25.魔王の息子
「くそ……っ! 油断した……」
口の中に広がる鉄の味を吐き出し、ナダルはようやく冷静さを取り戻す。ノアとの距離を取り、懐から短剣を取り出した。
ノアはまたしても、警戒する様子もなく近づいてくる。その異質さに一瞬肩を揺らしたナダルだったが、短剣を構えてノアに振り翳した。
その手首を、ノアが掴んで捻り上げる。
「っ!」
凄まじい力に顔を顰め、短剣を取り落とす。それが地面に落ちる前に、空いた方の手で柄を掴んだ。体を捻りながらノアの体へ突き立てようとするが、虫取り網がそれを阻んだ。
「そんな玩具で何ができるっ!」
剣を構え直し、重い一撃を叩き込む。ノアはシャフトでそれを受け止めたが、鋼の刃は深く黄金に食い込み、真っ二つに断ち斬った。
「獲物がなくなったな」
薄く笑ったナダルの顔から、すぐに笑みが消える。
ノアは二つに折れた網を一瞥することもなく投げ捨て、大きく足を踏み込んで拳を振り上げた。
「こいつ……っ!」
今度は寸前で躱し、間合いを取る。
ノアは一度もナダルから目を離さなかった。爛々と光るその紅い目に囚われると、深い奈落に落ちていくような感覚に襲われる。
(怯むな……! こいつはただ、殴ることしかできない!)
自分に言い聞かせ、剣を振るう。ノアはナダルの目を見据えたまま、それらを躱した。刃が皮膚を掠めて血が流れても、眉ひとつ動かさない。
ナダルに焦燥が募る。何故こんなにも焦っているのか、自分でもわからない。
「くそっ!」
上がり続ける心拍数を堪えて、ナダルは大きく間合いを詰めた。
(認めない……認めないっ!)
ナダルの手に、魔法剣が生まれた。その瞬間――
「これを待っていた」
低く呟いたと同時に、ノアが自らの手をナダルの魔法剣に押し当てた。
「な……っ」
「ノア!?」
絶句するナダルと、それを見ていたルルの悲鳴が重なる。
ノアが嗤う。
魔法剣に触れた手が、燃えるように熱い。しかし同時にそこから、深淵の闇を思わせるノアの魔力が溢れ出してきた。
「しまっ……!?」
慌ててナダルは飛び退る。ノアの体内に蓄積されていた膨大な魔力が、手に空いた穴から一気に流れ出していく。
地面に這いつくばったジュリアンは、火花を散らして天へと突き上がっていく闇を、恍惚とした表情で見上げた。
心臓を直接手で握りつぶされるような、死を彷彿とさせる恐怖。この抗えない恐怖こそが、ジュリアンの心を捉えて離さないのだ。
「ちぃ……っ!」
ナダルは渾身の力で震える手を制し、魔法剣を振り下ろした。しかし雷を宿したその剣は、ノアの魔力に触れると霞となって消え失せた。
(落ち着け……! 奴はまだ、魔力を形にはできないはずだ)
いくら膨大でも、魔力だけではどうにもならない。所々で弾ける火花は強制睡魔の力を持つが、それを躱すことは造作もない。
「ぅ……っ」
ノアは尚もナダルの目を見据えながら、自身の中にまだ眠る魔力に顕現を命じた。途端に身体中の血管が膨張するような感覚に襲われ、心臓に鋭い痛みが走る。
「ほら見ろ……呪薬の効果は続いている。残念だったな!」
胸を押さえたノアを見て、ナダルはようやく勝利を確信した。
(馬鹿な男だ。あのまま肉弾戦に持ち込めば、まだ勝機はあっただろうに)
笑みを浮かべたのも束の間、その顔が凍りつく。
「うぅぅ……っ! ああぁぁぁぁ!!」
胸を押さえて苦痛に堪えるノアの額が、ぼこんと盛り上がった。
「あ゛あぁぁぁっ!」
雄叫びを上げると同時に、その額に雄牛のような漆黒の角が二本生えた。
「なん……だ、それ……」
震える声を漏らすナダルを、ノアの妖しく揺らめく瞳が捉える。胸の痛みは、波が引いていくように鎮まっていった。
ノアは焼け爛れた手をゆっくりと前に翳し、抑揚のない声で唱える。
「アルティメット・暗黒無限剣」
ナダルの足元に影が落ちた。首を持ち上げて頭上を見ると、超巨大な漆黒の剣がナダルを目掛けて飛来してきた。
「は……!?」
こんな規格外の魔法剣、聞いたことがない。あれを打ち消すほどの魔力を、ナダルは持ち合わせていない。
逃げるしかない。全力で走れば範囲の外に間に合うかもしれない。
駆け出そうと足に力を入れた時、ノアはポケットに手を入れてその手に握ったものをナダルの足元にばら撒いた。
「いっ……!」
