28.誕生日パーティー
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レティシアはバルコニーに立ち、眼下に広がるバルドレインの街並みを見下ろしていた。
すっかり夜の闇に包まれた街には、そこに息づく人々の明かりが無数に灯り、まるで星空を地に映したようだ。背後のホールからは、楽団が奏でる優美な旋律と、親族たちの賑やかな笑い声が漂ってくる。
「疲れたのか?」
ふいに声を掛けられて、レティシアは細い肩をびくりと揺らした。
「ノア様。少しワインを飲み過ぎたので、涼んでいたところです」
「俺もだ」
ノアはレティシアの隣に立ち、夜景を見下ろした。
「楽しんでいただけていますか?」
「名前のわからない妙な料理ばかりだが、味は悪くない」
「ルル様とエヴァン様は……?」
「ルルはガチガチに緊張していたくせに、今はお前の妹と楽しそうにしている。エヴァンは姉ちゃんの方と小難しい話に夢中だ」
レティシアは、いつもとは違う装いのノアにちらりと視線を向けた。普段の姿も十分に素敵なのだが、正装に身を包んだ姿には男らしさと色気が漂い、レティシアはとても直視できなかった。
ノアの身支度を整えた侍女には、後で褒美を取らせようと考えていると、隣でノアが小さく動いた。
「綺麗だな」
「はい。私も今、まるで街の明かりが星空のようだと――」
「いや、お前が」
思わず顔を向けると、ノアの赤い瞳がレティシアの姿を静かに映し出していた。
「え? あ、は、その……」
「お前のところのメイドが、着飾った女は褒めろと言っていた」
「あ……」
そういうことかと、少しがっかりする。それでも、滅多に褒め言葉をくれないノアの言葉は、お世辞だとしても嬉しい。
ノアは何も言わず、レティシアをじっと観察するように眺めていた。
「私の顔に何か……?」
「これ、やる」
ノアは無造作にポケットから取り出したものを、レティシアの前に差し出した。
「これは……」
赤いリボンのついた、小さな白い袋だった。あの日、うわ言のように口にしていた、レティシアへの誕生日プレゼントだ。
「開けてもよろしいですか?」
ノアは片手に持ったままのゴブレットを傾け、ワインを喉に流し込みながら頷く。
「高価な物は期待するなよ」
袋の中から出てきたのは、てんとう虫だった。もちろん本物ではなく、真っ赤なガラスで細工された一品だ。金色の華奢な鎖に繋がれたそれは、ブレスレットだった。
「とっても可愛いです……っ! ありがとうございます! 今、着けてもよろしいでしょうか」
「それを選ぶのに、シオンの手を借りた。ルルは趣味が悪いし、エヴァンはチャラい。お前が気に入りそうなものを選ぶなら、シオンが適任だと思ったんだ」
「あの時のお買い物は、このためだったのですね」
「気に入らなければ、捨てていい」
酔いが回っているのか、ノアはいつもより饒舌だ。
「俺らしい物にした方がいいと言われて、虫がモチーフのものにした。俺は白か水色のものにしようとしたんだが、シオンが絶対に赤がいいと言い張るから……」
レティシアは、手首で光る真っ赤なてんとう虫を、指先で愛おしそうに撫でた。
「さすがシオン様です。私の好きな色まで、ご存じなのですね」
深い赤。それは、ノアの瞳と同じ色だ。
「お前が赤色が好きだとは思わなかった」
「そうですか?」
ノアは、どこか拗ねた子供のような顔で続ける。
「お前は白か水色の服を着ていることが多いし、持ち物も白やピンクばかりだ。一週間ごとに色を変える、お前の不思議な爪も」
レティシアは驚いたように目を見開いた。
「し……白と水色は、赤色の次に好きな色です。ノア様がそこまで見てくださっていたとは、少し驚きました」
するとノアは、気を良くしたように口角を上げた。
「他にも知っている。お前は犬よりも猫が好きだろ。イチゴのショートケーキを食べる時は、上に乗っているイチゴを最後まで残しておく。好きなものは後に取っておくタイプだ。それから、困った時には手を胸元に持ってくる癖がある」
「な……え……?」
困惑と同時に、レティシアの頬が一気に熱を帯びていく。犬より猫が好きだという話を、ノアにしたことがあっただろうか。
小さく笑ったノアの指先が、ピンクに染まったレティシアの頬にそっと触れた。
「それにお前の顔は、すぐに赤くなる」
「ノ、ノノノア様!? よ、酔っていらっしゃいますか!?」
「うん」
