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第14話 昇級試験 開始

 試験受付のカウンターに、折り畳み鉄板を置いた。


 試験官が、動きを止めた。


 銀縁の眼鏡を指で押し上げて、もう一度鉄板を見る。俺の横ではリュックから調味料一式と保温弁当箱が次々と出てくる。大地が嬉しそうに眺めている。白鳥さんは真顔のまま杖の柄に指を添えている。


「……携行バフアイテムの申告、ですね」


 試験官が慎重に言葉を選んだ。


「はい」


「薬剤、ですか」


「いえ、料理です」


 一拍。


「……料理?」


「バフ料理です。効果としては〈錬金術〉由来のバフポーションと同等です」


 試験官が手元の資料を繰った。ページを戻る。前に進む。また戻る。眼鏡の奥の目が、鉄板と保温弁当箱の間を往復した。


「……バフアイテムの形式は問わないと規定にはあります。ただ——」


 言葉を選んでいる。俺が黙っていると、試験官は小さく咳払いをした。


「料理という形式の前例がなく……効果物質としてポーション相当であれば、装備扱いで問題ありません。許可します」


「ナイス仕様!」


「……『仕様』ではありません」


 白鳥さんの声が真横から飛んできた。温度が2度下がった気がした。大地がむっと口を尖らせる。


 試験官が、資料の欄外に何かを書き込んだ。筆圧が強かった。


「D→C昇級受験者、水瀬悠斗さんと猪狩大地さん。白鳥千紗さんはC級のためパーティー同行扱いです。——では実技本番。制限時間は八時間。試験ダンジョンは指定D級『霜降りの洞窟』。ボスフロア到達および撃破が合格条件です」


 試験官が三人を順に見た。


「パーティー受験を認めますが、評価は個別です。私が同行し、各人の戦闘貢献度を随時記録します。ボス撃破時に有意義な貢献のないメンバーは不合格。——キャリーはできません」


 大地が拳を胸の前で握った。音が鳴った。


「受験者同士の妨害行為は減点対象です。——以上、出発してください」


 鉄板をリュックに戻した。ファスナーを上げる指先が、予想より冷たい。


 (証明する場所は、今日だ)


 冬馬の声がまだ頭の奥にあった。〈家事全般〉の派生スキル、か。——あの一言の意味は、後で考えればいい。


 今は、試験だ。


◇◇◇


 霜降りの洞窟のゲート前は、息が白くなる場所だった。


 ゲート——半透明の円形のポータルから、冷気がゆっくり漏れている。地面に薄く凍った水が張っていて、踏むとしゃりと鳴る。前方に三つのパーティー。うちのほかに十二人。全員が装備を最終確認している。


 誰かがこちらを見た。


 D級バッジを胸に提げた、帯剣の男だった。長身。肩幅が広い。剣の柄に右手をかけた姿勢のまま、鼻の先で小さく笑った。


「お前が〈家事全般〉のやつか」


 声が、こっちに届くように調節されていた。周囲の受験者たちの視線がさっと集まる。


「ギルドで噂になってたぜ。——ハズレスキルがD級だってよ」


 大地が一歩前に出ようとした。俺は肩に手を置いた。力は入れず、ただ触れるだけ。大地の筋肉が一瞬強張って、ゆっくり緩んだ。


 男の横を通り過ぎる。


 白鳥さんの銀髪が視界の端を流れた。顔は前を向いたまま。歩幅も乱れていない。


「おい、無視すんなよ」


 男が、三人の背中に向かって声を投げた。


 足を止めない。


 男がもう一言、何かを言いかけて——ふっと口を閉じる。俺は振り向かなかったが、気配でわかる。試験官の視線に気づいたらしい。小さな舌打ち。靴底が氷を擦る音。男が自分のパーティーのところへ戻っていく。


 (減点は避けたいんだな)


