09.ニンジャ
「誰かいる?」
「……」
エヴァンの呼び掛けに返事は無い。しかし鬱蒼とした茂みの向こうからは、明らかな何かの気配がこちらの様子を窺っている。
ルル、ノア、レティシアも、一変した空気を感じて、エヴァンの視線の先に無言で意識を集中させた。
エヴァンは小さく唇を動かし、複雑な魔法式を唱える。その公式が紡がれていく毎に、翳した右手に魔力を帯びた青白い光が浮かび上がり、やがて幾何学模様の魔法陣が完成した。
そして――
「【万氷刃】」
静かに言葉を放ったと同時に、無数の氷の刃がエヴァンの上空に出現した。陽光を受けて鋭く光る氷の刃が、木々の隙間を縫うようにしてエヴァンの視線の先へと迸る。
「――【守護障壁】」
短く、低い声。
氷の刃が届く直前、虚空に展開された光の防壁がそれらをすべて弾き飛ばした。砕け散った氷が、陽光の中で美しく輝きながら霧散する。
「ちょ、ちょっと待って! いきなり攻撃したのは悪かったけど、私たちは怪しい者じゃないわ! ちゃんと顔を見て話しましょう!?」
「無駄だと思うよ、ルル。向こうは僕たちを、敵だとしか思っていないみたいだ」
ルルが両手を挙げながら茂みの向こうへ言葉を投げかけるが、エヴァンがそれを硬い声で遮った。彼が躊躇無く先制攻撃を仕掛けたのは、相手が展開しようとしていた魔法陣の断片が見えたからだ。それは確かに、上位クラスの攻撃魔法だった。
「【風刃】」
「【風刃】」
防御壁が消えると同時に放たれた、見えない刃。エヴァンは間髪入れず同じ魔法を放つ。
魔力同士は火花を上げてぶつかり合い、激しい風を巻き起こしながら相殺した。
「……略式魔法か。小賢しい真似を」
エヴァンは魔法式の詠唱を破棄し、指先で空中に直接魔法陣を描く略式魔法で応戦していた。並の魔法使いが扱える芸当ではなく、茂みの向こうの主は忌々しげに舌打ちする。
「その女を牢から出したのはお前たちか? 魔王はどうした」
「囚われの王女様を見捨てるわけにはいかないだろう? あの自称魔王なら、勝手に自滅したよ。仲間なら、あとで埋葬くらいはしてあげたら?」
木立の陰から、漆黒の衣装に身を包んだ男が静かに姿を現した。頭も口元も黒い布で覆ったその姿は、さながら――
「ニンジャだ! カッコイイ! サインが欲しい!」
さっきまでの緊張感はどこへやら、ノアが子供のように目を輝かせた。
「いや、ノア……今はそんなこと言ってる場合じゃ……」
「まぁ、ニンジャですか? 私も本物のニンジャは初めて拝見いたしますわ」
エヴァンが呆れた声で制するが、レティシアまでもが興味深そうな目で一歩前へと歩み出る。
「ニ……ニンジャではない! 暗殺者だ!」
男が声を荒げる。しかし、そこに追い打ちをかけるようにルルが冷たく言い放った。
「暗殺者って自分で名乗るの、恥ずかしく無い?」
「……っ!」
男は布から覗く目元を真っ赤にして俯いた。なんとか空気を戻そうとするものの、気恥ずかしさが優ったのか、心持ち小さな声で言う。
「……い、一応確認しておくが……その女はバルドレインの第二王女レティシアで間違いないな?」
「そうよ! わかってて攫ったんでしょ!?」
「そうか……」
ルルの返答に、何かを深く考え込む暗殺者。その隙を見逃さず、エヴァンはノアに耳打ちする。
「ノア。あのニンジャを捕まえて、色々と吐かせよう」
「わかった。捕まえて、サインを書いてもらおう」
ノアがゆらりと立ち上がり、その手に黒い瘴気を纏った睡魔剣を顕現させた。
「ルル。ティア様を頼んだよ」
「り、了解! ……行くわよ、ティア様」
ルルに手を引かれ、レティシアは男たちから距離を置いた。
「あの……もしかしてこれは、本当に危険な状況なのでしょうか?」
「……多分ね」
ルルの予想通りなら、これは昨夜話していた黒幕の一味か刺客。捕らえられていた間のレティシアの扱いを考えると彼女に危害を加える可能性は低いが、躊躇なく攻撃魔法を放ってくることから、レティシア以外の三人は排除しても構わないと考えているのだろう。
「ノア様とエヴァン様は大丈夫でしょうか……?」
「わかんないけど……エヴァンは魔法学部の首席だし、大丈夫だと願うわ……」
アスティリア大学の魔法学部は、バルドレイン国内では最難関で、腕に覚えのある天才たちが鎬を削る場所である。