やけにあっさりと頷いて、またワインを傾ける。
レティシアが二の句を継げずにいると、ノアは何かを思い出したような顔を彼女に向けた。
「お前、俺が女と二人で出かけるのは嫌か?」
「へ……? あ、い、いえ! 嫌だとかそんな、おこがましい気持ちは一切ありません! 結果的にシオン様は男性でしたし、仮に私の知らない女性の方であったとしても……」
必死に言葉を並べながら、その光景を想像して胸がちくりと痛んだ。
「……それはただ、羨ましいと申しますか……私の醜い、嫉妬で……」
「わかった。お前には男に近づくなと言っているのだから、俺もお前が嫌なことはしない。まぁ、ルル以外に女の知り合いもいないけどな」
きっと彼のことだから、深い意味はないはずだ。幼い子供の約束のような、ただそれだけの言葉であるはず。
レティシアは深読みしてしまいそうな頭を軽く振った。それでも高鳴る鼓動を抑えつけ、今なら訊けるかもしれないと勇気を振り絞って口を開く。
「あの……ノア様のお部屋に……『禁断の恋』という本があったのをお見かけしたのですが……」
「禁断の……?」
ノアはゴブレットと一緒に持ってきたボトルからワインを注ぎ足しながら記憶を探った。
「ああ、アレか。それが?」
「な、なぜノア様があの本を……? その、ノア様がお好みになるような本ではないと思いまして」
「お前が以前、顔を赤くしながら読んでいたから、どれだけ卑猥な本なのかと興味を持っただけだ」
「ひわ……!?」
ノアは意地の悪い笑みを浮かべてみせる。
「わ……私をからかっていらっしゃいますね!?」
上機嫌に笑うノアを見ていると、レティシアの胸の奥底がぎゅっと締め付けられた。
このパーティーが終われば、レティシアは大学には戻らないつもりだ。今夜のうちに父と姉と話をして、スピナ国と直接対話ができる機会を設けてもらおうと考えている。
ナダルはまだ何も話さない。しかし、スピナ国からの交換留学生という立場で大学に潜入していたことを考えれば、スピナ国側に権力を持った誰かがいると考えて間違いないだろう。それがフェリクスなのであれば、一度話がしたい。元の鞘に収まることでノアたちに二度と危害を加えないと約束してくれれば、それでいいと覚悟を決めていた。
「それでノア様は、最後まであの本を読まれたのですか?」
今はこの時間を楽しみたい。レティシアは沈む気持ちを奥底にしまい込み、笑顔を浮かべた。
「読んだが、さっぱり意味がわからなかった」
「ガブリエルとソフィアの身分違いの恋の物語ですわ。愛し合う二人の間に様々な障害が起こり、しがらみに苦悩しながら、最後はお互いを想い合いながらも悲恋を迎えるという……」
「全然わからん」
ノアはまたワインを注ごうとしたが、ボトルは既に空だった。
「お互い愛し合っているなら、それでいいだろう。周りがとやかく言う必要もないし、聞き流せばいい」
「それぞれの身分や立場もありますし……」
「そんなもの、何の腹の足しにもならんな」
レティシアは困惑する。自分自身が身分のある立場だからこそ、あの本に共感してしまっただけなのだろうか。
「誰も幸せにならない結末は、好きじゃない。自己犠牲も嫌いだ」
「あ……」
ノアの瞳が、真っ直ぐにレティシアを見つめた。心の内を見透かされているような気がして、レティシアは思わず顔を逸らす。
「好きなように振る舞えば、他の方に迷惑がかかるやもしれません……」
「一緒に解決すればいいだろ」
ノアの言葉が胸に刺さる。自分は今、上手く笑えているだろうか。
「では……ソフィアはあれこれ悩まずに、彼の側にいて良かったのですか?」
「当たり前だ」
ノアは短く答えた。
冷たい夜風が二人の間を吹き抜け、レティシアの長い髪を揺らす。ノアの指先が、その細い髪にそっと触れた。
「好きなら、どこにも行かなくていい」
「ノア様……」
ノアとレティシアの視線が交わり合った、その時。
「ティアお姉様ぁぁぁ!」
賑やかな声が二人の間に割り込んできた。
「ノア様! 今日の主役を独り占めしないでくださいませ! それとも何ですか? やっぱり優しくて美しいティアお姉様と結婚したくなりましたか? だったら泣いて縋って前言を撤回してくださいませ!」
早口で捲し立ててノアを睨み上げるのは、レティシアの妹ルチアだ。ノアは呆れた顔で頭を掻くと、ゴブレットを持ったままフラフラとホールへ戻って行った。
「お姉様? どうかされましたか? お顔がとんでもなく真っ赤ですわよ?」
