27.後日談②
「エヴァパパ、なんか機嫌良さそうだったじゃない。和解したの?」
「してないよ」
――けれど。氷点下に閉ざされていた氷の一端が、少し溶け始めたような気はした。
「私は主治医と少しお話してまいりますね」
部屋の外に控えていた護衛を連れて、レティシアもまた部屋を後にした。
「すぐに退院できるし、お見舞いなんて来なくても良かったのに」
「どうせ一日中パパの小言聞かされてたんでしょ? 助け舟を出しにきてあげたんだけど、少し遅かっ――ちょっとノア! 渡す前にお見舞いのお菓子を食べる馬鹿がどこにいるのよ!?」
「ここにいる」
ノアは悪びれる様子もなく、シオンが丁寧に包んでくれた包装紙をびりびりに破いて、フィナンシェに齧り付いた。
笑ってそれを眺めていたエヴァンだったが、ふと思い出したように口を開く。
「ニンジャの様子はどう? あれから会えた?」
「あれでも一応凶悪犯だから、鉄格子付きの病室に入れられていて会えないの。でも命に別状はないし、回復に向かっているそうよ」
「それなら良かった」
エヴァンはひとまず胸を撫で下ろした。自分の命の恩人でもあるので、万が一のことがあれば寝覚めが悪い。
「クラウゼン教授とアーロンとかいう学生は軽傷。二人ともノアに近づくために利用されただけだったみたい」
クラウゼンにいたっては、まんまと騙されていたことを恥じ、深くノアに謝罪をした。同じく利用されていたポポロは、自分は悪くないと開き直りながらも、今のところノアへの熱烈な態度は影を潜めている。
「ティア様の様子は?」
「ティア様? 別にいつもと変わらな――」
「元気がない」
ルルの言葉を遮って、ノアが答えた。
「お前が怪我したことを、自分のせいだと思い込んでいるんだろうな」
「え? そうなの?」
「やっぱり……」
エヴァンは苦笑いを浮かべてため息を吐いた。
「お前がヘナチョコだから悪いんだ。あんな唯一のアイデンティティを捨てた奴なんかにやられやがって」
「その元ちょび髭に先にやられたのはどこの誰だよ……」
「このフィナンシェ美味いぞ。食うか?」
再度深く息を吐いたエヴァンの脳裏に、自分は本来いるべき場所へ帰った方が良いのではないかと漏らしたレティシアの言葉が過った。見かけによらず、思い立ったら大胆な行動に出る王女に、エヴァンは一抹の不安を抱く。
そんな彼の憂慮などいざ知らず、ルルは明るい顔を浮かべた。
「それじゃあ元気を取り戻してもらうためにも、今度のティア様のお誕生日はいっぱいお祝いしてあげないとね」
⭐︎
――三週間後。
夜明けとともにアストリアムを発ったノアたちを乗せていたのは、王家の紋章を金で縁取った豪奢な馬車だった。民間の乗合馬車であれば五日を要する道程を、王室で育てられた立派な馬は堂々と駆け抜け、わずか三日の後、夕暮れに染まる王都バルドレインへと滑り込んだ。
馬車の扉が開くと同時に、待ち構えていた使用人たちがどっと押し寄せ、あっという間にノアたちはレティシアの傍から引き離されていく。流れに巻かれるようにそれぞれの部屋へと運ばれたルルは、息つく暇も与えられぬまま浴室へと連れて行かれた。
目の前で繰り広げられる慌ただしい光景に呆然としているうちに、気づけば、見覚えのない華やかなドレスがその身を包んでいた。
「わぉ……私じゃないみたい……」
全身を映す鏡の前に立ち、くるくると回ってみる。エメラルドグリーンのドレスがルルの赤毛によく映え、髪に散りばめた宝石がキラキラと輝いた。
食べこぼして汚してしまったらどうしようと震えていると、使用人に連れられてエヴァンとノアが姿を現した。
「二人とも似合ってるじゃない。男前よ」
彼らもまた、用意されたタキシードをその身に纏っていた。髪もきちんとセットされ、いつも身だしなみに無頓着なノアにいたっては、まるで別人のようである。
ノアは気怠げな顔でソファに腰を下ろし、エヴァンは何やら顔を強張らせたまま立ち尽くしていた。
温かいお茶を用意していた使用人が、三人を見て微笑ましそうに目を細める。
「美しく着飾ったレディに、殿方からは一言の感想もないんですか?」
「あ……いや……」
わずかに頬を染めたエヴァンは、それをルルに悟られまいと慌てて顔を逸らした。ノアは面倒くさそうに顔を上げ、ルルをじっと眺める。
「……羽化した――」
「やめて。せっかくオシャレしていい気分なんだから、虫に例えないで」
ぴしゃりと止められて、ノアは半眼で沈黙した。
「ほら、エヴァン。褒めなさいよ。あんたはそういうの、得意でしょ?」
「得意って何だよ……」
困った顔で頬を掻く。
「……高校の卒業パーティーの時より、いいんじゃない」
ルルが相手では、誰にも見せたくないくらい綺麗だなんて本音は、口が裂けても言えない。それでもルルは満足だったようで、にっこりと笑顔を浮かべた。
「ここまで来ておいて今更だけど、本当に私たちなんかが参加してもいいパーティーなのかしら」
「レティシア様が直接ご招待なさったのですから、当然でございます」
温和な声音で使用人が答えた。
「王様や王妃様もいらっしゃるのよね?」
「はい。それから第一王女リュミエール様と第三王女ルチア様も。レティシア様の亡きお母上の兄君であらせられるオルティアス卿に、従兄弟にあたる――」
「ごめんなさい、聞くと胃が痛くなりそうだからそれ以上はやめて……」
レティシアは身内だけのこぢんまりとした席だと言っていたが、ルルにとってはどれも雲の上の人たちばかりである。
「レティシア王女を救い出した勇者様に会えるとあって、皆様大層楽しみになさっているそうですよ」
「今日は勇者じゃなくて、ティア様の友達として来たんだけどねぇ……」
それから暫くして、会場の準備が整ったと報せに来た侍女の後に続いて、三人は部屋を移動した。




