18.これがおとぎ話なら
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「――レティシア!」
悲鳴に似た声を上げ、ノアは目を開けた。
視界に映っていたのは、剣に貫かれたレティシアではなく、なんの変哲もない部屋の天井だった。
いつから呼吸を止めていたのか、ひどく息苦しい。渇いて張り付いた喉でゆっくりと息を吐き出して、ようやく夢から覚めたのだと理解した。
「ノア様? 大丈夫ですか?」
すぐ耳元でレティシアの声がした。目だけを動かすと、不安そうな顔をした彼女がノアを見つめていた。その青い瞳を見て、強張っていたノアの体がふっと緩む。
「夢に私が出てきたのですか? とても光栄なのですが……夢の中の私が何か失礼なことを?」
「……」
何かを言おうと口を開きかけたノアは、自分の手がまだ固く握られていることに気がついた。しかもレティシアの手を握り締めている。細い指の先が、ノアの力で白くなっていた。
「悪い……」
ノアがゆっくりと手を放すと、レティシアはにこりと微笑んで、冷たいタオルでノアの汗を拭った。
「何か悲しい夢を見ていらっしゃいましたか? とてもお辛そうでした」
「悲しい……?」
ああ、そうか。あの不快な胸のざらつきは悲しみだったのか、とノアは納得した。そう言えばチャッピーが死んだ時に感じたものと似ていた気がする。
「ノア様、お水をどうぞ」
「……ああ」
コップを受け取るが、どういうわけか飲みたいとは思えなかった。全身汗に濡れ、喉もからからに渇いている。なのにお腹が膨れていて、水の一滴も口にしたくない。
「ノア様?」
「……着替えたい」
コップを置いて立ち上がる。シャワーを浴びようかとも思ったが、着替えるだけにした。
「ノア様、少しだけでもお水を飲んでくださいませ」
「いらない」
「では、他に何かご所望のものは?」
「ない」
「ノア様……」
泣きそうな顔で俯くレティシア。
「私に、何かできることはありませんか?」
ノアはソファに腰を下ろし、レティシアの頭にそっと手を乗せた。
「昨日エヴァンにも伝えたが、俺が死んだらエヴァンには河原で拾った石をやる。ルルには蛇の抜け殻を。綺麗に抜けていて、見事なやつだ」
「っ! ご冗談でも、そんな話は聞きたくありません!」
涙を浮かべたレティシアがノアを睨む。怒った顔を初めて見たノアは、なんだか得したような気分になって小さく笑った。
「お前には、あそこの引き出しに入っている白い袋をやろう。赤いリボンがついているやつ。少し早いが、誕生日プレゼントだ」
「ノア様……!」
堪えきれず、涙がこぼれ落ちた。
「私の誕生日プレゼントなら、ちゃんと誕生日に直接渡してくださいませ! そのような……もう二度と会えなくなるようなこと……!」
悲痛な声でノアに縋るレティシア。その声が、少し遠くに聞こえた。いつもは十五分起きていられたのに、もう時間がないらしい。
「何かできることはないかと言ったな。それなら、手を握っていて欲しい」
「ノア様……ノア様!? ダメです、まだ眠らないでください!」
ソファに横たわり、ゆっくりと瞼を閉じるノアの頬を、レティシアが叩く。
「夏休み、クワガタを探しに行くとおっしゃっていたではありませんか! 私も連れて行ってくださると……!」
今眠ってしまったら、もう二度とノアは目を覚さない気がした。だから必死に叫ぶ。
「きっともうすぐ、ルル様とエヴァン様がチーズケーキを買って戻って来られます! ノア様のお好きな、ハニールのチーズケーキですわ!」
瞼は重く、ノアはもう目を開けていられない。レティシアの声がどんどんと遠くなっていく。脳裏に先ほどの夢の続きが浮かんで、ノアは僅かに顔を顰めた。
「もう眠りたくないな……」
あれほど眠ることが嬉しかったのに。レティシアと出会って、彼女の膝の上で眠る時間が何よりも心地良かった。
だけど、もう――
「ノア様……っ」
静かに瞼を閉じたノアの名を、レティシアは呼び続ける。
「ノア様、ノア様!」
手を握り、何度も、何度も――
浅く細い呼吸をするその頬に、そっと手のひらをあてる。目を離すとその間に呼吸が止まってしまうような気がして、レティシアは涙を拭うのも忘れてノアの顔を見つめた。
「ノア様……お尋ねしたいことがございます。ですからどうか……どうか目を開けてくださいませ……」
どうしてあの本が本棚にあるのですか? あれを読んで、どう思われましたか? お気に召された場面や台詞はございましたか?
レティシアは、『禁断の恋』の隣にあった世界の童話全集を思い出した。こんな時、眠れる姫や王子の目を覚まさせるのは、得てして口づけばかりである。
(これがおとぎ話なら良いのに……)
レティシアは涙を拭い、静かに目を閉じたノアの唇に、自分の唇を重ねた。
ゆっくりと、深く。慈しむように。
「ノア様……お慕い申し上げております……」
消え入りそうな声で呟いた次の瞬間――ノアは目を大きく開いて飛び起きた。
「ノ、ノア様!?」
「……っ!」
ノアは両手で口を押さえ、レティシアから距離をとる。必死に『こっちへ来るな』と目で訴えながら部屋の中をドタバタと走り回り、やがて窓を勢いよく開け放つ。口から手を離した瞬間、黒い煙のような魔力が一気に外へと噴き出した。
「きゃぁ! ノア様!?」
「姫様! 何事ですか!?」
悲鳴を聞きつけ、部屋の外に控えていた護衛が飛び込んでくる。
「どうしましょう!? ノア様が……ノア様が!」
「をぉぉえ゛ぇぇぇ……っ!」
「私の口づけがダメすぎて嘔吐されています!」