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――翌日。
「はい、ティア様。昨日はバタバタしてて渡せなかったけど、これ私からの誕生日プレゼント」
馬車が揺れる中、屈託のない笑顔のルルが、小さな包み紙をレティシアに差し出した。
「ピンキードクロちゃんっていう、私のお気に入りのキャラクターのバッグチャームよ。王女様には相応しくないかもしれないけど、私と色違いのお揃いなの」
「ルル様とお揃いですか!? 嬉しいです!」
包み紙の中から出てきたのは、デフォルメされたドクロのキャラクターだった。黒とショッキングピンクの配色は毒々しくも、どこか愛嬌のある一品だ。
「これは僕から。今、女の子たちの間で流行ってる万年筆だよ」
エヴァンが手渡したのは、上品なラメがきらめくピンクの万年筆。ペン先がハート型になっていて、一部の女学生の間ではこれを持っていることがちょっとしたステータスになっているらしい。
「とても可愛い万年筆ですわ! これでお手紙を書くのが楽しみになりそうです」
レティシアは二人からのプレゼントをそっと胸に抱き締め、嬉しさを噛み締めるように微笑んだ。
「お二人とも、ありがとうございます。生涯大切にいたします!」
「生涯って、大袈裟ね」
ルルは照れた顔を隠すように、窓の外へ視線を逸らした。賑やかなバルドレインの街並みが、ゆっくりと後方へ流れていく。
結局レティシアは、バルドレインに残らなかった。一晩中ノアの言葉が頭の中を巡り、身悶え、一睡もできずに朝を迎えていた。
「それにしても、ティア様だけでももう少しお城に滞在しても良かったんじゃない? 王様、すごく寂しそうだったわよ」
「今日発たなければ、休み明けの講義に間に合いませんので。それに、近いうちにまた戻ることになると思います」
レティシアがそう言うと、彼女の膝を枕にして座席に横たわっていたノアが、静かに目を開けた。
「フェリクス王子と直接お話しする機会を設けていただけるよう、お父様にお願いいたしました。今回の件、ナダルが口を割らない以上、フェリクス王子はシラを切り通すと思います」
「直接対話するなんて、危険じゃない?」
ルルが心配そうに顔を曇らせた。
「非公式な会合になりますが、そんな場で何かを仕掛けてくるほど愚かではないと思います。けれど――」
レティシアは一度言葉を切り、ルル、エヴァン、そして膝の上からこちらを見上げているノアへと視線を向けた。
「もしも、私一人ではどうにもならない時は……助けていただけないでしょうか?」
ルルは思わずエヴァンと顔を見合わせた。それからぱっと明るい笑顔を向ける。
「友達が困っていたら、助けるに決まってるじゃない!」
「また新しい暗殺者を送り込んできたら、次こそは僕がボコボコにしてあげるよ」
「ルル様、エヴァン様……」
レティシアがノアを見ると、ノアは小さく頷き、また静かに目を閉じた。
「ちょっとノア! あんた、いつまで膝枕してもらってるのよ。目の前でイチャつかないでくれる?」
「大声を出すな。頭に響く」
ノアは眉間に皺を寄せ、ルルたちに背を向けた。
「ノアが二日酔いだなんて、初めてだよね? そんなに飲んだの?」
「うるさい」
エヴァンの言葉にも、ノアは不機嫌そうに言い放った。その言い方にカチンときたエヴァンは、すっと目を細め、口元に小さな笑みを浮かべる。
「ところでノア? ナダルと戦っていた時、あいつの魔法剣に手を押し当てて自分の魔力を解放したんだよね?」
「それがなんだ」
「なんでそんな方法、知ってたの?」
ノアはゆっくりと体を起こし、エヴァンを見た。エヴァンはニコニコと笑顔を浮かべたまま、ノアの返答を待っている。
「そう言えば、結局私もまだ何がどうなって魔力が解放されたのか聞いてないのよね。ティア様が何かしたんでしょ?」
「あ、あれは、その……エ、エヴァン様……?」
「僕、ティア様が何をしたのかも、どうやったら魔力が解放されるのかも、ノアに教えた覚えはないんだけど」
三人の視線がノアに集中する。ノアは目線を宙に彷徨わせた後、またぱたりとレティシアの膝に頭を預けた。
「ノア様? ノア様!? も、もしや私が何をしたのかご存知なのですか!?」
「……寝る」
「ノア様ー!? 起きてくださいませ!」
レティシアの悲痛な叫びを乗せて、馬車はアストリアムへ向けて走り続けた。
第三章で一旦完結です。




