第15話 散らかったダンジョンを整理する
サーペントの喉が、膨らんだ。——二発目だ。
「大地、盾を横にしろ! 風除けだ!」
「……ッ、了解!」
大地が氷漬けの脚ごと上体をひねった。盾が俺と白鳥さんの方に向く。
ブレスが放たれる。
音がない。一発目と同じだ。無音の冷気が広間を薙いで、盾の表面に白い結晶が走った。衝撃が左右に割れる。俺のいる空間だけ、風が一段弱まった。
数秒。それだけの猶予だ。
「悠斗、何やってんだ!」
「黙ってろ、やることがある!」
手を動かせ。包丁を握り替えた。切るんじゃない——砕く。凍りついた豚汁を背で叩き割った。三度。具材の欠片が床に散る。
味噌の匂いが微かに立った。凍りついた空気の中に、台所の匂いがした。
「水瀬さん、それ……ただの豚汁では」
「そうだ。バフなんかない。でも食材は食材だ」
〈錬金術〉を起動した。砕いた具材に手を当てる。指先から薄い光が走った。品質は最低だ。——だが、ゼロじゃない。
冷たい回復食が手の中に残った。温かさは一切ない。凍った欠片に薄い光が纏わりついているだけだ。見た目は悲惨だが、回復効果は確かにある。
「大地!」
投げた。大地が片手で受け取り、凍った欠片ごと口に押し込んだ。
「……ッ、不味い……! でも効く……!」
大地の顔が歪んだ。美味いものに弱い男が、今まで見た中で一番不味い顔をしている。
「お前の料理で初めて不味いの食った……!」
「文句は生きて帰ってからだ」
だが——凍傷で青ざめていた頬に、血色が戻り始めた。〈剛体〉で耐えるだけだった脚に力が入る。氷を踏み砕く音。大地が片脚を引き抜いた。
完全じゃない。もう片方はまだ氷に噛まれたままだ。だが動ける。
「——前衛、復帰!」
大地が盾を構え直した。半身を引いて、サーペントに正面を向ける。脚が片方不自由でも、盾だけは前に出す。
「白鳥、下がってろ! オレが壁になる!」
白鳥さんが杖を握り直した。何か言おうとして——唇を噛んだ。魔法を撃てない悔しさが、その顔に出ている。
だがサーペントは健在だった。頭をもたげて、三発目のブレスの準備に入っている。喉の奥が、また光る。
決定打がない。
「悠斗、どうする!」
大地が盾越しに叫んだ。答えが出ない。
「……何か、手はあるんですか」
白鳥さんの声が背中から届いた。震えていた。でも、問いかけている。まだ諦めていない。
広間を見回した。
入り組んだ氷の壁。天井から垂れる氷柱。崩れかけた通路の入り口。凍りついた床に散らばった戦闘の残骸。サーペントのブレスで歪んだ壁面。折れた氷柱の破片。何もかもがめちゃくちゃだ。
「……散らかってるな」
口から出た。自分でも意味がわからない。戦場を見て出てくる感想が「散らかってる」って何だ。
「悠斗……?」
大地が怪訝な声を上げた。振り返らない。頭の中で、あの感覚が立ち上がっていた。
散らかった部屋を見たときに全部の位置が見えるやつ。本棚のどこに何があるか。引き出しの奥に何が入っているか。考える前にわかるあの感覚。
1層の分岐を直感で選べたときから、ずっと強くなっていた。3層に入ったあたりでは、通路の空気の流れで奥行きがわかる。
(——来る)
視界が、変わった。
ダンジョンの構造が頭の中に流れ込んでくる。
間取り図だ。
4層広間の全体像が、頭の中に展開される。壁の厚さ。天井の高さ。氷柱の本数と位置。崩れかけた通路の接続先。足元の床の傾斜。全部が、散らかった部屋の見取り図みたいに、一瞬で頭に入った。
——あそこだ。
広間の左奥の壁に、繋がっていない空間がある。通路だ。隠し通路。氷の壁の裏に、もうひとつの道がある。出口はサーペントの背後。
めまいがした。覚醒の衝撃が頭の芯を揺さぶる。でも、情報は明確だった。
「見える。全部見える。この部屋の構造が——散らかった本棚みたいに、全部」
大地が振り返った。
「お前の覚醒トリガーが家事すぎる!!」
白鳥さんが膝をついたまま、こっちを見上げた。
「……もう驚かないことにしました」
驚いてる顔で言っている。目が見開いているのは隠せていない。
(ツッコミは後で受ける。今は——)
「作戦を変える」
声が自分でも驚くくらい落ち着いていた。見えているから。全部見えているから、やることがわかる。
「左奥の壁の裏に隠し通路がある。サーペントの背後に出られるんだ。俺が回り込んで囮になる」
「囮?」
「サーペントが俺に気づいてブレスを撃とうとしたら——口が開く」
白鳥さんの目が動いた。
「一発だけでいい。口の中なら——鱗がない」
白鳥さんが息を呑んだ。唇が動く。
「……外殻は氷属性で無効。でも、口内は」
「粘膜だ。属性耐性はない」
白鳥さんの瞳に、光が戻った。さっきまでMPの枯渇で曇っていた目が、冒険者の目になっている。
「……やります」
声が低い。静かだ。でも、揺れていない。
「じゃあオレは!」
大地が盾を鳴らした。
「お前は白鳥さんを守れ。サーペントが白鳥さんに気づいたら、盾で受けろ」
大地がにやりと笑った。歯を見せる。凍傷の唇が切れて血が滲んでいるのに、笑っている。
「任せろ」
白鳥さんが杖を握り直した。膝をついたまま、穂先をサーペントに向ける。
「……水瀬さん。気をつけて」
「すぐ終わる」
◇◇◇
隠し通路に飛び込んだ。
狭い。天井が低い。頭を屈めて走る。〈空間把握〉——さっき覚醒したばかりのスキルが、通路の構造を手に取るように伝えてくる。15メートル先に出口。サーペントの背後。
走りながら、リュックからおにぎりを取り出した。STR+20%。最後の一個。口に放り込む。噛みしめる。
