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インソムニア奇想譚  作者: ままはる
健康診断のついでに呪われちゃった話
87/97

18.これがおとぎ話なら

⭐︎


「――レティシア!」


 悲鳴に似た声を上げ、ノアは目を開けた。


 視界に映っていたのは、剣に貫かれたレティシアではなく、なんの変哲もない部屋の天井だった。


 いつから呼吸を止めていたのか、ひどく息苦しい。渇いて張り付いた喉でゆっくりと息を吐き出して、ようやく夢から覚めたのだと理解した。


「ノア様? 大丈夫ですか?」


 すぐ耳元でレティシアの声がした。目だけを動かすと、不安そうな顔をした彼女がノアを見つめていた。その青い瞳を見て、強張っていたノアの体がふっと緩む。


「夢に私が出てきたのですか? とても光栄なのですが……夢の中の私が何か失礼なことを?」


「……」


 何かを言おうと口を開きかけたノアは、自分の手がまだ固く握られていることに気がついた。しかもレティシアの手を握り締めている。細い指の先が、ノアの力で白くなっていた。


「悪い……」


 ノアがゆっくりと手を放すと、レティシアはにこりと微笑んで、冷たいタオルでノアの汗を拭った。


「何か悲しい夢を見ていらっしゃいましたか? とてもお辛そうでした」


「悲しい……?」


 ああ、そうか。あの不快な胸のざらつきは悲しみだったのか、とノアは納得した。そう言えばチャッピーが死んだ時に感じたものと似ていた気がする。


「ノア様、お水をどうぞ」


「……ああ」


 コップを受け取るが、どういうわけか飲みたいとは思えなかった。全身汗に濡れ、喉もからからに渇いている。なのにお腹が膨れていて、水の一滴も口にしたくない。


「ノア様?」


「……着替えたい」


 コップを置いて立ち上がる。シャワーを浴びようかとも思ったが、着替えるだけにした。


「ノア様、少しだけでもお水を飲んでくださいませ」


「いらない」


「では、他に何かご所望のものは?」


「ない」


「ノア様……」


 泣きそうな顔で俯くレティシア。


「私に、何かできることはありませんか?」


 ノアはソファに腰を下ろし、レティシアの頭にそっと手を乗せた。


「昨日エヴァンにも伝えたが、俺が死んだらエヴァンには河原で拾った石をやる。ルルには蛇の抜け殻を。綺麗に抜けていて、見事なやつだ」


「っ! ご冗談でも、そんな話は聞きたくありません!」


 涙を浮かべたレティシアがノアを睨む。怒った顔を初めて見たノアは、なんだか得したような気分になって小さく笑った。


「お前には、あそこの引き出しに入っている白い袋をやろう。赤いリボンがついているやつ。少し早いが、誕生日プレゼントだ」


「ノア様……!」


 堪えきれず、涙がこぼれ落ちた。


「私の誕生日プレゼントなら、ちゃんと誕生日に直接渡してくださいませ! そのような……もう二度と会えなくなるようなこと……!」


 悲痛な声でノアに縋るレティシア。その声が、少し遠くに聞こえた。いつもは十五分起きていられたのに、もう時間がないらしい。


「何かできることはないかと言ったな。それなら、手を握っていて欲しい」


「ノア様……ノア様!? ダメです、まだ眠らないでください!」


 ソファに横たわり、ゆっくりと瞼を閉じるノアの頬を、レティシアが叩く。


「夏休み、クワガタを探しに行くとおっしゃっていたではありませんか! 私も連れて行ってくださると……!」


 今眠ってしまったら、もう二度とノアは目を覚さない気がした。だから必死に叫ぶ。


「きっともうすぐ、ルル様とエヴァン様がチーズケーキを買って戻って来られます! ノア様のお好きな、ハニールのチーズケーキですわ!」


 瞼は重く、ノアはもう目を開けていられない。レティシアの声がどんどんと遠くなっていく。脳裏に先ほどの夢の続きが浮かんで、ノアは僅かに顔を顰めた。


「もう眠りたくないな……」


 あれほど眠ることが嬉しかったのに。レティシアと出会って、彼女の膝の上で眠る時間が何よりも心地良かった。


 だけど、もう――


「ノア様……っ」


 静かに瞼を閉じたノアの名を、レティシアは呼び続ける。


「ノア様、ノア様!」


 手を握り、何度も、何度も――


 浅く細い呼吸をするその頬に、そっと手のひらをあてる。目を離すとその間に呼吸が止まってしまうような気がして、レティシアは涙を拭うのも忘れてノアの顔を見つめた。


「ノア様……お尋ねしたいことがございます。ですからどうか……どうか目を開けてくださいませ……」


 どうしてあの本が本棚にあるのですか? あれを読んで、どう思われましたか? お気に召された場面や台詞はございましたか?


 レティシアは、『禁断の恋』の隣にあった世界の童話全集を思い出した。こんな時、眠れる姫や王子の目を覚まさせるのは、得てして口づけばかりである。


(これがおとぎ話なら良いのに……)


 レティシアは涙を拭い、静かに目を閉じたノアの唇に、自分の唇を重ねた。


 ゆっくりと、深く。慈しむように。


「ノア様……お慕い申し上げております……」


 消え入りそうな声で呟いた次の瞬間――ノアは目を大きく開いて飛び起きた。


「ノ、ノア様!?」


「……っ!」


 ノアは両手で口を押さえ、レティシアから距離をとる。必死に『こっちへ来るな』と目で訴えながら部屋の中をドタバタと走り回り、やがて窓を勢いよく開け放つ。口から手を離した瞬間、黒い煙のような魔力が一気に外へと噴き出した。


「きゃぁ! ノア様!?」


「姫様! 何事ですか!?」


 悲鳴を聞きつけ、部屋の外に控えていた護衛が飛び込んでくる。


「どうしましょう!? ノア様が……ノア様が!」


「をぉぉえ゛ぇぇぇ……っ!」


「私の口づけがダメすぎて嘔吐されています!」


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