24.圧倒的に足りないもの
魔法の残渣が風に流れて消えた頃、何の感情も込められていない拍手の音が聞こえてきた。
「なるほど、高火力の魔法と鉄壁の防壁か。確かにそこいらの魔法学生とは桁が違う」
ナダルの声には、言葉とは裏腹に嘲笑が滲んでいた。
「でも、それだけだな。こいつらには圧倒的に足りないものがある」
「何――」
エヴァンがナダルを振り返った時には、すでにそこに彼の姿は無かった。どこに行ったのかと疑問が過ぎるのと同時に、横腹に熱の塊を感じた。
何が起きたのかがわからない。気づけば強い力に押され、地面に転がっていた。その衝撃で、熱を感じた箇所に言葉にならない激痛が走る。
「エヴァン!?」
ルルが悲鳴を上げて駆け寄った。
「うぅっ……!」
顔を歪めて脇腹を押さえると、熱くてどろりとした血がべったりとエヴァンの手を染めた。
「邪魔をするな、裏切り者」
「こいつらに何かあったら、俺の首が飛ぶって言っただろ」
目だけを動かすと、雷を帯びた魔法剣を構えたナダルと、風を纏わせた魔法剣でそれを受け止めたジュリアンが睨み合っていた。どうやらジュリアンのお陰で致命傷は免れたのだと、エヴァンは理解する。
「こいつらに足りないものは、経験値だ。魔物は倒したことがあっても、明確な殺意を持った人間を相手にした経験は浅い。そうだろう?」
「ったりめぇだろ! こいつらは何だかんだ言って、ただの学生だ!」
「ただの学生風情にコケにされて、挙句崇拝する。お前は自分が恥ずかしくないのか」
言葉と同時に剣を繰り出すナダル。しかし意識は、目の前のジュリアンではなく傍に蹲るエヴァンに向けられていた。
ノアの力を封じた今、一番厄介なのがエヴァンだった。何しろ彼は頭が回る。ブラッドデーモンの一瞬の躊躇いを見抜いたその観察眼は、敵ながら感心させられた。だからこそ、潰せる今のうちに潰しておきたい。
「シオン、ハンカチで傷口を強く押さえてて!」
「はい!」
白いレースのハンカチを当てた瞬間、エヴァンが喉の奥で悲鳴を上げて体を強張らせた。白いハンカチは、あっという間に真っ赤に染まった。
「こんなに深い傷……応急処置しかできないよ……!」
ルルは回復魔法を唱え始めた。
「お前もちょろちょろと鬱陶しい!」
ジュリアンのわずかな隙を見て、ナダルはルルへ雷の剣を一閃させた。蛇がうねるように、一条の稲妻がルルへと迸る。
ルルは回復魔法を中断し、防壁でそれを相殺させた。
「邪魔しないで」
これまで聞いたことのない低い声に、シオンは思わず肩を震わせた。ルルは激流のような怒りを瞳に湛えてナダルを睨みつけ、回復魔法を再開する。
ナダルの気がルルに向いたその時を、ジュリアンは好機と見た。魔法剣を握り直し、大きく振りかぶる。
「腕が鈍ったなぁ、負け犬」
ナダルが薄く笑った次の瞬間、ジュリアンの腹に強烈な衝撃波が叩き込まれた。
「……っ!」
息が詰まり、言葉が出ない。バキンと骨が砕ける音がした。
「氷の王女に首を飛ばされるか、俺に殺されるかの二択になったな」
「ぐっ……あ……!」
地面に伏したジュリアンの頭を踏みつけ、ナダルは冷えた目をルルに向ける。
「ルルさん……!」
「シオンは逃げて。誰か助けを――」
ルルが立ち上がろうとしたその時。
「こんの……っ、卑怯者!」
虫取り網を肩に担いだノアが、肩で息を切らしながら走ってきた。
「何が農場へ来いだ! 行ってもお前はいないし、警備員にいたずらはやめろと怒られるし、散々な目に遭ったぞ!」
「お前が通報するからだろうが……」
「どこの阿呆が丸腰でお前みたいな怖そうな奴と戦うんだ! 俺よりも警備員や魔法学部の講師連中の方が強いに決まっているだろうが! それでも俺と戦いたいなら、まずこの呪いを解け! それから十メートルは離れろ!」
「……」
ナダルは呆れた顔で後頭部を掻いた。ノアの無茶苦茶な問答に付き合う気はないらしい。
乱れた息を整えるノアの目に、地面に倒れて動かないジュリアンが映った。それからゆっくりと視線を動かし、同じように横たわるエヴァンを見つける。
「……エヴァン?」
ノアの動きが止まった。エヴァンの脇腹から流れた血溜まりに、ノアの視界がぐらりと揺れる。
「お前を始末した後、ちゃんと楽にしてやるよ」
「エヴァン」
ナダルの横を素通りし、ノアはエヴァンの元へ歩み寄る。
「ノア……あいつ、ティア様を閉じ込めていた雇われ魔王だった。死んでなかったんだって……」
「エヴァンは?」
「私は応急処置しかできない。早く病院に行かないと――」
「……」
ノアはナダルに向き直り、ゆっくりと近づいていった。
今のノアは魔法が使えない。使えば激しい苦痛を覚え、また昏倒するはずだ。あるのは頼りない黄金の虫取り網一本。純金は脆く、武器とも呼べない。ノアに対して、恐れるものなど何もない。
(――なのに、なんだ……!?)
金縛りにでも遭ったかのように、ナダルの体は動かなかった。
ノアの瞳――昏く、それでいて刺すような光を放つあの双眸から、目が離せない。背中を冷たい手で撫でられるようなこの感覚は、まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。そう思ったのと同時、ノアの拳がナダルの頬に叩き込まれた。
「ひっ……!」
悲鳴を上げたのはナダルではない。ルルだ。
「うそ……ノアが、人を殴った!?」
「え……? 今まで殴ったことなかったんですか!?」
ルルの言葉に、シオンが目を丸くする。
「魔法剣で人をブッ刺すのは見たことがあるけど、子供の頃でさえノアが誰かを殴るなんてなかったわ」
「剣で人をブッ刺す方が問題だとは思いますけど……」
ノアの魔法剣は相手を眠らせるだけで、物理的なダメージは与えない。
「あんなに怒ってるノア、初めて見る……」
回復魔法をかけながら、ルルは不安そうにノアの背中を見つめた。




