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第4話 モップの浄化師

 D級ダンジョン「翠緑の回廊」。ゲートは半透明の緑色をしていた。


 森の匂いが漂ってくる。苔と土と、ほんのり甘い樹液。E級の水晶洞とは全然違う空気だ。


 E級を一緒に回って息が合うのは確認済み。今日が初めてのD級になる。


 リュックの中身を確認した。包丁。水筒。バフ料理の素材。回復ポーション——そしてリュックの横に括り付けたモップ。


「……悠斗。なんでモップ持ってんの」


「掃除用」


「ダンジョンだぞ!?」


「ダンジョンでも汚れるだろ」


 真顔で答えた。リュックの中にはさらに雑巾が3枚入っている。


 ★上げのためにダンジョン内で掃除も積極的にやる——とは大地に説明していない。ただの綺麗好きだと思われている。


 (まあ、否定はしない)


「ついにD級だ! パーティー組んで初の本番! いくぞ悠斗!」


 大地の声がゲート前に反響した。通りすがりの冒険者が振り返る。


◇◇◇


 ゲートをくぐった。


 巨木だ。天井がない。


 見上げると太い枝と葉の層がはるか上で光を遮っている。木漏れ日が斜めに差し込んで、苔むした地面に光の模様を描いていた。


 踏み出すとじわりと水が靴底に滲む。


 虫の羽音が耳元を通り過ぎた。湿った土の匂い。E級の薄暗い岩壁とは別世界だ。


 1階層。ゴブリン3匹の小集団が巡回していた。E級のやつより一回り大きい。


 大地が盾を構える。


「任せろ! E級で鍛え直したかいがあるぜ!」


「はい、これ」


 バフ料理を投げ渡した。STR+20%、15分。いつもの定番品だ。


 一口食って——動きが止まった。目を見開く。


 1秒。2秒。3秒。


「——うめえ!!!」


 叫びながらゴブリンに突っ込んでいく。


 (毎回同じリアクション芸やるよな、お前)


 バフ付きの大地にD級1階層のゴブリンは問題ない。盾で弾き、硬化した拳で殴る。3匹がまとめて吹き飛んだ。


 1階層、2階層と順調に突破した。


 その間、俺は探索の合間にモップでダンジョンの床を拭いていた。苔を剥がす。蜘蛛の巣を払う。通路の泥を拭き取る。


 大地は最初「何やってんだ?」という目で見ていた。だが何度かE級を回るうちに慣れたらしい。何も言わない。


 掃除済みの道を選んで歩いてはいた。


 2階層の奥。壁にこびりついた苔をモップで削り取っていると——


 ステータスウィンドウが点滅した。


───────────────────

◆ スキル

・〈家事全般〉Lv.1

 ├ 料理 ★★★☆☆

 ├ 掃除 ★★★☆☆ ← NEW!

 ├ 洗濯 ★★☆☆☆

 ├ 裁縫 ★☆☆☆☆

 └ 整理整頓 ★★☆☆☆


【派生スキル覚醒】

・〈浄化〉Lv.1

 「汚れ(状態異常)を除去する。

  対象に掃除道具で触れて発動。

  汚れが強いほど効果が高い」

───────────────────


 ——来た。


 小さくガッツポーズした。〈料理〉★★★で〈錬金術〉が覚醒したときと同じパターンだ。掃除でも★★★到達で派生スキルが出た。狙い通り。


「……〈浄化〉?」


「おい悠斗、何ニヤついてんだ」


「いや、なんでもない」


 汚れ(状態異常)を除去する。括弧書きが引っかかる。掃除スキルなのに状態異常?


 (意味がわからない。とりあえず先に進もう)


 3階層に降りた。


 空気が変わった。森の匂いに甘ったるい腐敗臭が混じっている。鼻の奥に絡みつくような甘さだ。


 地面に紫色の鱗粉が薄く積もっていた。


◇◇◇


 3階層の広間。天井を見上げた。


 蛾だ。紫色の蛾が群れで垂れ下がっている。掌くらいの大きさ。ぶよぶよした羽が微かに震えて、鱗粉がきらきらと舞い落ちている。


 ポイズンモス。直接の攻撃力はほぼない。だが鱗粉で毒を撒く。


「任せろ!」


 大地が盾を構えて踏み込んだ。


 ——群れが一斉に舞い上がった。


 紫の鱗粉が霧のように広がる。甘い匂いが一気に濃くなった。視界が紫に染まる。


「ごほっ……! なんだこれ、気持ち悪——」


 大地が鱗粉を吸い込んだ。一瞬で顔色が変わる。


 ステータスに赤い文字——【毒】。HPがじわじわ減り始めていた。


「大地! 下がれ!」


 群れから引きずり出して、通路の壁にもたれさせた。回復ポーションを渡す。飲んだ。HPは回復する。


 ——が、【毒】の表示が消えない。継続ダメージが止まらない。


 〈錬金術〉で解毒スープを作れる。だが素材が足りない。解毒には毒消し草が要る。持ってきていない。


「くそ——解毒の素材、持ってきてない……!」


 ポーションで延命はできる。でも手持ちは残り4本。このペースだと30分保たない。撤退するか——


 大地が膝をついた。顔色が土色だ。盾を支えに身体を起こそうとして、腕が震えている。


「わり……足に、力が入んねえ……」


 拳を握った。


 毒——状態異常。


 ……待てよ。


 さっき覚えたばかりのスキル。〈浄化〉——「汚れ(状態異常)を除去する」。


 状態異常を除去する?


 毒って、状態異常だよな?


