第5話 C級の孤独
5階層への階段を降りた。
空気が変わる。獣の臭い。苔の匂いに混じって、生き物の体温みたいな重たさがある。
「この先がボスフロアか」
「おう! さっきのモップ浄化の余韻で無敵な気分だぜ!」
「余韻で戦うな」
階段を降りきると、広い空間が開けた。
天井まで10メートルはある。太い木の根が壁を覆い、木漏れ日が中央の石の台座を照らしている。
その上に——2メートルを超えるゴブリンが座っていた。
ゴブリンキング。頭に錆びた王冠。手にこん棒。周囲に護衛のゴブリンが4匹。うち1匹が紫色の鱗粉をまとっている。
毒持ちだ。4階層のポイズンモスと同じだろう。
台座から立ち上がった瞬間、足元が震えた。
E級のゴブリンとは格が違う。
「——大地」
「わかってる」
大地が盾を構えた。俺はポーチに手を伸ばす。バフ料理の残りは3食分。
——足りなかったら、ここで作る。
◇◇◇
ポーチからバフ料理を取り出し、大地に手渡した。STR+20%、15分。いつもの定番品。
「おっ、サンキュ」
一口食って——動きが止まった。目を見開く。
「——うめ」
「食レポいいから行け」
大地が突進する。〈剛体〉で硬化した盾がゴブリンキングのこん棒を正面から受け止めた。
衝撃で大地の足が地面にめり込む。——重い。E級とは桁が違う。
でもバフ付きなら、耐えられる。
護衛ゴブリン4匹が横から襲ってくる。
「悠斗! 毒のやつ来てる!」
「見えてる」
モップを構えた。紫の鱗粉をまとった1匹が鱗粉を撒き散らす前に——〈浄化〉。
青白い光。モップの一振りで紫色の鱗粉が消えた。
「浄化からのモップ薙ぎ払い! かっけえ!」
「ただ拭いてるだけだよ」
護衛を大地が蹴散らす間に、ゴブリンキングの動きを観察する。
こん棒の一振りが石の台座を粉砕した。
(あの一撃を食らったら終わりだ)
でも——大地が正面を引きつけている間は、動きが読める。
身体がじわりと重くなってきた。さっきの浄化の消耗だ。まだ動けるが、連発は避けたい。
大地の動きが鈍り始めた。バフの持続時間が切れかけている。
「大地! 追加!」
バフ料理をもう1食、投げ渡した。大地が口に放り込む。
持続時間がリセットされる。STR+20%がもう15分。
大地の表情が変わった。
「——おおおお!!」
盾を振り上げ、ゴブリンキングのこん棒を弾き飛ばした。体勢を崩したゴブリンキングの腹に、盾の一撃。
地面が揺れた。ゴブリンキングが膝をつく。
もう1発。大地の全力の盾が、ゴブリンキングの頭を叩いた。
——討伐完了。
ゴブリンキングが光の粒子に変わり、魔石が落ちた。D級の魔石は手のひらよりひと回り大きい。青く光っている。
直後、床に転送陣が浮かび上がった。青白い円形の光——帰還用だ。
「クリアしたぞ!! D級!! 初クリア!!」
大地がガッツポーズしている。声がボスフロア全体に反響した。
「声。ボリューム」
「おう!! 悠斗のバフ料理があれば百人力だ!!」
(まあ、勝てたのは事実だ)
転送陣をくぐった。光に包まれて——次の瞬間、ダンジョンの外。
夕方の空。オレンジ色の光が目に染みる。森の匂いが消えて、アスファルトと排気ガスの都会の匂い。
初めてのD級ダンジョン完全攻略だ。
◇◇◇
ギルド新都市支部に帰還。報告書提出のカウンター。
受付は九条さんではなく、別の若い女性職員だった。
大地がカウンターに身を乗り出す。
「報告します!! D級ダンジョン『翠緑の回廊』クリア!!」
「は、はい。お疲れ様です。内容をお聞かせ——」
「毒消した! モップで!」
「……え?」
「あとダンジョン掃除した! ゴブリンの巣ピカピカにした!」
「……えっと」
「呪いの罠もモップで消した! あ、ボスも倒した!」
「あの……報告書にはどう記載すれば……」
俺はカウンターの横で頭を抱えていた。
(お願いだから順番に喋ってくれ)
