15.農場へ
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一方、エヴァン。
「さすがに頭がこんがらがってきた……」
連日、夜間はノアにつきっきりで浅い眠りが続いている。今朝は早くからルルと呪薬の解析に取り組み、それが終わると今度はノアの膨張した魔力への対処方法を考えた。薬学、呪術学、魔法学、魔法生物学――ここ数日、様々な情報が絶えず脳裏を飛び交っていて、エヴァンの顔にも疲労の色が滲み始めていた。
エヴァンは食堂で、普段はあまり口にしない甘いパンケーキを咀嚼しながら、自分の右手に魔力を集中させた。
小さな――ほんのわずかな灯火を指先に宿すような、そんなイメージで人差し指に魔力を顕現させる。青白い小さな炎が現れたその時、背後から声がかかった。
「エヴァン。ノアの様子はどうだ?」
「クラウゼン教授」
振り返ると、魔法剣学のクラウゼン教授と、学生と思しき男二人がそこに立っていた。
「ノアはまだ目を覚まさないのか?」
「ルルが今、薬を用意しているところです。それが効いてくれればいいんですが」
「そうか……同期たちもずいぶん心配しているんだ。なぁ?」
クラウゼンは後ろに控えた学生たちに目を向けた。ノアが倒れた時、医務室まで彼を運んだアーロンとナダルである。同じ学部でも専攻が違うため、エヴァンには馴染みのない顔触れだ。
「ノアと仲が良いの?」
「いいや、向こうは俺たちの顔も名前も覚えちゃいないさ」
肩をすくめてナダルが言う。
「でもあいつが倒れたのを目の前で見ていたし、同期として心配はしてるよ。目が覚めたら、早く戻って来いって伝えてくれ」
アーロンはそう言うと、片手を挙げてエヴァンに背を向けた。ナダルとクラウゼンもそれに続こうとしたが、エヴァンが呼び止める。
「クラウゼン教授。ご相談があるんですけど、少しだけお時間よろしいですか?」
「うん? ああ、構わないよ」
学生たちと一緒に昼食を摂るつもりだったクラウゼンだが、ナダルとアーロンに手を振ってその場に残った。
「ノアの体は今、魔力の出口が塞がれている状態です」
「ああ。医務室でそう言っていたな」
エヴァンの向かいの席に腰を下ろしながら、クラウゼンは頷く。
「その状態のまま、新たな魔力も生み出され続けています。つまりノアの体は、膨らみ続ける風船のような状態なんです」
「……そうなるだろうと思って俺なりに調べてみたが、やはり前例が見つからなかった」
「僕も色々と調べた結果、試してみたいことがあるんです。ただ自信が無いので、教授のご意見を伺いたくて」
「自信が無いだなんて、優秀なお前らしくないな」
クラウゼンはエヴァンに顔を寄せる。
「何を試す気だ?」
「……外から、穴を開ける」
「ほう」
クラウゼンは目を細め、興味深そうに唇の端を上げた。
「ノアの体に、僕の魔力を流入させるんです。その僅かに開けた穴から、溜まった魔力が外に流れ出すのではないかと」
クラウゼンは目を閉じ、エヴァンの描いた絵を頭の中で組み立てていく。言葉にすると至極単純な作業だ。子供でも思いつく発想である。しかし――
「危険だな。通常なら体を抜けていくだけだが、今のノアでは送り込んだ魔力がどう作用するか想像がつかない。蓄積されて膨張を助長するかもしれないし、拒絶反応を起こす可能性もある」
「わかっています。けれど、何もしなくても最悪なことになる」
真っ直ぐにクラウゼンの目を射抜くエヴァンに、教授はもう一度頭の中で魔力の流れを考えてみる。
「……通常、外部から流入した魔力は、自身の魔力が異物と判断して外へと排出しようと作用する。その押し出す力が正常に働けば、僅かに開けた穴から排出はされるだろう」
「その時、ノア自身の魔力も一緒に排出されるはずです」
「問題は流入させる魔力の量だ。多すぎると体の内部を傷付ける」
エヴァンは先ほど試したように、指先に青白い魔力を灯してみせた。
「ダメだ、大きすぎる。もっと静電気くらいの量でないと」
エヴァンは顔を顰める。自分の魔力を調整して顕現させるのは魔法剣の分野だ。エヴァンの得意とする攻撃魔法とは畑が違う。
「今の半分……いや、小指の爪の先くらいでいい。自然に呼吸をするような、あるかないかくらい。そしてそれを流入させるとすれば、魔力の流れが主流となる手……いや、直接口からがいいだろう」
そう言って一拍置いてから、クラウゼンは乱暴に頭を掻いた。
