22.ブラッドデーモン
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「ここまで頭がイカれた奴だとは思わなかったな……」
シオンを抱えたまま、ナダルは誰に言うでもなく呟いた。
農場を目前にした時、大学構内にアナウンスが流れたのだ。魔法学部三年ナダルが人質を取って農場へ立て籠っている、と。何度も大音量で繰り返されるアナウンスに、構内の警備員や魔法学部の講師たち、或いは純粋な野次馬たちが農場へと集まり始めていた。恐らくこの後、通報を受けた街の警察もやって来て大騒ぎになるだろう。
「つ……通報するなとは言わなかったんですから、普通は通報するでしょう」
担がれたままのシオンの声は震えている。
人質を優先して単身で追いかけてくると踏んでいたナダルは、ぴったりと後ろからついてくるジュリアンを一瞥してから、行き先を変えた。
「諦めが悪いねぇ」
「言っておくが、『勇者一行』の始末を終えたら次はお前だ、裏切り者」
ナダルは冷めた目で元同僚を見る。ジュリアンは黒い布の下で小さく笑った。
「あいつの力を間近で見れば、どれだけ自分が小さいかを思い知る。俺たちが束になってかかっても、あの男には勝てねぇよ」
ジュリアンはあの日の光景を思い出し、身震いした。圧倒的な魔力の差。絶望感――しかしそれは牢獄の中で過ごしているうちに、確かな畏敬の念に変わっていった。
「あとの二人も普通じゃない。片や笑顔でばんばん高火力魔法を撃ち出すわ、片や鉄壁の防御力。あいつらには関わらない方が身の為だ」
「それであっさり捕まって、今やバルドレインの犬か」
「新しい飼い主は、俺が少しでも意にそぐわないようなら問答無用で首をふっ飛ばす、Sっ気たっぷりの王女様だ。悪くねぇだろ?」
ジュリアンの首には、厳重な首輪が取り付けてある。リュミエールの言葉一つでジュリアンの命を奪えるそれは、バルドレインの専属魔法士にしか解けないもので、無理に外そうとすれば即座に爆発する。
「俺は嫌だね、そんな飼い主――」
「シオン!」
構内を走っていると、横手から声がした。
「エヴァンさん! ルルさん!」
「……順番が狂ったな」
ナダルは苦い顔でシオンを下ろすと、後ろから羽交締めにする。
「信じられない! 女の子を人質にするなんて、あんたそれでも暗殺者なの!?」
「シオン。僕たちのことに巻き込んで、怖い思いをさせてごめん。すぐに助けるからね」
構内放送を聞いて研究室を飛び出した二人は、農場から遠ざかる不規則に波打つ魔力を感知していた。何かの合図だと思い、その魔力を追って来たのだ。
「ルル様、エヴァン様! あなた方ならば追跡の合図に気づくと思っていました! しかしお気をつけください、こいつは攻撃魔法の他に、悪魔召喚を得意とします!」
二人の横に並んでジュリアンは警戒を促す。二人は横目でジュリアンを確認し、訝しげに眉を顰めた。
「……ごめん、誰?」
「ジュリアンです! ジュリアン・バレンタイン!」
「え、誰だろう……そんな知り合いいたかな……?」
「ティア様の護衛じゃないの? ほら、いっつも無愛想な顔してる人いるじゃない?」
「あの人はフリックさんだよ。早く思い出さないと申し訳ないなぁ」
「ニンジャって言えば思い出すか、この野郎!」
『あぁ!』
二人揃って手を打ち、ようやく思い出す。
「あんた、なんでこんな所にいるのよ? まさか脱獄したんじゃないでしょうね!?」
「改まった口調で話すから、余計に誰だかわからなかったよ」
「経緯は追々話してやるよ! 人質奪還に集中しろ!」
敬語を使うのが阿呆らしくなったジュリアンは、ナダルへと視線を戻した。
「感動の再会はもうお終いか? もっと続けてくれても良かったんだがな」
ナダルは懐から赤いインクで魔法陣を描いた紙を取り出すと、地面に置いた。ナイフで手首を薄く斬り、己の血を紙の上に垂らす。
「悪魔召喚……!」
今すぐ止めに入りたいが、人質がいては身動きが取れない。エヴァンは詠唱を始めたナダルを睨む。
「誰も気づかないみたいだから教えてやるけど……あんたら、過去にこいつとの面識あるからな」
「え!? ないない! こんなヤバい奴だったら、絶対に覚えてるはずよ!」
「そのヤバさが発揮される前に、倒したんだろ」
その言葉に、エヴァンは信じられないとばかりに目を見開いた。
「まさか……雇われ魔王!?」
レティシアを誘拐し、ダンジョンの奥深くに閉じ込めていた男だ。
「待ってよ! あの時、魔王は自害したはずよ!? 心臓が止まってるのを確認したもの!」
「俺たちはプロだ。死んだふりくらい、造作もない。実際、あの後俺が見に行った時には、死体なんか転がっていなかったぜ」
エヴァンは記憶の中の雇われ魔王の顔を思い出そうとするが、頭に浮かぶのはやけに主張の激しいチョビ髭だけだった。
「ダメだ……顔を記憶する前にノアがさくっと倒しちゃったから、全然覚えてない……」
「あの時、ちょうど不眠三日目で機嫌悪かったもんね」
「――思い出してくれて光栄だ。あの怪物みたいな王女が、まさかあれほどの上玉だったことには驚いたよ」
苦虫を噛み潰したようなナダルの声と共に、周囲の温度が一段下がった。赤い火花を放ちながら、魔法陣から一頭の悪魔が出現する。
「あの時の屈辱、ここで返させてもらう」
「ひぃ……っ!」
シオンは見慣れない醜悪な生き物に体を硬直させた。
二メートル弱の巨体は短い黒い毛に覆われ、大きく裂けた口には鋭い犬歯が並んでいる。額には一本の太い角。背中には蝙蝠のような質感の翼が生えていた。
磨き抜かれた鉛玉のような銀の瞳にじろりと睨まれ、ルルは悲鳴を上げた。
「やだぁ! 何こいつ、怖ぁい!」
「【血獄魔】だ。血を吸えば吸うほど強くなる。お前らの血で育ててやってくれ」
ナダルは無機質な声で言い放ち、シオンを捕らえたまま後ろへ退がる。
「【雷天落】!」
指先で魔法陣を描き、エヴァンが真っ先に魔法を放った。ズドンッと小気味良い音を立てて、ブラッドデーモンの脳天から一条の落雷が落ちる。
だが、悪魔は微動だにしない。静かにエヴァンを振り返ったかと思えば次の瞬間、筋肉の隆起した右腕をエヴァンに向かって振り下ろした。
「っ! なんで悪魔って、効かない魔法があるの!?」
間一髪、ルルの防御魔法が直撃を防ぐ。
「『癇癪』状態のノアに魔法が効かないのと、同じ原理かもしれないね」
悪魔から目を離さないまま、エヴァンは少しずつ間合いを取った。