米と塩の匂いが鼻を抜けた。単純な匂いだ。でも身体が応える。筋肉の奥に、じわりと力が広がっていく。
出口が見えた。
飛び出す。
サーペントの背後。白い鱗の壁が目の前にある。巨大だ。鱗の一枚一枚に冷気が纏わりついて、表面から細かい氷の粉が立ち上っている。
「こっちだ!」
声を張った。
サーペントの頭が振り返る。縦長の瞳孔が俺を捉えた。喉の奥が青白く光り始める——ブレスの準備。
心臓がうるさい。脚が竦みそうになった。逃げろ、と本能が叫んでいる。
逃げない。
正面を見た。白鳥さんが杖を構えている。両手で。最後のMPを、あの一本に込めるために。
大地が白鳥さんの前に盾を構えた。半歩前。約束どおりだ。
サーペントの口が、開いた。
「〈氷槍〉」
白鳥さんの声。短い。静かだ。でも、震えていない。
一本だけ。
氷の槍が、開いた口の中に吸い込まれていった。
口内の粘膜に、氷の槍が突き刺さる。
サーペントが——初めて、悲鳴を上げた。
頭を振り乱す巨体。十メートルの身体がのたうち、氷柱が何本も折れて広間に砕けた氷が散る。ブレスが不発のまま喉の奥で弾けて、冷気が四方に飛び散った。
その中を、大地が走った。
「——オレの番だ!!」
盾じゃない。盾を背中に回して、拳を振りかぶっている。〈剛体・全身〉。硬化した拳が鉄の色を帯びる。氷槍が刺さったまま暴れるサーペントの下顎を、真下から殴り上げた。
大地の全力だ。
衝撃で氷槍がさらに深く食い込む。
サーペントの動きが止まった。
一瞬の静止。十メートルを超える巨体が、ゆっくりと傾いていく。氷の床にぶつかった衝撃で、広間が揺れた。天井の氷柱が何本か折れて、砕けた氷が雪みたいに降ってくる。
白い粒子が、ゆっくりと舞い落ちる。
広間に、静寂が戻った。
「……やった、のか?」
大地の声。拳を下ろしたまま、サーペントの亡骸を見下ろしている。
「……やりました」
白鳥さんの声が小さく響いた。杖が石畳に落ちる音がした。
◇◇◇
三人とも、座り込んでいた。
白鳥さんは壁にもたれて目を閉じている。大地は足を投げ出して天井を仰いでいる。
「白鳥さん、大丈夫か」
「……大丈夫です。MP、ゼロですけど」
「大地は」
「片脚まだ痺れてる。けど骨は折れてねえ」
「……あの回復食、本当に不味かったです」
「白鳥さんも食べたのか」
「味は確認していません。猪狩さんの顔で十分です」
大地が力なく笑った。
冷気の中に、さっきの豚汁の匂いがまだ微かに残っていた。味噌と肉の混じった、場違いな匂い。
俺はステータスウィンドウを開いた。
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◆ 派生スキル覚醒!
〈整理整頓★★★〉→ 派生スキル解放
★〈空間把握〉Lv.1
効果:ダンジョン構造の把握。罠検知。隠し通路の発見。
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◆ スキル
・〈家事全般〉Lv.1
├ 料理 ★★★ → 〈錬金術〉
├ 掃除 ★★★ → 〈浄化〉
├ 洗濯 ★★★ → 〈属性洗浄〉
├ 裁縫 ★★★ → 〈縫錬〉
└ 整理整頓 ★★★ → 〈空間把握〉
全派生解放済み。
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「……全部、揃った」
声が掠れていた。
五つ。全部だ。料理。掃除。洗濯。裁縫。整理整頓。〈家事全般〉の五分野が——全て、派生スキルに覚醒した。
ハズレスキルランキング3位。スキルオーブを引いたとき、誰も期待していなかった。俺自身も。
大地が「おおお……!」と声を上げた。大地にしては小さい。声量が疲労で3割減っている。それでも、拳を握っていた。
白鳥さんが何も言わずに、少しだけ笑った。口元だけ。音もない。でも確かに、笑っていた。
——その直後。
ステータスウィンドウの最下部に、見たことのない表示が現れた。
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◆ 隠しスキル:条件未達成(詳細不明)
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「……隠しスキル?」
声が出た。
全部揃えた。五つ全部だ。それなのに——まだ、先がある。
条件が何かもわからない。詳細不明。文字通り、何も見えない。〈空間把握〉でダンジョンの隠し通路は見つけられたのに、この一行の意味だけは見えなかった。
大地が身を乗り出した。
「なんだそれ。隠しスキルって」
「わからない。条件も書いてない」
「全部揃えたのに、まだあんのかよ」
白鳥さんも杖に体重を預けたまま、ウィンドウを覗いている。アイスブルーの瞳が「条件未達成」の文字を追っていた。
「……〈家事全般〉の先に、まだ何かがあるということですか」
「そうみたいだ。——けど、今は」
ステータスウィンドウを閉じた。
「まずは、ここを出よう」
立ち上がる。脚が震えていた。膝が笑っている。指先はまだ冷たくて、包丁の柄の感触が手のひらに残っている。
それでも、立てた。
後半戦に突入です。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
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