 男は短気じゃなかった。計算はできる人間だ。それがかえって厄介だった。


 ゲートまで五歩。


 白鳥さんが一瞬、俺の横顔を見た。何か言おうとして、やめた。大地は前を向いたまま、いつもの何倍か静かに歩いている。


 ゲートをくぐった。


 空気の層が変わった。耳の奥がつん、と詰まる。視界が一瞬白くにじんで、また戻る。最初の氷の回廊が、目の前に伸びていた。


 壁は青みがかった氷。天井から氷柱が垂れて、下から見ると鍾乳洞みたいだ。床には凍った水が流れている。吐く息が真っ白で、鼻の奥が痛くなる。


「……なあ」


 大地が、ぼそっと言った。


「なんだ」


「お前、ああいうの平気なのか」


 大地の声は、試験会場に置いてきた声量の半分だった。ゲート外では一言も聞かなかった分の思いが、ここで出てきたらしい。


「慣れた」


 俺はそれだけ返す。


 大地は以降口を閉ざした。白鳥さんも何も言わない。氷の回廊に、三人の足音だけが響いた。


◇◇◇


「——〈氷槍〉」


 白鳥さんの声が短い。


 回廊の奥から飛び出してきたアイスフォックスの頭に、氷の槍が三本刺さった。狐型モンスターが横に倒れる。尻尾が一瞬痙攣して止まった。


「……速い」


 俺は正直に言った。普段の〈氷槍〉より初動が一拍早い。


「この環境、氷属性が共鳴するみたいです。MPの通りがいい」


 白鳥さんの声に、わずかな手応えがあった。戦闘時の静かな声の中に、一滴だけ温度が混じっている。いつもより調子がいい——本人がそう気づいている。


「もう一匹、左から!」


 大地が盾を構えた。〈剛体〉。皮膚が硬化する音が空気に混ざる。


 二匹目のアイスフォックスが口を開いた。青白い息——氷のブレス。


 大地の盾に当たった瞬間、盾の表面が白く曇り胸当ての金具に氷の結晶が這った。大地の膝が一瞬がくっと落ちる。動きが露骨に鈍くなっている。


「悠斗——」


「わかってる」


 俺はリュックから雑巾を三枚取り出した。水筒のぬるま湯を含ませて、〈属性洗浄〉を起動する。


 大地の盾の表面をこする。氷の結晶が雑巾に吸い込まれるように消えていく。金具の氷を別の雑巾で揉むように拭いた。最後に胸当ての縁を撫で下ろす。


 動きの渋さが一段階ずつ取れていった。


「おし、直った!」


 大地が盾を振った。さっきまで氷でぎこちなかった腕が、元の速度に戻っている。


 ——〈属性洗浄〉は属性攻撃を無効化する能力だが、被弾した後のブレスは消せない。洗い流せるのは、装備表面にまとわりついた「残留した氷」だけだ。


 でも、今は十分だった。大地は前衛として立ち直った。


「氷属性が来たら俺に言ってくれ。洗い落とす」


「助かる」


 二層目。三層目。


 分岐のたびに、選ぶのが早くなっていた。


「左」


「根拠は?」


「この回廊、左の方が広い。モンスターの痕跡も薄い。奥行きがある気がする」


「なんでわかるんだ」


「……わからない。でも、そっちだと思う」


 大地が「お前、最近こういうの増えたな」と笑った。白鳥さんは何も言わなかったが、俺の選んだ方向に躊躇なくついてきた。


 (整理整頓★が、上がってる気がする)


 頭の奥で、何かが少しずつ整頓されていく感覚がある。回廊の分岐が自分の部屋の本棚みたいに——どっちが使いやすいか直感でわかる。


 一層から三層まで、二時間でクリアした。ペースは計画の予定通り。試験官はパーティーの後ろで黙ってタブレットに記録を取っている。


 順調だ。順調すぎる、と思った。


 四層の広間に入った瞬間、空気の重さが変わった。


 広い。天井が高い。床は全面が氷。視界の奥——十メートルくらい先に、とぐろを巻いた白いものが見える。


 最初は氷の柱にしか見えなかった。


 柱が、動いた。


 全長十メートルを超える、氷白色の大蛇。鱗の一枚一枚が凍りついて動くたびに細かい氷の粉が舞う。眼球が二つ、こちらを見ていた。瞳孔が縦に細い。


 フロストサーペント。


 知識としてだけ知っている名前が、頭の中に出てきた。C級ダンジョンのボス格。D級の「霜降りの洞窟」に出るはずがない怪物だ。


「——試験想定外……」


 白鳥さんの声が掠れた。


 背後で、タブレットの操作音が鳴った。速く、乱暴に。試験官の声が、張り詰めた早口で飛んだ。


「格外個体を確認。本試験を中止し、緊急討伐任務に切替——」


 宣言は、最後まで届かなかった。


 サーペントがこちらに向き直り、首をわずかに振った。残留していた冷気の一筋が試験官のいた方向へ流れる。タブレットを持っていた手が、空気ごと凍りついたような音を立てた。画面が一瞬光って——消える。試験官の革靴が、氷の床にぴたりと張り付いた。二歩下がろうとした姿勢のまま。


