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第13話 白鳥家の影

 氷結の杖を膝に置いた。


 柄の接合部に指を滑らせる。前回の応急処置で繊維は安定させたが、杖の先端側にもう一箇所、力の逃げる点があった。〈縫錬〉を起動する。素材の繊維の流れが手のひらに伝わってくる。針を通す。糸を引く。木材と金属の境目に、補強の縫い目を3針。


 杖が、手の中で静かになった。


「……できた。これで緩まないはずだ」


 白鳥さんに差し出す。受け取って、片手で握る。軽く一振り。


 少し間があった。


「……ありがとうございます」


 声が——いつもより柔らかかった。ほんの少しだけ。言い方が変わったわけじゃない。声の端に、角がなかった。


 (気のせいかもしれないけど)


 ギルドの休憩スペースは昼前の中途半端な時間で、人が少ない。窓から差す光が、白鳥さんの銀髪にかかっている。杖を背負い直す仕草が、いつもより丁寧に見えた。


 指先に、まだ杖の感触が残っていた。木材の繊維。金属との接合部。〈縫錬〉を通すと、素材の声が聞こえるような感覚がある。大袈裟に言えば——ひとつひとつの素材が、どう扱ってほしいかを教えてくれる。


「悠斗ーー」


 大地が椅子ごと寄ってきた。革鎧の胸当てを指で叩く。リザードマンの鱗を縫い込んだ修復痕が、光を受けてわずかに光っている。


「鎧もなんかもっと強くしてくれよ。こう、ガッと」


「素材がないとできない」


「じゃあ次の遠征でオーク肉じゃなくてオーク鱗を拾ってこよう」


「オークに鱗はない」


 白鳥さんが少し笑った。口元だけ。音は出ていない。でも確かに、口角が動いた。


 大地は気づいていない。俺だけが見ていた。


◇◇◇


 九条さんが、静かにテーブルのそばまで歩いてきた。


 カウンターから離れて、こちらに身を寄せるようにして、声を落とす。


「お知らせがあります。本日、ギルド顧問の白鳥冬馬氏が支部視察に来られます」


 白鳥さんの手がテーブルの上で止まった。杖の柄を握ったまま。動かない。


「白鳥……千紗の親父か?」


 大地も声を落とした。珍しい。


「そうです」


 九条さんが短く答えた。


 白鳥さんを見た。表情は変わっていない。変わっていないように見える。でも、さっきまであった口元の柔らかさが消えていた。


 白鳥さんの唇が、静かに動いた。


「……わかりました」


 それだけ言って、視線を下げた。杖の柄を握る指が、白くなっている。


 (聞くな。今は聞くな)


 ロビーの正面扉が開いた。


 空気が変わった。


 冒険者たちが自然と道を開ける。誰かが指示したわけじゃない。入ってきた人間の圧で、体が動いた。


 銀白の短髪。背筋が真っ直ぐに伸びた長身。黒いコートの下に、使い込まれた革の手袋。靴音が硬い。一歩ごとに床が鳴る。目が鋭い。視線の圧だけで、ロビーの温度が2度下がった気がした。


 (——元A級)


 白鳥冬馬。白鳥さんの父親。ギルド名誉顧問。その肩書きを知らなくても、この人間が普通じゃないことは一目でわかる。


 冬馬の視線が白鳥さんを見つけた。一瞬だけ目が合って、次に俺に移り——エプロンで止まった。


 一秒。二秒。


 冬馬が固まっている。


「かっこいいエプロンですよね! 機能性も高くて」


 大地。


 (今それ言うな。頼むから今それ言うな)


「……そうか」


 冬馬が短く切り上げた。声に感情がない。視線をエプロンから引き剥がすように、白鳥さんに向けた。


「千紗」


 声のトーンが低かった。名前だけで、空気が張り詰める。


「……はい」


 白鳥さんが立ち上がった。杖を背負い直す手が、わずかに震えていた。


 冬馬がロビーの隅、立ち話スペースに向かって歩き出した。白鳥さんがその後を追う。俺と大地も——何も言わずについていった。


「パーティーを組んだと聞いた」


 冬馬が立ち止まった。振り向かない。壁際の窓を背にして、腕を組む。


「ソロを続けるより賢明だ」


「相手がE級からD級に上がったばかりのハズレスキル冒険者というのは、いただけない」


 (褒めてなかった)


