第12話 針と糸と鎧の応急処置
ギルドの掲示板に、赤い紙が貼ってあった。
緊急通知。〈古代遺跡〉浅層偵察依頼。C級ダンジョン決壊リスク数値先週比1.3倍上昇につき、D級以上を対象に浅層偵察チームを募集——
「説明します」
カウンターの向こう、九条さんがタブレットを持ったまま立っていた。いつもの紺のスーツ。表情はそのまま、声だけで淡々と続ける。
「C級ダンジョン〈古代遺跡〉の決壊リスク数値が上昇しています。ダンジョンランク的にはD級相当のフロアのみへの立ち入りが許可された偵察依頼です。C級エリアへの侵入は絶対に禁止です」
「C級ダンジョンか。オレら入っていいのか?」
大地が腕を組んだ。
「浅層のみです。あなた方には問題ない区域ですが——」九条さんが一拍置いた。「立ち入り禁止区域への侵入は厳禁です。2回目は言いません」
報酬欄に目が行った。D級案件にしては高い。昨日のゲートの揺れを思い出した。崩壊リスクの割り増しだろう。
「……受けませんか」
白鳥さんが言った。短く。
「受ける」大地が即答した。「報酬もいいしな」
(珍しい。白鳥さんのほうから言い出すのは。昨日、あのゲートの前で足を止めたときの顔が頭にある)
「俺も」
白鳥さんが依頼票を受け取った。
手が——止まった。
一瞬だけ。指先が依頼票の端を持ったまま、動かなかった。〈古代遺跡〉という4文字で止まっているように見えた。
(自分で言い出しておいて——昨日と同じ顔だ)
でも聞かなかった。
「……行きましょう」
白鳥さんが先に歩き出した。リュックを担ぎ直す。鉄板が底でカチャリと鳴った——今日は持ってきていない。偵察依頼だ。片道2〜3時間で戻れる。
◇◇◇
〈古代遺跡〉のゲートをくぐった。
空気が変わった。
E級ダンジョンの土臭さとも、翡翠の洞窟の湿った緑の匂いとも違う。古い石の、乾いた重さ。埃の中に微かな金属の匂いが混じっている。松明の代わりに壁面の紋様が淡い黄色の光を帯びていた。
石の床。倒れた柱。壁に走る亀裂——崩落の痕跡があちこちにある。天井が低い。足元に砂が積もっている。ここが遺跡型かどうかより前に、ダンジョンの疲弊がそのまま出ている。
「裁縫だけ最初★1で低くて、一番遅れてたんだよな」
移動しながら、ポーチから針と糸を取り出した。大地の革鎧の袖口のほつれが昨日から気になっていた。
「……いつから縫ってるんですか」
白鳥さんが横目でこっちを見た。
「ダンジョン入るたびに少しずつ。大地の鎧のほつれとか直してたら★が上がってきた」
「歩きながら縫うな。針が刺さったら怖いだろ」
「足元は見てる。縫い目に集中させてくれ」
「……ほつれ直してるだけだと思ってました」
「俺も最初はそう思ってた。でも次で★3になる気がする」
〈家事全般〉の5分野。料理は覚醒した。掃除も。洗濯も。残ったのは裁縫だけだ。手の感覚が——前と変わっている。針を通すたびに、糸と布の抵抗が少しずつ滑らかになる。何かが積み上がっている感触はある。
最後の1針。玉留めをして糸を切る。完成。
「縫い目、ちゃんとしてる」
大地が袖口を見下ろした。
「まあな」
(手の感触が——変わった気がする。縫い目に針を通すたびに、糸と布の抵抗が少しずつ滑らかになっていた。何かが積み上がっている感触。次でくる気がする。でも確信はなかった)
3人とも黙ったまま、石の回廊を進んだ。足音だけが短く反響する。
第2回廊に入ったところで、石壁の影からリザードマンが現れた。
3体。
E級のゴブリンとは動きの質が違う。爪のリーチが長い。膝が低く、踏み込みが速い。
「行くぞ。2体オレが引きつける」
大地が盾を構えた。〈剛体〉。皮膚が鈍い光を帯びる。
