10.トノサマバッタ
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ウィスタから王都バルドレインに向かう乗り合い馬車は、超満員だった。行商人の姿もあれば、楽器を手にした旅芸人の姿もある。王都へは毎日、数え切れないほどの人間の出入りがあるのだ。
粗末な硬い木の椅子に腰を下ろしたレティシアは、その豊満な体格のためどうしても二人分のスペースを占領してしまう。周囲の乗客たちからは、隠し切れない不快感と刺々しい視線が向けられていた。
「……ちっ。降りて歩けよ……」
どこからか明らかな悪意を込めた囁きが聞こえてくる。しかし、生まれて初めて乗り合い馬車に乗ったレティシアは車内を見渡すのに夢中で、自分に向けられた声や視線には全く気付いていない。
「腹立つわー。今の、絶対に聞こえるように言ったわよね」
「犬のウンコでも踏んで、イライラしているんじゃない?」
棘を放った方向をジロリと睨むルルと、我関せずといった様子のエヴァン。そして。
「おい、チャッピー。あいつがお前のこと、ブタだと言っているぞ。言い返してやれ。自分はブタではなくハリネズミの生まれ変わりだとな」
わざわざ本人にチクるノア。
「まぁ、お褒めいただき光栄ですわ」
「ほ……褒めてねぇし、ブタとまでは言ってねぇよ!」
思いもしない反論を食らって、狼狽する男。そのまま口を閉ざすかと思いきや、男は腰を浮かしてあろうことかレティシアに指を突きつけた。
「満員で狭いのに、スペース取り過ぎなんだよ! ここにいるみんながそう思ってんだ!」
「ただでさえ蒸し風呂状態なのに、余計に暑苦しいんだよ!」
「椅子は硬ぇし、ケツは痛ぇし、これだけ狭いと座り直しも出来やしねぇ!」
一人が吠えれば、それに同調する声が次々と上がる。馬車内は暑くて狭くて、不快指数が異常に高い。乗客たちは皆、苛立っている。
「ちょっと、あなた達ねぇ――」
堪え切れず立ち上がりかけたルルの肩をエヴァンが叩き、静かに首を横に振った。
「下手に口を出したら、状況が悪化するかも」
そんな一触即発な空気の中、レティシアは場違いに明るい声で両手を打ち鳴らした。
「お尻が痛いのですね。わかりました! では、どうぞ私の膝にお座りください! 少しはマシになるかと思います」
「は……はぁ!? 何言ってんだ、こいつ……!」
レティシアの斜め上の応答に、男はたじろぐ。そんな男とは対照的に、ノアは名案だとばかりに躊躇なく彼女の膝に腰を下ろした。
「ちょうど俺の尻も痛いと思っていたところだ。お前、思っていたよりも有能だな」
「ありがとうございます。嬉しいです!」
その異様な光景に口をポカンと開けて絶句していた男だったが、やがて我に返って何か言ってやろうと息を吸い込んだ。だが。
「ノアが彼女の膝に座ったぶん、スペース空いたよね? まだ文句があるなら、一旦馬車を降りなよ」
「っ!」
冷ややかな笑顔を浮かべたエヴァンに耳元で囁かれ、男は大きな舌打ちをして黙り込んだ。
ガタガタと、砂利の上を進んで揺れる馬車の音だけが、馬車の中を支配する。その気まずい沈黙に耐えかねた別の乗客が、手にした新聞に視線を落としながら誰にともなく呟いた。
「……それにしても、まだ王女様は見つからないのかねぇ」
その一言をきっかけに、車内は攫われたバルドレインの王女の話題一色となった。
「噂では、地獄の淵から蘇った魔王に攫われたんだとか」
「隣国の王子との婚約の話が出ていたのに、どうなるんだろうね?」
「王女様って、どんなお顔なのかしら」
「お妃様や王女様たちはほとんど表舞台に立たれないからね。王都に住む従兄弟からは、綺麗な方だと聞いたけど」
「私はすごいブスだって聞いたよ? だから王様は、娘を表に出さないようにしているって話さ」
「確か全員母親の違う三姉妹じゃなかったか? 第一王女は見たことがあるが、恐ろしく綺麗な方だったぞ」
本当か嘘か分からないような噂話が車内を飛び交う。
ルルは横目でそっとレティシアを見た。彼女は自分の話だと分かってはいるが、ここで名乗りを上げれば無駄に大騒ぎになると思い、困った顔でただオロオロとしていた。
「あっ」
突如、窓の外をぼんやりと見ていたノアが声を上げた。窓側にいた人を掻き分けて窓へ駆け寄り、そしてすぐに戻って来る。
「見ろ。トノサマバッタを捕まえた」
「まぁ、可愛らしいですわ」
指先で優しくバッタを捕らえ、誇らしげにレティシアに披露するノア。
これがルルであれば悲鳴を上げて逃げられるのだが、穏やかに微笑んだレティシアに気を良くしたノアは言葉を続けた。
「トノサマバッタは一匹だと大人しいが、群れると体の色が変わり、攻撃的な性格になる。非常に興味深い昆虫だ」
「群集心理のようですね。虫にも感情があるのでしょうか」
「どうだろうな。群生相に入った個体は、自分が強くなったと錯覚する。実際はただ、周りに同調しているだけなのに。その点においては、人間に似ているかもしれないな」
その言葉を聞いて、先ほどレティシアに突っかかっていった男たちは静かに目を閉じて寝たふりを始めた。