 通信は、途切れた。


「大地、下がれ!」


 俺が叫ぶより早く、大地は前に出ていた。〈剛体・全身〉。盾を構えて、巨体の突進を受け止める。


 受け止めた、と思った瞬間——大地の足が氷の床を滑った。


 五メートル。


 盾ごと後ろに押し込まれた大地が、壁に背中をぶつけて止まる。咳き込んだ。


「——〈氷槍・三連〉!」


 白鳥さんの詠唱は速かった。三本の氷の槍がサーペントの横腹に突き刺さる。


 刺さって、止まった。


 サーペントの鱗が、氷の槍を内側から吸収した。槍の先端が溶けるように消えていく。傷はほぼ残らなかった。


「……通ってない」


 白鳥さんの声。初めて聞く種類の、乾いた声だった。


「同属性だ」


 俺は、言ってから自分の声の震えに気づいた。


「同じ氷属性のモンスターに氷魔法は通らない。——MPを使うな」


 白鳥さんが一瞬息を止めた。唇を噛んで、すぐに次の呪文を口の中で押し殺したのがわかった。


「俺が何とかする」


 リュックからおにぎりを取り出す。STR+25%。大地めがけて投げる。片手で受け取り、丸ごと口に押し込んだ。


 ——〈浄化〉のMPは温存しないといけない。何に使うかはまだわからないが、温存しなければいけない。


 サーペントがとぐろを解いた。首を持ち上げる。


 口が開く。


 喉の奥が、青白く光った。


 (——息を吸ってる)


 全身の産毛が逆立った。


◇◇◇


 冷気のブレスが、広間に解き放たれる。


 音がない。音がないことが、恐ろしい。


 世界が、瞬間的に白くなる。空気中の水分が一気に結晶化して、視界のすべてに雪が舞う。壁も床も天井も——一瞬で霜に覆われる。


 俺の足元に、氷の花が咲く。


 大地の叫び声が聞こえた。


「動けない……!」


 見ると、大地の両脚が膝まで床の氷に固まっていた。〈剛体・全身〉を発動したままで、硬化した身体だけは耐えている。でも、脚が床に溶接されたみたいに完全に固定されていた。


 盾を構える腕だけが、まだ動いている。


「〈剛体〉で耐えてる……けど、抜けない!」


 俺は雑巾を握り直した。〈属性洗浄〉を起動し、大地の右脚の氷に押し当てる。洗い落とす動作を三度続けて繰り返した。


 氷が薄くなって割れて——


 次の瞬間、再凍結した。


 サーペントのブレスの残滓が、まだ広間の空気を満たしている。洗い落とすそばから、新しい氷が表面を覆っていく。俺の洗浄速度より、凍結速度の方が速い。


「——だめだ」


 口の中で呟いた。


 白鳥さんを振り返る。広間の中央で、白鳥さんは杖を両手で握ったまま膝をついていた。髪の一房が汗で額に貼りついている。いや、汗じゃない。氷の粒が溶けた水滴だ。


「千紗——MPは」


 下の名前が口から出た。自分でも気づかなかった。


「……もう、ほとんど」


 白鳥さんの声が細い。唇が青い。〈氷壁〉を張ろうとして、発動できずに止まった気配があった。MP残量10%以下。この環境では回復も遅い。


 状況を頭の中で整理した。


 大地——氷漬け。〈剛体〉で耐えているが動けない。

 白鳥さん——MP枯渇。魔法攻撃は不可。

 試験官——通信途絶。足を凍結、戦闘不能。

 俺——〈属性洗浄〉は使えるが、再凍結に追いつかない。


 リュックを開けた。おにぎりが二個。STR+20%。


 問題は、その奥だった。


 保温弁当箱の中で温めていた豚汁の鍋。さっきのブレスで外側が白く凍っている。蓋を外した。中の具材——大根と人参とこんにゃくと豚肉——半分が凍っていた。湯気の出ていた汁の表面が、薄い氷の膜を張っている。


 (凍った食材で、料理ができるか)


 指先が震えていた。寒さだけじゃなかった。


 (——いや)


 〈錬金術〉は素材を調合して品を生成する。素材の状態が悪ければ、出来上がる品の質は下がる。でも、ゼロじゃない。ゼロじゃないなら——


 サーペントが再び鎌首をもたげた。喉の奥が、また光り始めた。


 二発目のブレス。


 あと十秒あるかないか。


 俺は包丁を抜いた。凍った大根に刃を入れる。刃が氷に弾かれて、一瞬滑った。握り直す。もう一度。


 刃先が、白い大根の繊維に食い込んでいく。


 大地の「悠斗!」という叫び声が、白い世界の向こうから聞こえてくる。


 ——包丁を、強く握った。

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