結局、報告書は俺が口頭で補足した。大地は隣のカウンターに魔石を持っていって換金手続き。道中のゴブリンやポイズンモスの分も含めて、両手いっぱいの魔石を抱えている。
「これ全部!! 今日のです!!」
隣のカウンターの受付がたじろいでいた。
大地の声が遠ざかった隙に、報告書のスキル欄に〈浄化〉と書いた。受付が首を傾げる。
「〈浄化〉は……既存のスキル一覧にはありませんが」
「覚醒したばかりなんです。登録お願いします」
「……承知しました。新規スキル登録として処理いたします」
タブレットに入力する受付の指が少し戸惑っている。
(前例のないスキルを持ち込まれたら、そうなるよな)
報酬精算。ゴブリンキングの魔石が大きい分、通常のD級クリアより高め。
合計8,500円。
悪くない。E級の5匹分で3,500円だったことを考えると、D級は効率がいい。大地と折半で4,250円ずつ。
大地が換金を済ませて戻ってきた。
「悠斗、帰りにメシ行こうぜ! 焼肉!」
「報酬の半分飛ぶだろ」
「D級クリア祝いだろ!!」
「……ファミレスなら」
「ファミレスかよ!!」
カウンターで報酬を受け取っていると——
ギルドの入口から、風が入ってきた。
◇◇◇
ひとりの冒険者が入ってきた。
銀髪のロングヘア。腰まで伸びた髪が、入口の夕日に透けている。アイスブルーの瞳。白を基調とした軽鎧。
周囲の空気が変わった。
さっきまで喧騒に満ちていたギルドが、一瞬だけ静まる。冒険者たちが自然に道を開けた。
——なんだ、この人。
銀髪の冒険者はカウンターに向かって歩いてくる。俺と大地の横を通り過ぎた。
冷たい空気が、一瞬だけ頬をかすめた。
香水じゃない。この人自体から冷気が漂っている。
——氷系のスキル持ちか。
軽鎧の金具がかすかに鳴る。それ以外の音がしない。足音すら聞こえない。
さっき大地が叫んでいた内容は、嫌でも聞こえたはずだ。「モップで毒消した」の件。
銀髪の冒険者の足が、一瞬だけ止まった。
——だが、何も言わなかった。
カウンターに向かい、ソロでの依頼報告。受付とのやり取りは最小限。完了の処理を済ませると、振り向きもせずに出口に向かった。
誰とも話さない。誰にも声をかけない。
C級冒険者がソロで依頼をこなして、一人で帰っていく。
◇◇◇
ギルドを出ていく銀髪の冒険者の背中を、目で追った。
「あれ、白鳥千紗だぞ。知ってるか?」
大地が横で呟く。
「知らない」
「マジかよ。白鳥家っつったら冒険者の名門だ。父親が元A級。千紗もC級に最年少で到達したって話題になった」
「……C級か」
C級。俺たちがいま初めてD級をクリアした。そのひとつ上。
しかもソロでやっている。
「なんでソロなんだ? あの実力なら引く手数多だろ」
「さあなぁ。近寄りがたいっつーか、実力はあるけど一緒に組みたがるやつがいねえんだと。冷たい感じだろ? あの目つきとか」
「……」
ギルドの出口を見た。
白鳥さんの背中が夕日に照らされている。銀髪が風に揺れた——その一瞬、横顔が見えた。
……寂しそうだった。
誰にも声をかけず、誰にもかけられず、一人で帰っていく。
C級の実力。名門の令嬢。強い。強いのに——
「——大地。明日もD級行くか」
「おう! 悠斗の飯があれば百人力だ!!」
帰り道。報酬は折半で4,250円。ファミレスで祝勝会。
大地が今日の戦闘を振り返っている。声がでかい。モップで毒を消した話を三回繰り返した。
ポテトを追加し、唐揚げを追加し、パフェまで頼んだ。全部大地だ。会計で報酬の半分が消えた。
(……焼肉にしとけばよかった)
でも、あの銀髪の横顔がちらつく。
一人で帰っていく背中。
俺も最近まであちら側にいた。
——あの人は、なぜ一人なんだろう。
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