 モップを手に取った。半信半疑だ。掃除スキルの派生で毒が消えるわけがない。消えるわけ——いや。〈錬金術〉だって料理でポーションが出来るなんて思ってなかった。


 試すしかない。


 モップの先端を大地の肩に当てた。〈浄化〉を意識する。


 ——身体の芯から、すっと何かが抜けた。


 瞬間。


 モップの先が青白く光った。


 大地の肌にこびりついた紫色の鱗粉が、光に触れた端から消えていく。拭うたびに毒の色が剥がれ落ちる。ステータスの【毒】表示が薄くなって——消えた。


「……マジか」


 大地が目を見開いた。——3秒。


「すっげ!! 毒消えた!! モップで!? モップで毒消えんの!?」


「いや俺もびっくりしてんだけど……」


 あの括弧書き。「汚れ(状態異常)」。毒も、このスキルにとっては「汚れ」だったのか。


「え、お前別のスキルも持ってんの? 〈錬金術〉だけじゃねえの?」


 (やば。〈浄化〉なんてスキル名、どう説明する)


「ダンジョンでオーブ拾ったんだよ。低確率でスキルオーブがドロップすることあるだろ」


「マジで!? 運いいな! オーブドロップとかなかなか出ねえのに!」


 大地は深追いしない。脳筋だ。もう次の話題に切り替わっている。


 (嘘じゃない。ダンジョンでスキルオーブがドロップするのは事実だ。ただ俺のは覚醒であってドロップじゃない)


 胸の奥がちくりとした。〈家事全般〉のことも隠してる。これで二つ目だ。


 ——いつか話さなきゃいけない。でも、今は。


 大地が鼻歌を歌い始めた隙に、ステータスを確認した。


 MP、200/250。1回で50持っていかれている。


 (あと4回。配分を考えないとまずいな)


「鱗粉が地面に残ってる。モップで拭けば浄化できるかもしれない」


 試した。モップを一振り。青白い光。紫色の粉がさっと消える。また身体が少し重くなった。さっきと同じくらいの消耗。


 (何回も連発は無理だ。身体が教えてくれてる)


「おおお! 道きれいになった!」


「大地は前。蛾を叩け。俺が後ろから鱗粉を拭う」


「了解!」


 3階層を抜けた。大地が盾でポイズンモスを叩き落とし、俺がモップで鱗粉を浄化する。なんだこのパーティー。


◇◇◇


 4階層。ゴブリンの巣だった。


 D級ゴブリンが10匹ほど。洞窟の壁沿いに巣を作っている。


 問題はそこじゃない。


 汚い。


 とにかく汚い。骨の残骸。腐った果実。正体不明の液体が床にこびりついて、壁には何かが乾いた跡がべったり張り付いている。酸っぱい腐敗臭が目に染みた。


 俺の表情が変わった。自覚はある。


「……ここは」


 大地が嫌な顔をした。こいつはもう知っている。料理モードのときと同じだ。スイッチが入った目。


「悠斗。その顔やめろ」


「掃除する」


「いや、ダンジョンだぞ!?」


「掃除するしかない」


「だからダンジョン——」


「汚い。掃除する」


 モップを構えた。


「……わかったよ! ゴブリンはオレが抑える! 好きにしろ!!」


 大地がゴブリンの群れに盾を構えて突っ込んでいく。2匹をまとめて弾いた。〈剛体〉で硬化した拳がゴブリンの顎を捉える。


 その間に俺はモップを振った。


 〈浄化〉。モップの先端が青白く光る。


 床の汚れが一拭きで消えた。灰色の石が元の色を取り戻す。壁の染みを拭う。乾いた血痕が光に溶けて消える。


 (身体が重い。頭もぼんやりしてきた……でも止まらない。この汚さは許容できない)


 骨を蹴飛ばし、腐った果実の残骸をモップで押しのけ、正体不明の液体を一掃した。拭いた場所から清潔な石肌が現れる。ひんやりした表面。これが本来のダンジョンの手触りだ。


 巣の奥の床を拭いていると、モップの先端に違和感があった。


 石の表面に紋様が刻まれている。赤黒い線が這うように広がっていた。濁った光を放っている。


 呪術紋様——呪いの罠だ。踏めば呪い状態になる。普通なら罠解除スキルか罠師を呼ぶ。


 俺は罠解除スキルなんか持っていない。


 モップを見た。紋様を見た。


「……汚れてるな」


 モップの先端を紋様に当てた。〈浄化〉。


 ——青白い光。赤黒い線がモップの一拭きで薄れていく。二拭き目。完全に消えた。床が元の灰色の石に戻っている。


「……呪いも、汚れなのか」


 毒だけじゃない。呪いも〈浄化〉の対象だった。状態異常は全部「汚れ」——掃除スキルの派生は、そういうことか。


 背後で鈍い衝撃音がした。大地が最後のゴブリンを盾で吹き飛ばした音だ。


 大地が振り返った。


 固まった。


 巣がピカピカになっていた。壁も床も元の石の色。さっきまでの汚さが嘘のようだ。


「……お前さ。やりすぎじゃね?」


「まだ隅が汚い」


「もういいだろ!!」


◇◇◇


 4階層の奥に、5階層への階段が見えた。


 階段の先から——低い振動が伝わってくる。足の裏がびりびり痺れた。地面がわずかに揺れている。


 ボスフロアだ。


 大地が盾を構え直した。表情が引き締まる。


「来たな。ボスだ」


 俺はモップを肩に担いだ。


「まだ掃除が残ってる」


「ダンジョンだっつの!!」


 毒を消した。呪いを消した。〈浄化〉が掃除スキルの派生で、ここまでやれるとは正直思ってなかった。


 ——この先に、まだ何がある?

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