ジュリアンから貰ったマキビシだ。頭上に気を取られていたナダルは、鋭く尖った刃を力強く踏みつけてしまい、二歩目が出ない。
「嘘だろ……」
その言葉と、剣がナダルを貫いた――いや、押し潰したのはほぼ同時だった。
獲物を仕留めた剣はやがて霞となって消え、後には地面で悪夢に魘されて眠るナダルだけが残った。
「ノ……ノア……」
恐る恐る、ルルが呼ぶ。
「……必殺技の名前、さらにダサくなったわね」
その声がノアに届いたのかはわからない。ノアは二つに折れた虫取り網のグリップを拾い上げ、先端を回して槍の穂先を出した。それを手に、ナダルの元へ歩み寄る。
「ノアさん? 何をするつもりですか……?」
シオンの呟きに、ルルははっとして声を上げた。
「ノア、ダメよ!? やめて!」
しかしノアは、ナダルに馬乗りになって刃を振り上げる。誰もがそれがナダルの心臓に突き立てられたと思った、その時。
「ノア様ー!」
場違いなほど朗らかな、レティシアの声がした。ノアは刃を振り下ろす寸前で、動きを止めた。
「農場へ行ったらどなたもいらっしゃらなくて、どうしようかと思いましたわ。……あら? ノア様、その立派な角は一体……?」
護衛を引き連れて駆けてきたレティシアは、見慣れないノアの姿に首を傾げる。
「シオン様、ご無事で何より――エヴァン様!? ジュリアン!?」
状況を把握したレティシアは、護衛たちを負傷者の手当てに走らせる。地面で苦悶の表情を浮かべて眠りこけるナダルも、すぐさま拘束させた。
「ノア……?」
エヴァンの治療を引き継いだルルが、そっとノアの袖を引く。どこか呆然とした顔で立ち尽くしていたノアの目が、ルルを映した。
「ルル……エヴァンは?」
はっとして、ルルが指差す方向へ駆けていく。回復魔法を受けながら担架に乗せられたエヴァンは、目だけを動かしてノアを見上げた。
「その角……似合ってな――いったたたた……!」
込み上げた笑いが傷口に響き、エヴァンは笑いながら悶える。その様子に、ノアは安堵したように息を吐いた。
「それにしても……あんた、ソレどうすんの?」
ルルはノアの額から生えた『覚醒の魔王』と同じような角を指差した。ノアはそれに手で触れ、形や大きさを確かめる。
「クワガタみたいでカッコイイな!」
「いや、不便すぎるでしょ! 怖いし、ダサいし、目立ちすぎる!」
「大きい角は男のロマン――て……手が……手が! 爛れてる! わー! 痛い痛い痛い! 死ぬ、死んじゃう!」
重傷のジュリアンよりも大騒ぎを始めたその様子はいつものノアのままだったので、ルルはほっと胸を撫で下ろした。
ルルに回復魔法をかけて貰っていると、その脇を眠ったまま拘束されたナダルが連行されていくのが見えた。ノアは手を挙げて呼び止める。
「お前、ペンは持っているか」
「は、はい」
傍らにいた護衛が懐から黒いインクのペンを取り出し、ノアに渡した。それを持って、ノアはナダルの顔を覗き込む。
「どうかされましたか?」
その様子に気づいたレティシアがやって来てルルに尋ねたが、彼女も首を傾げてノアを見ていた。
「確か……こんな髭だったはず……髪型も違うな。オールバック……? いや、片目を隠していたか……」
ぶつぶつと呟きながらナダルの顔をこねくり回すノア。それでルルは、彼が雇われ魔王の顔を再現しようとしていることに気がついた。
「髭はもうちょっと長くなかったっけ?」
「こうか?」
ペンで髭を描き足されていくナダルを不思議そうに見ていたレティシアは、途中であっと小さく声を上げた。
「髪は真ん中で分けていたような気がいたします。このような感じで……」
髪を手で撫で付けてみると、確かにそれは二ヶ月間自分を薄暗い牢に閉じ込めていた男の顔になった。
「必ずやこの男を無事にバルドレインまで移送してください。今回の件、詳しく話を聞かなければなりません」
「はい!」
「俺の記憶では、額に『肉』と書いていた気がする。鼻毛も出ていた」
「ぶふっ……! ここのホクロから長い毛が一本生えてたわよ」
「こうだな。あとは、青ひげもこんな感じで……」
「あっはははっ! ついでに瞼に目玉も描いてやれば?」
「おい、ティア。お前も何か描いてやれ」
レティシアが臣下に指示を出す傍らで、ノアたちは執拗にナダルの顔にペンを走らせていたのだった。