「エヴァン様は首席なのですか!?」
「憎たらしいことにね。だからきっと、多分……大丈夫、だと思う」
レティシアは震える手を胸元で握りしめ、ノアたちの背中を不安そうに見守った。
「はっ。どこのガキ共か知らんが、プロの暗――プロに勝てると思うなよ」
やはり自分で暗殺者と名乗るのは、少し恥ずかしくなったらしい。
暗殺者は右手の指を、するすると宙に滑らせた。
「【火球】」
略式魔法を使えるのはエヴァンだけではないと誇示するように、巨大な炎の球を放つ暗殺者。
だが。
「ノア」
「いける」
漆黒の炎を宿したような剣を構え、ノアが飛んでくる火球の真正面に立った。
そして――剣を薙ぐ。
紅蓮の炎はノアの剣に触れた瞬間、眠りにつくかのように音もなく消失した。
「馬鹿な……!? って言うか、なんだその剣!? 黒い魔法剣なんて知らんぞ!」
「火に強いのは、水だけではない」
驚愕し目を見開く暗殺者の懐へ、ノアは勢いに乗せて走る。動揺した暗殺者は、回避のタイミングを一瞬誤った。
「っ!」
辛うじて直撃は躱したものの、剣先が左腕をかすめた。痛みは無い。出血も無い。だが、剣が触れた場所から急速に感覚が失われ、左腕は鉛のようにだらりと垂れ下がった。
「なん……なんだ……? なんだ、その気持ちの悪い剣は!? 腕が動かない……!」
「さぁ、観念してサインを書け」
「誰が書くかぁ!」
暗殺者は逡巡する。得体の知れない剣の使い手と、高難易度の魔法式を完成させ、いつでも放てる状態で控えている魔法使い――
「ちぃっ! お前らの顔は覚えたからな! 首を洗って待っていろ!」
憎々しげにテンプレ通りの捨て台詞を吐くと、暗殺者は大きく後ろに飛んだ。そしてそのまま、森の奥へと消えて行ってしまった。
「あんなダサい捨て台詞を本当に言う人って、実在するんだね」
「くそっ! サインを貰い損ねた!」
呆れるエヴァンと、本気で悔しがるノア。そんなノアの視界の端に、何か光るものが映り込んだ。
「……コイン?」
バルドレインの通貨ではない。見たこともない紋章と数字が刻まれた、異国の硬貨のようだ。
「ニンジャの落とし物か」
ノアはそれを拾い上げ、睡魔剣を消失させると、欠伸を噛み殺しながらポケットに放り込んだ。
その時、突如としてエヴァンの笑い声が森の中に響いた。
「あは……あはは……っ! あははははっ! ひぃー! お腹痛い!」
「どうした? ニンジャに術でもかけられたのか?」
「違っ……安心したら、なんか……笑えてきた……!」
「エヴァン様……?」
駆け寄ったレティシアは、腹を抱えて笑い転げるエヴァンの足が、ガタガタと震えていることに気が付いた。
「めっっっちゃ怖かったー! 暗殺者とか本当に勘弁してよ! 魔物とは比べ物にならないくらい怖かったんだけど……!」
「あんた、結構余裕そうだったじゃない?」
「余裕そうに見せなきゃ負けるでしょ。正直、ちょっとチビっちゃってるからね!」
ルルは盛大にため息をつく。だが、その裏には濃い安堵の色が見えた。
「……まぁ、そうよね。ただの大学生が暗殺者に襲われることなんて、普通は無いからね」
正直、死ぬほダサい――と、思ったルルだったが、自分たちを守るために必死で虚勢を張って戦ってくれたので、心の中だけに留めておいた。
「申し訳ございません……私のせいで、皆様を危険な目に遭わせてしまいました……」
レティシアが申し訳なさそうに顔を曇らせる。するとエヴァンは、涙目のまま笑顔を浮かべた。
「怖かったけどさ、アレを見てよ」
「はい?」
エヴァンはノアを指差す。
「ニンジャ、また来るだろうか? 次は本物の手裏剣を投げてくるかもしれないな。マキビシとか持っていたら、記念に一個拾って宝物にしようと思う」
「また来そうな雰囲気だったけど、絶対あいつ手裏剣なんか持ってないわよ」
ノアは少年のようにワクワクしながら、暗殺者の再来を待ち望んでいる。
「ノアが楽しそうなら、それでいい。僕はノアとルルの漫才を見てるのが大好きなんだ。生まれた時から殆どずっと一緒にいるけど、一度も飽きたことがない。だから――」
エヴァンは震える足で無理やり立ち上がり、穏やかな笑みを浮かべた。
「二人を守るためなら、暗殺者だろうがニンジャだろうが、何度でも戦うよ」




