ると、ギルドの連絡アプリに未読メッセージが1件。


 差出人——九条雪乃。


『水瀬さん。あなたの成長データに異常値が出ています。一度、ギルドに来てもらえますか』


 ——異常値?


 スマホの画面を見つめた。俺のデータの、何が異常なんだ。


 嫌な予感はしない。でも、わからないことが増えていく。


 テーブルの上に目を向けた。


 白鳥さんが食べ残さなかった皿が、きれいに重ねてある。


 ——洗い方は知らないけど、重ね方は丁寧だった。

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