「言っておくが、どうなったとしても俺は責任取れないからな。実行するかどうかは、よく考えてからにしろ」
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――カレーを二杯平らげたルルは、解呪薬の材料を揃えるためにアストリアムの街へと繰り出した。
ほとんどの材料は、いくつかの店を梯子すれば難なく手に入るものばかり。四軒目の魔法具店を出たところで、残す材料はあと一つになっていた。しかしいつもなら置いてある店では品切れと言われ、ルルは店先で次の行き先を思案していた。
(デュマ教授の研究室にも在庫があるだろうし……わざわざ別の店を探さなくてもいっか)
それよりも、とルルは思う。
(もう少しでノアが目を覚ます時間だし、ハニールに寄ってチーズケーキを買って行こうかな)
今朝方エヴァンから、ノアが食べたがっていると聞いた。ここからならパティスリー・ハニールに近いので、そちらへと進路を変えた。
見知った顔を見つけたのは、ハニールの店の前に差し掛かった時だった。
「シオン。昨日はありがとうね」
シオンは足を止め、両手に大きな紙袋を抱えたルルを見て目を丸くする。
「すごい荷物ですね……それ、昨日言っていた解呪薬の材料ですか?」
「まあね。シオンはハニールにお買い物?」
「あ、いえ……」
シオンは小さくはにかんで、街角のこのパティスリーをちらりと振り返った。
「ここ、私の家なんです」
「いえ……い、家!?」
一拍置いて、ルルは合点がいく。シオンとすれ違った時に嗅いだ、あの甘い匂い。そしてノアがシオンを『いい匂いがする』と言っていた理由も。
「確かにこの匂いは、美味しそうだわ」
ルルはシオンに顔を近づけ、髪や肩のあたりを嗅いでみる。店から漂ってくるのと同じ、バターと砂糖の甘い香りがシオンからも感じられた。
「両親がパティシエをしていて、私も時々手伝いをしているんです。そのまま大学に行くことも多いから、どうしても匂いが残ってしまって」
「何度か買いに来たことがあるのに、シオンがいるなんて全然気付かなかったわ」
「お店ではこの格好はしていませんからね。でも私は、ルルさんたちを接客したのを覚えていますよ」
シオンはフリルをたっぷりとあしらったワンピースの裾を、ひらりと摘んでみせた。窓ガラスから覗いた店内では、白いシンプルなシェフユニフォームを着た店員の姿がある。確かに印象は随分違う。
「これから大学へ戻るんですか?」
「うん。その前にノアにチーズケーキを買って帰ろうと思って」
「そうなんですね。それなら、ちょっと待っていてください」
シオンは小走りで店内へ入っていくと、店員と二、三言葉を交わした。間も無く、小さな箱を手に戻ってくる。
「これ、私からノアさんへお見舞いです」
箱の中身は、確かめるまでもなくチーズケーキだ。
「折角だし、直接渡す? もう少しで目を覚ます頃だと思うわ」
「じゃあ……お邪魔でなければ」
少し考えてから、シオンはにこりと笑って頷いた。それからルルが抱えていた荷物を一つ、ひょいと持ち上げる。
「気を遣わなくていいのに」
「ルルさんみたいな華奢な女の子に、こんな大荷物は持たせられません」
「私より可愛い子にそれを言われてもねぇ……」
並んで学生寮へ向かいながら、二人はとりとめのない話をした。
「シオンは農学部よね。なんでパティシエの道は選ばなかったの?」
「お菓子作りは好きなんですけど、ハニールのお菓子は材料へのこだわりが強くて。叔父が牧場を経営していて、そこで育てた牛の牛乳やバターを使っているんです。お店は姉が継ぐので、私は叔父の農場を引き継ぎたいと思っています」
ふわふわとした見た目とは裏腹に、シオンの目には迷いがない。
「素敵な目標ね。応援してるわ」
「ありがとうございます」
シオンは嬉しそうに、頬をほんのりピンクに染めて微笑んだ。
「ところで、解呪薬の材料はこれで全部揃ったんですか?」
「あとは【黒馬の鬣】だけ。お店では売り切れてたから、デュマ教授が持っていてくれるといいんだけど」
「【黒馬の鬣】って……黒い馬の鬣ですか?」
「そう。別に珍しいものじゃないんだけどね」
「だったら、附属農場に黒馬がいますよ」
アスティリア大学附属農場。農学部の学生たちが、馬や牛を飼育している場所だ。
「ホント? その子の鬣、少しだけ分けてもらえる?」
「構いませんよ。少し遠回りになりますけど、農場に寄って行きましょうか」
「やった! 助かる!」