1体目が爪を振るった。盾の縁で受けて半歩滑る。2体目が逆側から回り込もうとした。大地が盾の角を向けて突き出す。動きを止める。
白鳥さんが杖を水平に構えた。
「〈氷槍〉」
3体目の足に氷の槍が突き刺さる。石畳に縫い付けられる。動きが止まった。
ポーチからSTR+20%のおにぎりを取り出した。大地に投げる。
「大地、左!」
「おう!」
バフが体に回った瞬間、大地の押し込みが一段強くなる。1体目がよろめく——盾撃が入った。壁にぶつかって魔石に変わる。
2体目を白鳥さんが追加の〈氷槍〉で止めた。大地が盾で押し込む。
次の回復ポーションの確認をしていた——残量は十分だ、大地がもう一押しすれば——
残り1体——足を縫い留められたリザードマンが、無理に体勢を立て直した。
重心が前に倒れる。爪が——大地の腹に入った。
「くっ——!」
革鎧の胸当てに走る亀裂。縫製が裂けて、芯材が露出する。白鳥さんの〈氷壁〉が間に入って距離を稼いだ。リザードマンの動きが一瞬止まる。
大地が傷口を押さえた。
「……浅い。皮一枚。大丈夫だ」
「鎧は」
「こっちは——終わったな」
胸当ての亀裂が深い。芯材が半分飛び出ている。
「修理屋に持ってくと1週間はかかるな」
「費用は」
「3万くらい。D級の報酬4本分か」
3万。1週間。
視線が自然に、倒した2体のリザードマンの残骸に向いた。
鱗が分厚い。光を受けてぬらりと光っている。素材として——
(1週間で3万。……いや、待て)
ポーチから裁縫道具を取り出した。
「今度は何する気だよ」
「縫ってみる」
「縫えるの!?」
白鳥さんが最後のリザードマンを〈氷槍〉で牽制しながら横目で見ていた。眉が少し上がっている。「水瀬さん、今——」と言いかけて、言葉が止まった。
「やってみてから言う」
大地の鎧の前で膝をついた。
亀裂の端を指でなぞる。布地が裂けて、芯材の繊維がほつれている。間に合わせじゃ駄目だ。大地が前衛を張れる強度が必要だ——ちゃんと直さないと。
針を通した。
「動くな。縫い目がずれる」
「わかった。でも早くしろよ、リザードまだ1体いるぞ!」
「白鳥さんが止めてる」
「……なんの戦場ですか、ここ」
白鳥さんの声が遠くから聞こえた。氷の壁越しに、牽制の槍をもう1本飛ばす音がする。
手の感触が——変わった気がした。
縫い目に針を通すたびに、布地の繊維の流れが指先に伝わってくる。どこに糸を通せばいい、どこに力を入れれば布が安定する。考えているわけじゃない。手が——知っている。
〈家事全般〉のウィンドウが視界の端でぼんやり光った気がした。
(——来る)
針を押し込む。
音が聞こえた気がした。何かが弾けるような、内側から膨らむような。
スキルウィンドウが視界に重なった。
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【スキル更新】
〈家事全般〉Lv.1
├ 料理 ★★★☆☆
├ 掃除 ★★★☆☆
├ 洗濯 ★★★☆☆
├ 裁縫 ★★★☆☆ ← 熟練度上昇
└ 整理整頓 ★★☆☆☆
【派生スキル解放】
〈縫錬〉 Lv.1
"素材に触れると繊維の構造と弱点が見える。縫い合わせることで装備を生成・修復・強化する"
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(……出た)
手が止まらなかった。ウィンドウを確認しながら、針は動き続けている。
視線がリザードマンの残骸に向いた。鱗。分厚い。硬い。素材として使えそうだ——という直感より先に、手が動いていた。鱗を1枚剥がす。裂けた布地の内側に当てて、縫い込む。
〈縫錬〉が起動した感触があった。鱗の素材の抵抗感が手のひらに広がる。布地と噛み合わせる。糸を引く。