 冬馬の目が、俺を見た。品定め。値踏み。元A級の眼だ。視線が足元から頭まで上がって、もう一度エプロンで止まりかけて——通り過ぎた。


 視線が、白鳥さんに戻る。


「弱い仲間を連れて行くな。守ろうとした側が先に死ぬ」


 声は低い。感情は読めない。でも言葉の重さだけが、空気に残った。


「……私の経験だ」


 短い沈黙。冬馬は言葉を継いだ。


「千紗。白鳥家の名に相応しいパーティーを組みなさい。でなければソロに戻りなさい」


 白鳥さんの肩が強張る。唇を開きかけ、噛み締めるように閉じ、もう一度ゆっくり開いた。


「……お父さん、でも」


「でも?」


 一言。それだけで白鳥さんの声が止まった。言葉が、喉の奥で詰まっている。指先が杖の柄を握り締めている。修復したばかりの柄が、白い指の下できしんだ。


 俺は一歩前に出た。


 頭を下げた。深く。床のタイルの目地が視界に入る。


「ハズレスキルで、D級です。千紗さんに迷惑をかけているのは俺も理解しています」


 沈黙が重い。冬馬の革靴の先が、視界の端に見えた。動かない。


「——ただ、足を引っ張らないように努力はしています」


 白鳥さんの息を吸う音が聞こえた。小さく、鋭く。


 大地が割り込んだ。


「実力で見てもらいましょうよ」


 声がでかい。いつも通りの声量。この場にはまるで合っていない。周りの冒険者が振り向いた。でも——大地の目は真っ直ぐだった。冬馬を正面から見ている。


「数字を見てもらえばわかります。悠斗は強いですよ」


 足音が近づいた。静かな、正確な足音。


 九条さんがカウンターから歩いてきた。手にタブレットを持っている。冬馬の前に立ち、画面を向けた。


「ご参考までに」


 画面に、データが並んでいた。悠斗の成長曲線。〈家事全般〉のスキル覚醒記録。派生スキル〈縫錬〉の解放日時。チーム全体の撃破数と効率。E級からD級までの昇級速度。


 冬馬がタブレットを受け取った。画面を見る目が細くなる。


 一秒。二秒。三秒。


 冬馬の眉が、わずかに動いた。片方だけ。ほんの数ミリ。


 俺はそれを見逃した。頭を下げたままだったから。


 冬馬の唇が動いた。声にならない程度の小さな声。「……〈家事全般〉の派生、か」


 タブレットを九条さんに返す。指先が画面を離すとき、一瞬だけ躊躇した——ように見えた。九条さんの目が、それを捉えていた。


「データはわかった」


 冬馬の声が、ほんの少しだけ変わった気がした。気のせいかもしれない。


「条件を出そう」


 全員が黙った。


「D級からC級への昇級試験に合格したら認めよう。それが答えだ」


 白鳥さんが顔を上げた。


「……わかりました」


 声は震えていなかった。さっきとは違う。喉の奥で詰まっていた言葉が、今度は真っ直ぐ出てきた。


 大地が拳を握った。


「よし! 試験受けよう! オレもD級だ、一緒に上がるぞ!」


「……受けます」


 白鳥さんの声。小さく、でもはっきりと。


「俺も受ける」


 冬馬が踵を返した。コートの裾が翻る。革靴の音が硬く鳴って、出口に向かって歩いていく。


 ドアの前で立ち止まった。


 振り返らなかった。


「……〈家事全般〉の派生スキル、か。面白い冒険者もいたものだ」


 ドアが閉まった。


 冬馬の言葉が、頭の中で回っている。


 聞こえていたのか。——いや。もしかして、タブレットを見る前から知っていたのか。あの一秒の沈黙は、確認だったのか。


 答えは出なかった。


 大地が肩を叩いてきた。


「C級試験だってよ! 燃えるな!」


「……まずは情報集めないと」


「白鳥さん、C級試験の内容って知ってるか?」


 白鳥さんは答えなかった。窓の外を見ていた。冬馬が歩いていった方向。銀白の短髪が、もう見えなくなっている。


「……知っています。実技と筆記があります」


 振り向いた。目が——赤くなかった。泣いてはいない。でも、瞳の奥に、さっきまでなかった光があった。


「わたしが、教えます」


 (——白鳥さんの声だ。震えてない。さっきの「わかりました」と同じ声だ)


 窓の外、午後の光が差し込んでいた。冬馬の気配は、もうどこにもなかった。

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