08.蜂蜜バターチーズバゲット
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早朝。辺りが白みがかってきた頃、ノアは静かに動き始めた。
結局、夜間の見張りは最初の二時間をエヴァン、その後はノアに交代して夜を明かした。
これほど寝つきも目覚めも良い睡眠は久し振りだった。肺を満たす濃い緑の空気が、驚くほど清々しい。ノアは、まだ夢の中にいる三人を起こさないよう、朝食の準備に取り掛かった。
かつて野宿をした際、我慢できずに寝ているエヴァンとルルを放置して虫探しに没頭し、その間に魔物に囲まれて死ぬほどルルに怒られたことがあった。以来ノアは、せめてどちらかが目を覚ますまでは単独行動を控えるよう、一応心掛けているのだ。一応。
まずは食材袋から取り出したバゲットをナイフでスライスし、バターを溶かしたフライパンに並べる。じっくりと焼き目を付けたらひっくり返し、チーズを乗せる。チーズがとろりと溶けてきたところに蜂蜜をかけて完成だ。
「おはようございます、ノア様」
甘く香ばしい匂いに誘われるように、最初にまどろみから目を覚ましたのはレティシアだった。
ノアは焼き上がったばかりのバゲットをアルミ皿に乗せると、ぶっきらぼうに彼女に差し出す。
「とても良い匂いがすると思ったら、ノア様が作ってくださったのですか?」
「エヴァンみたいに朝飯を食わない主義なら、無理に食わなくてもいい」
「いいえ、いただきます」
レティシアが熱々のバゲットにかぶりつくのを横目で見ながら、ノアも自分の分を口に運ぶ。チーズとバターの濃厚な塩味に、蜂蜜のとろけるような甘みが口の中で絶妙に合わさって、レティシアの顔が思わず綻んだ。
「美味しい……! こんなに美味しい朝食、初めていただきましたわ」
「王宮の朝飯はそんなに不味いのか」
「お城で用意してくださる朝食も美味しいのですが、これは段違いに美味しいです!」
お世辞でも何でもない、心からの賛辞。彼女はゆっくりと咀嚼しながら、この感動の正体を探るように目を閉じた。
「出来立てたからでしょうか? それとも外でいただいているから……? いいえ、それだけではありません。この蜂蜜、ほんのりと柑橘の香りがして、とても爽やかで美味しいです!」
その言葉に、ノアの眉がぴくりと跳ねた。
「わかるのか」
「ええ、とても華やかな香りがいたします。何か特別な蜂蜜なのですか?」
「これはレモン畑で採れた蜂蜜だ。単花蜜と言って、レモンの花の蜜だけで集めた希少な蜂蜜なんだ。ちなみにこっちの瓶に入っているのはクローバーの蜂蜜で、これはコーヒーによく合う。蜂蜜は、蜂がどの花の蜜を集めるかで驚くほど味が変わるから、実に奥が深い」
先ほどまでの無愛想はどこへやら、饒舌に、そしてどこか嬉しそうに語るノア。レティシアはその蘊蓄を、真剣に頷きながら聞いている。
「恥ずかしながら、蜂蜜は全て同じものだと思っていましたわ」
「俺の家にはまだ何種類もある。今度、食べ比べをさせてやろう」
そこまで言って、ノアは自分の失言に気付いて軽く頭を振った。
(そうだ、チャッピーは……)
「……これ以上チャッピーに甘い物を与えたら、糖尿病まっしぐらになってしまう……」
「そこは『王女を自宅に招くわけにはいかない』とかじゃないの?」
寝ぼけ眼でツッコミと共にルルが起き出してきた。彼女は目を擦りながらフライパンの上のバゲットをひっ掴み、大きな口で豪快に食らいつく。
「おはようございます、ルル様」
「おはよぉ……あ、ノア。水ちょうだい」
わずか三口で完食し、後味を味わう事もなく水で流し込むルル。その様子に、ノアは露骨に顔を顰めた。
「これだからお前に飯を作るのは嫌なんだ」
「は? 何が?」
「そうだよね。せっかく作ったんだから、もう少し味わって食べて欲しいよね」
いつの間にか起きていたエヴァンが、苦笑しながらマグカップにコーヒーを淹れていた。
「蜂蜜は……」
「何度勧められても、僕はブラック派なんだ。ごめんね」
ノアは子供のように頬を膨らませ、ちらりとレティシアを見る。
「コーヒーは飲むか」
「いただきます。そのクローバーの蜂蜜を入れてくださいますか?」
「……まぁ、蜂蜜は砂糖よりも血糖値の上昇が緩やかだから、いいだろう」
目に見えて機嫌を良くしたノアに、エヴァンとルルは顔を見合わせて小さく笑った。
ノアは思ったことは躊躇なく口にするし、興味のある事と無い事が極端に態度に出る性格の為、大学でも浮いた存在である。こうして自分たち以外の人間と楽しそうに過ごしている姿は、極めて珍しい。
微笑ましい光景だが、エヴァンの意識がふと、木立の奥に潜む違和感を捉えた。彼は笑顔を消し、静かに立ち上がる。