ゆっくり、鱗が布地に沈んでいった。
溶け込む、というより——馴染んだ。鱗の硬さが革鎧の織り目に入り込んで、布地の一部になった。触ってみる。継ぎ目が消えている。修復した箇所が——前と質感が違う。
「……おい」
大地の声が低くなった。
「鎧、光ってるぞ?」
鎧の修復部分に、薄い光の膜が走っていた。〈縫錬〉のエフェクトだ。
ステータスウィンドウを呼び出して大地の防御値を——見えなかった。他人のステータスは見えない。でも、この鎧の強度は手で触ればわかる。
「どうだ。前と比べて」
大地が胸を叩いた。1度、2度。腕を回す。肩を動かす。
「……軽い。前より軽い気がする。でも——硬い?」
「鱗を縫い込んだ。防御が上がってる」
大地が3秒黙った。
「……できたのかよ」
「できた。しかも——強くなってる」
「なんで!?」
(俺が一番驚いてる)
最後のリザードマンが白鳥さんの追加の〈氷槍〉で動きを止めたところに、大地が走り込んだ。盾で押しつぶす。魔石が転がった。
3体、これで全部だ。
◇◇◇
偵察を完了して、出口に向かって引き返した。
大地は歩きながら胸当てを触り続けていた。叩いたり、ひっぱったり、腕を回したり。
「普通に動けるわ。というか——動きやすくね? 前より」
「鱗が重さを補強してる。芯材が強化されてる分、見た目より丈夫になってる」
「修理屋より良くなってるじゃないか」
「材料費ゼロだけどな」
大地がなんか言いかけて、止まった。「……悠斗、お前やっぱちょっとおかしいよ」
「今更だろ」
ゲートが近づいてくる。出口の光が石の通路の奥にぼんやり見えていた。
〈縫錬〉のウィンドウをもう一度確認する。発動条件。素材の縫い込み。修復の仕組みを整理していた。
足音が近づいてきた。
ひっそりと、静かな足音。白鳥さんだ。大地みたいにどかどか歩かない。
少しだけためらう間があった。
立ち止まる。
「……あの」
小声だった。
振り向いた。白鳥さんが両手を前で重ねて、視線をほんの少しだけ下に向けていた。
「わたしの装備も、お願いできますか」
「どこか傷んでるか」
「氷結の杖の柄が——最近少し緩くて。戦闘中にぶれることがあって」
手を出した。白鳥さんが杖を両手で持って、柄の部分を前に向けた。受け取る。
金属の軸に木材の柄が接合されている。指でなぞった。
——何かが、見えた。
「見える」という感覚が近い。繊維の流れが手のひらに伝わってくる。木材の密度。金属との接合部。力が逃げている場所——締めれば良い、というより、ここの繊維を補強すれば根本から安定する。
(——これは装備だけじゃない。もしかして)
針と糸を取り出した。柄の接合部を、補強するように縫い留めていく。素材の繊維に合わせて角度を変えながら、数針。
完成した。
白鳥さんに返す。受け取って、両手で持ち直す。片手に持ち替えて、軽く振る。
白鳥さんの目が少し動いた。アイスブルーの瞳が、杖を確かめるように細くなる。
「……ぶれない」
「縫い込んだだけだけど、繊維が安定した」
「……ありがとうございます」
声がとても静かだった。
白鳥さんが杖を背負い直した。銀髪が、ゆっくり揺れる。そのまま出口の光に向かって歩き始める。
ゲートを出る直前、視線が自然に動いた。倒したリザードマンの残骸。鱗の光が、通路の奥でまだ鈍く輝いている。
大地の鎧に縫い込んだとき——構造が見えた。布地の繊維、鱗の密度、接合部の弱点。白鳥さんの杖でも、木材の繊維が手のひらに伝わってくる。
装備だけじゃない。素材の構造が——見える。
リザードマンの残骸を見た。鱗の下の構造。モンスターの体にも、見える気がした。
ゲートをくぐる。午後の光が眩しかった。




