23.ブラッドデーモン②
「【風刃】!」
かまいたちのような風の刃が悪魔に向かって迸る。しかし悪魔は大きな手を体の前に翳し、向かってくる刃を片手で握りつぶした。
「【焔矢】!」
続いて炎を纏う矢が放たれる。そこで初めて、悪魔は大きく跳び上がって攻撃を躱した。
翼を広げて空中で静止した悪魔は、ギラギラとした目でエヴァンを見下ろしながら低い咆哮を上げた。地の底から這い上がってくるようなその声に応じるように、悪魔の眼前に赤黒い魔力を帯びた球が生まれる。
悪魔はその球を、渾身の力を込めてエヴァンに向けて叩き込んだ。
「うわ……っ!」
慌てて身を躱したものの、地面に激しく打ち付けられた球は消失しなかった。水面に落ちた雫が跳ねるように、一つの球が六つに弾ける。
「何これ!?」
六つの球は、それぞれが意思を持つかのようにエヴァン、ルル、そしてジュリアンに向かって飛びかかった。
咄嗟にルルは、自分とエヴァンに向かってきた球を防壁で防ぐ。
だが――
「また増えた!?」
「くそっ……!」
ジュリアンも短剣で球を斬ったが、やはり分裂した。
「ルル! 自分の身を守るのに集中して!」
エヴァンは叫びながら、自分に向かってきた球を風の魔法で撃ち落とす。が、攻撃を受けた球は分裂を繰り返すばかり。
「っ!」
球が腕を掠り、焼け付くような痛みが広がった。一つ一つの殺傷能力は低いが、全身に浴びれば致命傷になる。
「エヴァンさん!」
シオンがばたばたとナダルの腕の中で暴れた。
「農学部があの中に飛び込んで何ができる」
「この、卑怯者!」
「なんとでも言え。ほら、大事なオトモダチが一人減るぞ」
はっとしてシオンが顔を上げる。
ルルは自分の周りに防壁を張っていた。しかし、そこにぶつかる度に球は増殖し、今や無数の球に囲まれている。さらにそこへブラッドデーモンが、強靭な腕を何度も叩きつけていた。
「やだ、やめてよ! 防壁が壊れるじゃない!」
「ルル!」
エヴァンが援護に向かおうとするが、自分自身も球を避けるだけで精一杯だ。
「あちゃあ……鉄壁の防壁も、数には勝てないか」
どこか落胆したようにジュリアンが呟いた。
「見ろ、防壁にヒビが入った。もうダメだな」
ナダルが嗤う。
ブラッドデーモンの拳に潰されるのか、それとも無数の球に全身を焼かれるのか。その光景を網膜に焼き付けようと、目を大きく見開いた時――
「……いい加減にしろよ……」
低い声がした。野太い、男の声だ。ナダルは一瞬その声がどこから聞こえたのか理解できず、思わず頭上を見上げた。
その一瞬の隙に、シオンが予想外の力でナダルの拘束を振り解き、鳩尾に固い拳を叩き込む。
「か弱い女子を狙うんじゃねぇ、このボケカスがぁ!!!」
野太い男の声は、確かにシオンの口から発せられていた。
シオンはすぐ近くの焼却炉から火かき棒を拾い上げると、雄叫びを上げながらブラッドデーモンへ突進する。
「農学部を舐めんなぁぁ!!」
これまでの淑やかな姿はそこにはなく、怒りで血走った目でブラッドデーモンを火かき棒でぶん殴った。
「シ……シオン……?」
あまりの変貌ぶりに、間近でそれを見ているルルが乾いた声を漏らす。その声にシオンは我に返った。
「や、やだ……私ったら――」
「シオン! 逃げろ!」
恥じらいを取り戻しかけたシオンに、エヴァンが叫ぶ。ブラッドデーモンはシオンから火かき棒を奪い取ると、細い木の枝のように容易く折り曲げた。
「ひぃっ……!」
震える膝で踵を返し、シオンは焼却炉の方へ逃げる。稼働中の炉の周辺は焼けるような熱を帯び、長い煙突の先からは灰色の煙が空へと立ち上っていた。
耳をつんざく咆哮でシオンを追い詰めたブラッドデーモンの動きが、ぴたりと止まる。その一瞬の静止を、エヴァンは見逃さなかった。
「【火球】!」
燃え盛る火の球がブラッドデーモンへと飛来する。悪魔は再び蝙蝠の翼を広げ、空へと逃げた。
エヴァンはシオンに駆け寄りながら、近くで跳ねた球に炎を放つ。すると球は分裂することなく、白い煙を上げて消えた。
「ニンジャ! こいつ、火が弱点だ!」
「よしきた! 【炎神の息吹】!」
ジュリアンの両手が青白い炎を纏う。その手を分裂した球たちに翳していくと、泡が弾けるように面白いほど消えていった。
「シオン、大丈夫?」
「は、はい! ありがとうございます」
潤んだ瞳で見上げてくるその可憐な姿を、エヴァンは疑わしげに見下ろした。
「……男……なの?」
「女だと言った覚えはありませんけど」
それはそうだが、今は問答をしている場合ではない。エヴァンはシオンの手を引いて、ルルのもとへ移動する。あの分裂する球はもういない。
「ルル。念のため、巻き添えを食わないように気をつけて」
ルルは小さく頷いて、シオンを含めて新たに防壁を展開した。そこにちゃっかりジュリアンも入り込む。
エヴァンは素早く複雑な魔法式を唱え始めた。
「来るぞ……!」
防壁越しにも感じるビリビリとした魔力の高まりに、ジュリアンの目が期待に満ちる。ノアの圧倒的な闇の魔力はもちろんのこと、かつてエヴァンが放ったこの魔法もジュリアンの脳裏に深く刻まれていた。
「――【煉獄焔舞】!」
エヴァンの声に応え、竜を思わせる巨大な蒼い焔が出現した。それは天に向かって大きく顎門を開いたかと思えば、あっという間にブラッドデーモンを一飲みにした。




